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相模原事件と死刑制度

3.11で価値崩壊、転換した人間にとってはどちらも自明で、たとえやらせであったとしても、自然裡な事件に過ぎず、3.11のあの日、日本消滅、地球の危機を予測し、世界が砂上の楼閣であり、パンドラの箱は開けられてしまったと、3.11以降という世界を考える以外にないと、3.11以前にあった価値への無、取り返しがつかないことというもの、生命であり、生命を支える世界、環境というものの毀損、全生命への犯罪者である人という存在への、レントゲン室で絵を描き、本を書き、子供を育てることの、そこでの優劣、幸不幸を競う人間の、明日の死も知らず、遊びほける、3.11以降の意味とは、全肯定、全て許されているであろう、人間への二分法も、愛も、格差も、謀略も、全て許される、であろう、癌からの生還の後は全肯定といえど、価値を、美を、意味を選んだが、今3.11以降の世界にあって、選びは意味はなく、だからこそなどなく、強制収容所、ホロコースト、家畜化と、種の存続のためにはあらゆる邪悪が施行されていくだろう、価値はそのためにだけ考えられることとなる、

相模原事件と死刑制度


3.11で価値崩壊、転換した人間にとってはどちらも自明で、たとえやらせであったとしても、自然裡な事件に過ぎず、3.11のあの日、日本消滅、地球の危機を予測し、世界が砂上の楼閣であり、パンドラの箱は開けられてしまったと、3.11以降という世界を考える以外にないと、3.11以前にあった価値への無、取り返しがつかないことというもの、生命であり、生命を支える世界、環境というものの毀損、全生命への犯罪者である人という存在への、レントゲン室で絵を描き、本を書き、子供を育てることの、そこでの優劣、幸不幸を競う人間の、明日の死も知らず、遊びほける、3.11以降の意味とは、全肯定、全て許されているであろう、人間への二分法も、愛も、格差も、謀略も、全て許される、であろう、癌からの生還の後は全肯定といえど、価値を、美を、意味を選んだが、今3.11以降の世界にあって、選びは意味はなく、だからこそなどなく、強制収容所、ホロコースト、家畜化と、種の存続のためにはあらゆる邪悪が施行されていくだろう、価値はそのためにだけ考えられることとなる、


全ては世界に原因があり、責任を負う


障害が放射能であり、貧困が犯罪を生みとは、因果があり、世界に責任があるのだが、当事者にあっては、世界の因果や責任など関係なく、いかに生くかが問題となる、世界が責任を感じ、生かしたいとすれば生きるし、でなければ死ぬまでと、世界が殺そうとしても、生きたいとする私がいれば、草を食べてでも生きるだろうし、生き物たち、生きる喜びで生きているのではない、生きてしまうから生きているだけ、


人間の尊厳


自尊があって、他尊が生まれる、地位、名誉、美貌、資産、才能、etc、の人間の欲と価値に依存、所有への無化をしない人間へ、人間の尊厳で以って対抗、人間の尊厳とは、動物の、植物の存在の尊厳である、石へ畏敬を、動物へ共感を、植物へ共楽を、私腹を肥やす者、ポスト維持にしがみつく者、好きにやったらいいと、人間の尊厳には何の関わりもないことと、人間を生きるとは、存在の尊厳を享受することと、


エミコのエコー検査


胆管が今年も白く写っているからCTをやってと言われたと、胆管が白く写るのは胆石が写っていることが多いのだが、ポリープがあったりもする、が、要CTと聞くと良からぬ心配もし、不安にもなるもの、エミコの明るさに翳りが、道で○○さんに会ったら、2月に乳がんが見つかり、温存で取ったのだと、M、TNと末期膵臓癌のこの数ヶ月、努めて明るく、姉に電話しているのだが、自らの癌を心配すると、明るさも乏しくなる、TNの覚悟のように、身体に任せるしかないのだが、それ迄は生かされていることに感謝する

だが、生きてきたことの、生きていることの、今ここに、有として在ることの、どのような運命であっても、今在ることの、75歳位だろうとするなら、あと5年、5年などアッと言う間、


無から生まれて無へ


無から生まれたとは、はっきり解る、記憶は5.6歳からだが、私という自分が誕生したのは、40歳の癌からの生還からだと、それ以前は種としての、集団としての私であったと、40より私対世界の覚悟をして生き始めた、いつ死んでもいいようにと、この30年、多くの友人の死を見てきた、生と死を考察をしてきた、特にこの10年は、5000人の作曲家、1000人の画家、1000人の作家、哲学者、ツィッター、フェイスブックの人間達、etc、etcの事柄を、そしてこの5年の、原発震災日誌は、私の頂点であり、レイトワークであり、これ以上の人類の未来に答えはない、科学の発達で解決できる問題ではない、絶滅が可能、必然であることの真実からの答えであるのだから、未来はここから、この上にしか営めないのだから、3.11以降の世界、科学者、作家、哲学者、宗教者、と過去、現代を調べ続けても、答えはなかった、絶望の後の文化はないのだった、絶望に至る文化でしかなかったのだ、


