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実存という領域

実存という領域


入院までのあの時間、手術待つ、手術後の、完治までの、死は考えてきたが、不意打ちのガン宣告だった、告知はされず、自分で察知したガンだった、O、H、エミ、親戚、みな私のガンを隠しての対応だった、私は一人で耐えた、転移していても1、2年はあるだろうと、最期の、終わりの、限られた時間、味わい、考え尽くそうとした、あれから30年、

その間にOが死に、H、友人、親戚の何人もが、誰もが死ぬのだが、その都度味わった実存という領域、病室、葬式という場所ではない、それぞれの人の意識に形作られた領域、死すという意識の領域、語り合ってきた、政治、哲学、文学さえも入っていかない、ボンヤリとした、しかし、塊のように、脳の一画に占めている死という領域、日ごとに、脳腫瘍のように広がり、日常を支配し、私対世界へと、単一なる世界、死すという、存在はするが無という、無意味という、他人は入れない、その人と世界だけの関係、初めてのその人の時間、その人を知る者は、耐えて待つしかない、死という終わりを、

実存という領域


入院までのあの時間、手術待つ、手術後の、完治までの、死は考えてきたが、不意打ちのガン宣告だった、告知はされず、自分で察知したガンだった、O、H、エミ、親戚、みな私のガンを隠しての対応だった、私は一人で耐えた、転移していても1、2年はあるだろうと、最期の、終わりの、限られた時間、味わい、考え尽くそうとした、あれから30年、

その間にOが死に、H、友人、親戚の何人もが、誰もが死ぬのだが、その都度味わった実存という領域、病室、葬式という場所ではない、それぞれの人の意識に形作られた領域、死すという意識の領域、語り合ってきた、政治、哲学、文学さえも入っていかない、ボンヤリとした、しかし、塊のように、脳の一画に占めている死という領域、日ごとに、脳腫瘍のように広がり、日常を支配し、私対世界へと、単一なる世界、死すという、存在はするが無という、無意味という、他人は入れない、その人と世界だけの関係、初めてのその人の時間、その人を知る者は、耐えて待つしかない、死という終わりを、

3.11以降の世界、私の意識はこの実存という領域に満たされてしまったかのよう、絶望という、終わってしまったという、死すまでの、見納めの、別れの時でしかない余命のように、


転向、躓き


思想を変えた、信仰を放棄した、暴力によってか、または自ら望んでか、どちらであっても、それを敗北、変節と見るのか、人の自然と見るのか、人間を一本の弱い葦であるとするなら、狼にも、聖人にもなれる存在であるとするなら、転向、躓きとは無へ戻った、元の状態への回帰、どちらへでもまた行ける自在なことのはず、変節を敗北裏切りととらえるのは、人への理想化、思考の社会化が成されてきたから、精神の、思考の形成が個においてなされているなら、それら敗北、不信は起きないもの、私が共産党をやめたのは党活動の束縛からの自由が上回ったから、個人主義が喜びとなったからだった、が今、世界の絶望の前に、個人主義ではない、マルチチュードのような個人主義を抱合する新たな思考が求められ、3.11以降、私は絶望の果てに、思想も、信仰も諦めたのだった、世界に対して希望をつむぐ力もないし、元々私一人においての希望だけだったから、私の領域を固めて来ただけ、只、絶望してもなお、まだどこがに希望があるのではと、

世界の絶望を前にすれば、3.11も、9.11も、日航機も、アポロも、どうでもいいことではあるのだった、原発、核の絶望はすべてを無化する、この絶望は、定義付け、明確化しなければ、


絶望した人間とは


50パーセントの老人所帯が、所得200万以下で、更に100万以下が70万人、そして孤独死が3万人、一方、生活保護所帯が160万所帯だという、日本の自殺者は年間3万人、未遂者はその10倍、理由が、健康、生活、家庭問題だと、死に至る病がそこにはあるのだが、圧倒的多数は絶望しないで生きる、生きてさえいればという、核の絶望などそこにはなく、絶望してもなお生きるなどはなく、食料と、孤独さえ癒されるなら生きられるほどのもので、が世界はあのイタリアの観光客の笑顔のように、絶望などあずかり知らぬ事のように、楽しむ世界であったほうが良い、人の死は自明、死とは無に帰すことであり、生とは生きている間だけのことで、世界に絶望する100の理由など、有史以来の人間の悪徳も、自然裡な人間の適応性が故、世界を壊そうが、作ろうが、無に帰す存在、何を成しても、為さなくとも、幸でも、不幸でも、生きて居さえいればよしとする世界、


