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汎神論

神と宇宙は同一である〜ヴェーダ、ウパニシャド、ギリシャ思想、一切万物は神であるとの考えがどのように発生したのか、

スピノザ〜1677年 -『エチカ』神即自然〜非人格的な神概念、理神論、

トーランド〜1705年-一切は神であると信じる人々、


自然界を超越した存在〜一神教、

ギリシャ以前、エジプト以前、石器時代に人は神をどのように意識していたのか、

ギリシャ以降は、人間の過去概念化の歴史、


ゲーテ〜『自然と象徴 自然科学論集』

シエリング〜神の実存、『人間的自由の本質』

ヘーゲル〜『精神現象学』(1807年)

ヘルダーリン書簡体小説『ヒュペーリオン』

フィフテ〜宗教概念を論じた処女作『あらゆる啓示批判の試み』

汎神論


神と宇宙は同一である〜ヴェーダ、ウパニシャド、ギリシャ思想、一切万物は神であるとの考えがどのように発生したのか、

スピノザ〜1677年 -『エチカ』神即自然〜非人格的な神概念、理神論、

トーランド〜1705年-一切は神であると信じる人々、


自然界を超越した存在〜一神教、

ギリシャ以前、エジプト以前、石器時代に人は神をどのように意識していたのか、

ギリシャ以降は、人間の過去概念化の歴史、


ゲーテ〜『自然と象徴 自然科学論集』

シエリング〜神の実存、『人間的自由の本質』

ヘーゲル〜『精神現象学』(1807年)

ヘルダーリン書簡体小説『ヒュペーリオン』

フィフテ〜宗教概念を論じた処女作『あらゆる啓示批判の試み』


進化論とキリスト教


進化の過程を含めて、神はそのように創った、何百光年の星々を、そのように創ったと、全ての科学的発見を、そのように神が創ったのだと、人の、創造主を必要とする、絶対を求める依存心、道徳の世界秩序に対する求め、神秘への憧れ、自我の至高性、死の意味、


ヤーコプ・ベーメ


アウクーラ〜神秘体験からキリスト教へと、キリストを生きることで人生は救われると

〜神の自己産出、『アウローラ』


フィセテ


神とは道徳的な世界秩序であり、信仰とはこの道徳たる、世界秩序に対する信仰〜宗教概念の発見、


絶対、神、真理、愛、理想と、人間は精神のある何かを求め続けてきた、この求める心が失せた時、人は人を失うかのように、人とは社会、国家、宗教の摺り込みの元に育ち、そこに郷愁を持ち、美意識を持ち、精神の根底とする、が、それらのないものにおいては、人は人であるだけで充分であった、


ノーベル文学賞〜スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ


日本には抵抗の文化がないと、そして彼女のレポートは、戦争の、自殺者の、チェルノブイリの、被災者達の証言集、日本に、戦争の、自殺者の、原爆、原発の証言集は山とある、がそれらは当事者の回想であつて、告発、抵抗とはなっていない、現実においてレジスタンスのような抵抗はなく、体制翼賛、大東亜共栄の戦争文学へと、戦後の文学もそうした体制の下、味わった絶望の嘆き、時に告発、抵抗は描けないのだった、抵抗の視点、抵抗の文化というものが、民族独立というような、抑圧からの抵抗がないのだった、神との闘いという様な、人間復興の文化がないのだった、

今、3.11を得ても、国策への、棄民への、抵抗の視点はない、救済と、補償止まり、抵抗政府、市民政府という、個人と組織の、持続はない、


近代論が幾度もとりあげられ、


未だ日本に近代はない、内発的ではなく、表層的だと、近代がさも現代に意味があるように、姜尚中ほか文学者が対談し、しかし、近代とは国家であり、その中での個人、市民と言う観念である、今や1%対99%と、国家を超えて、文化、歴史を超えて、核の時代となっているのだった、映画ではデストピア、文学は絶望主義へと、そこで近代の復古、確立などと、3.11以降は何の御利益も、意味もないのだった、近代、個人、民主主義が何だというのだと、


日本人


自分を日本人だと思っている日本人、自分の国を日本だと思っている日本人、世界の出来事を我が事としない日本人、尖閣や竹島がと、京都が、どこどこが、何が、かにがと日本のの美と伝統はと、我がことのように誉めそやし、喜ぶ日本人、


もし3.11がなかったなら


ネットがをこれ程必要とされなかっただろうし、絶望を考えることもなかっただろうし、人生を考えることで老後を送ることもなかっただろう、多くの日本人にとって、初めての課題が提供されたということ、


TPPに象徴されるもの


今や世界は民族主義、国家主義ではなくなったということ、グローバル化、1%対99%の、誰もが1%のおこぼれに肖ろうと、政治経済が組み込まれていく、世界の株式会社化、福祉、教育、医療の民営化、全産業がグローバル企業傘下へと、結果何が起きるか、戦争は今や国家がやるものではなく、市民対企業、市民対傭兵がやるものへと、国民、市民、全てコネ、賄賂で動く社会へと、利潤本位の株の配当が基本の世界へ、対抗手段は、自給自足の、共同体となるだろう、コモン、シンプルライフ、無洗脳の、原人間対世界の、無所有対所有の、時間こそ普遍の、人間とは何かの社会へと、


人間は、金と神以外は考えられないのか


過去の文化が、金と神に集約されている、政治経済は勿論、文学も、哲学も、美術、音楽さえ、喰うためという、救いという、人が金と神にいかに縛られていたかが、自らを解放せんとする時に、核こそがそれらを思い知らせる、金も核も必要なかったことを、この星に誕生したことだけで良かったと、