死者との対話


大田の伯母さんとの、ママとの、Sとの、Oとの、Yとの、Hとの、ブンとの、HGとの、Tとの、皆、私は彼らが生きているうちにやった気がする、今更、居ない彼らと対話する気も、墓に参る気も、懐かしむこともない、私は彼らに依存はしていなかった、むしろ批判者でさえあった、だが、彼らが死を迎えるにあたって、私は哀悼を示したのだった、私の所有であった、彼らとの思い出、喜び、意味、死を前にして伝えたのだった、私の記憶よと、

大田の伯母とは、父への感謝を、ママとは、マスターへの愛の確認を、Sとは、書かれた小説の称賛を、Oとは、別れの挨拶を、Yとは最後の晩餐を、Hとは人生の満足を、ブンとは、共に生きたことの感謝を、HGとは、対話の楽しみを、Tとは別れの手紙を、


結局誰もが絶望はしていない


3.11以前、私に虚無の気分は主要なものではなかった、が、原発の事故を通して、個人が意味となったことによって、虚無が我が事となった、世界は戦争をしても、私はしないという、世界が原発を推進しても、私は反対するという、核が私の生存に、否、人類の生存にまで関わる問題であることの認識を通して、私の意味となった、

シュティルナー、シュタイナー、エンデ、マッケイ、夫々に社会問題を解く鍵を説いているのだが、個人主義、自由主義、無政府主義の立場からの理想、結局は宗教と変わらず、世界に絶望はしていないのだった、核は、世界を絶望と捉えない限り、捉えられない、キルケゴールにしても、絶望を通して、キリストを語ろうとしたのだが、世界を絶望とは捉えてはいない、今や世界は何万トンもの核物質で覆われ、全生命がじわじわと蝕まばれ、絶望以外の何者でもないのに、


三島は戦後の日常から逃がれて、芸術に向かったが、結局芸術では満たすことが出来ず、自死したとの批評、私はどうなのか、3.11を引き込んで、日常を貶めようとしているのか、脳内被爆したような、意識の囚われからの解決を求めているのだが、核を絶望と定義することによって、人間の根本を考えたいのだった、

キルケゴールの絶望は神との関係、私の絶望は核との関係、キルケゴールの主体性とは神への意識、私の主体性とは私への意識、今世界の絶望を前にしても、神を求めはしない、サクリファイスを探さない、私の解決だけを、子供から大人へ、中世から近世へ、人間は神を恐れない存在となり、死に至るだけの諦観が蔓延し、ニヒリズムという死に至る病に、全人類が冒され、死を待つばかり、キルケゴールが求めた、人間たらんとする、絶望して死す人間は今やいないのだ、ましてや絶望してもなお生きる人間など、


ニィチェ、キルケゴールから学ぶことは


私対世界ということ、キルケゴールは一人で、イエスに、神に立ち向かったということ、聖書を我が事として捉えたこと、これが絶望に対する向かい方、人間、人生というものへの向かい方であるとの、哲学が問うことの、問おうとしたことの、生き方を問うている、生身の哲学を提示しているのだった、絶望とは何かを、神を知らないこと、神を生きないことと規定し、生きるということの絶対を求めているのだ、


安富の授業


近代哲学、仏教、そして親鸞、清沢満之へとそこにある他力の考え方を披露、3.11に絶望を見たわけだが、アカデミズムで生きていくためには、その絶望を合理化、糧にせざるを得ず、他力、馬力の考へと、現代のシスティマチック座敷牢の中では、絶望し続けるわけにもいかず、と、多少アイロニカルに、他力に希望を託すように語っていた、ヨーロッパ近代を、日本的仏教思考で解決しようとするのだが、他力のもつ安易さが、日本的曖昧さ、非合理を生んでいることの自省がない、清沢満之の弥陀の意思に従うという、シュティルナー的無の上に我を置くはいいのだが、絶望を見据えていないと、常に善悪的、無意味と、二律背反に陥る、「破滅もせず、調和もせず」や、「どうせ死ぬ身の一踊り」的な死の見据えだけでは、絶望に抗することは出来ない、

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