難民排除と貧困差別


国家、民族、宗教、を持ち、人がそれらを超えようとするとき、現われる国境、習俗、言語、文化、歴史、肌の色、世界が100人ほどによって所有されているというのに、その所有の中で所有を争っている、時間の俯瞰が出来ない人存在、それさえ出来るなら、不条理も、疎外も、核さえも、


尖閣、竹島、北方領土、


尖閣の中国、竹島の韓国領有に対し、どちらでもいいではないか、君のものでもないし、領土など君とは関係ない事柄ではと、いや自国のものは自国のもの、中国、ソビエトは拡張主義、中華思想、君の家に強盗が来たらどうするかという問題だと、君は人の所有権、生存権を認めないのかと、ヒットラーがユダヤに対しての、クリミヤに対してロシアのと、相手が攻めてくるのに、君はどうするのかと、国家の問題を個人の問題に、国家がさも自分であるかのように、今やグローバル企業、世界資本にとっては、国などという帰属意識はなく、搾取対象、紙幣発行権さえ握っていれば良いこと、国民、市民と国家に帰属している者だけが、我が国、我が国はと、


戦争とは


国を盗った盗られた、相手が先に、防衛の為にと、殴った殴られたと、子供の喧嘩と同じ、だがそれは国民、軍隊という集団がやっていること、誰が、何の為に、一人ひとりの兵士は何の為に、千島列島を、尖閣列島を、竹島を取り返そう、取り返してどうするのか、そこで採れる資源を、土地をと、一人ひとりの兵士国民は、自分のものとしたいのか、出来るのか、イスラエルがパレスチナのように、国とは資本のもの、山も、海も、そこにある資源も、それを一人一人が分け前に預かるもののように、石油会社の、観光会社の、金融機関の、株を持っている1%の物、99%の戦っている者の物ではない、世界には様々な運動がある、革命から、レジスタンス、選挙から、基地反対、原発反対と、1%対99%の戦いが、そこに国というものはない、99%どうしは仲間であり、戦う意味などないのだった、


死を見つめた現存在


核を見つめた現存在、人類が死と核をどう見つめられるかによる、絶望が決して絶望ではない、絶望の真実が、人の時の俯瞰の眼を養う、死の真実を知って、享楽する人のように、絶望の真実こそが、人の現存在を自然裡なものに、死は何の意味もない、生に所有された時の中にこそ、絶望は、絶対的な希望を求める、戦争に対し、罪に対し、生に対し、死に対し、絶対的な答えを求めないではいられない、

死に対し、極楽、天国ではなく、

戦争に対し、反戦、革命ではなく、

犯罪に対し、善悪ではなく、

人生に対し、愛や、意味ではなく、

人間の全ての営為に対し、肯定、依存、有為ではなく、

核の絶対性のように、絶対的な答えを用意する、


ライオンとインパラのように


インパラが結束してライオンをやっつけたら、インパラの平和は訪れるが、インパラは増殖していずれ滅びる、人間の善悪も、悪があって善が芽ばえる、善と悪、罪などというものは、インパラとライオンのように、自然裡なことで共存のうちに成立している、核といえど、虚妄などではなく、絶対悪として、絶対平和と共存していく、絶対平和とは、何をしても絶望だという共感、連帯、


現存在を表現する方法


カフカの審判のように、最期は石で頭を砕かれ殺される方法、アウシュビッツでコルベのように、身代わりとなり殺される方法、カミュのムルソーのように衆人環視の見世物となって殺される方法、ガンジーの非暴力、不服従で銃殺される方法、日本の特攻隊の方法、

ソクラテスの、ガリレオの、自殺者一般の、ロープシンのテロの、戦争を無化する科学の方法、それは核兵器、核戦争こそ現存在を表現する唯一無二の方法、ゴヤであろう、子を喰う、巨人が殺しあう、人間という種の持つ宿命、


タルコフスキーの「鏡」と時間


過去、現在を時間という探りたいものを通して、生身化、現在化の試み、時間という生身、現在を、過去へ遡行させることを通して、過去の現在化、生身化、全生涯の時間化の探求、

カットバック、プロット、ストーリー、人物描写ではない、それらを支配、存在させてきた時間というものへの、畏敬、一体、所有、この時間の探求を通した方法論、「鏡」にはそれらが新鮮な形で現われている、映像の色彩、セピアかかった緑、青、カットバックの自在さは現在との融合感、ストーリーは刻印されたシーンの切り貼り、人物の心理、感情を追うのではなく、あくまで時の中に存在したものとして、草木、物と同じように、存在している、過去の現在化は、「僕の村は戦場だった」がその最初の試みであったが、自分自身を対象とした「鏡」は、過去は生身性を持ち、時間というものが、生き物のように映像の中に流れている、時が現在に初々しく存在していく、


未来の時間を現在化するには


絶望、不安、死後と、人間が漠然としか捉えていない、未来時間を、生身化、現在化する方法が必要、「サクリファイス」の想像ではなく、身近な生身の意味、時間としての、SFでもなく、確実に訪れる死のように、死の実存化、生身化、現在化を、人間という種の絶滅を表わす方法、善悪、不安、ではなく、未来というものの現在化、「ストーカー」のような、ゾーンという過去が現在を支配している、そして未来も、そこでの人間というものの現在、掟を探り、掟を破ろうと、足掻き、苦しみ、しかし何も変わらず、ただ子供という未来に、微かな希望を託し、

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