余命一ヶ月の花嫁


しあわせだったと、余命を生きた24歳の女性、多く人はしあわせだったと死んではいけない、青春の、恋の、渦中にあっての死において感じられるもの、生を問い、死を問い、青春を生きて来た者において、辛うじて、しあわせだったと言わしめる、エミコの胆管癌の疑い、やはり検査すべきだろう、疑いを払さないとエミコの明るさは戻らない、検査結果から、青春を生きはじめなければ、二人に一人が癌になる、毎年80万人が、世界一の癌大国、放射線管理区域に住んでいるのだから、原発、核汚染の、絶望後の生き方が、


絶望を続けては死ねない


3.11以降、絶望を待って生きているような、

「世界の多くの人間は、絶望しているのに、今さら絶望を問うこともないのでは」とM、

「福島で被災した当事者なら分るが、何の被災もしていない者が、絶望を問うたからといって、架空に過ぎない」とS、

「人間は絶望してては生きていけない、絶望の中から、希望を問わなければ」とT、

「絶望も希望も、私は信じない」とH、

今、周りの癌、そしエミコの癌の疑いという個人的な絶望の中、世界の絶望がどうでも良くなっている、エミコ亡き後、どのように生きるのか、何をもって希望とするのか、希望ではなくとも、喜びとして生きるのか、絶望、虚無であろう、喜びが、エミコによって支えられていたことを思い知る、この日常が喜びであった、希望であったと、ニィチェではないが、運命を愛する、絶望も受け入れ生を愛する、無の上に私を置いた、唯一者というなら、世界を、運命を愛する、絶望も受け入れるでいいのだ、それ以外に希望はないのだ、運命とは人生各々のことであるのだから、健常も障害も、早死にも長寿も、運命として愛していく、この愛する心、力、主体とは、時間空間を所有、一体の感情の中にある、星を空を万物を、私において誕生した意味において、喜び讃え、


社会や国家や人間や文化を


考えなければ、唯一なる私となる、テロも悪政も、陰謀も、唯一なる私にとっては、自然現象と同じものとなる、ニィチェの運命愛なども、只の主体性論に過ぎず、あと5年か10年とするなら、只唯一者でいい、この意識だけで良いのだと、絶望など、文明という人間のものである、唯一者の意識には、絶望などの概念はないのだ、有るのは只存在なだけ、私の唯一者は、癌体験の延長にあるのだから、


そう言いながら


ドストエフスキーを調べ、映画を見、音楽を聞き、哲学を調べ、家族と遊び、植物を育てと、人間文化にドップリと浸かっている、そうした中での、唯一者としての意識とは、死ぬまでの、生きたことの、人生とは何だったのかの、答えとしての意識である、


TNを訪ねて


チャイム2度押すが、その前に、留守電入れておいたが出ず、玄関先には、調理材用BOXが4個山積みになっており、庭の植木が、何かが減って、空間が出来ていた、モンキーバナナだけは生長し花を付けていた、入院したのかも知れないと、病院を訪ねたが、入院もしていない、起きれないほど具合が悪いのだと察した、2.3日しても電話が来なければ、どうしようかと、先日の私の手紙は、決して悪いものではなかったはず、同封した末期癌の心得も大事なことではあると、が、どうしてやることも出来ないのだし、最早何も望んでもいないと思える、私の癌体験とは違うのだった、余命が傍目にも分るほどの衰弱、どうすべきかと、本日はそれらもあって、終日、家庭の雑事に明け暮れる、


Mについて


プルーストを薦められて、今読んでいて、山口さんはどう読んだのかと、知りたくて電話したと、昨日、で本日は私の方から電話、40歳の癌恢復後プルーストを再読し、人生の生身で、プルースト体験を味わったと、それは自然と存在の讃美の心であったが、3.11以降それらが崩れ、今プルーストを読むことの嫌悪があるのだと、この私の意見に対して、肯きはするものの、分らないようであった、プルーストが讃美すればするほど、嫌悪が、かつて病気からの癒えの中、共感し、味わった、世界の楽園が、瓦解したのだった、

また、津島佑子の「父を許さないの言葉に対し、佑子の印象は恨みがある、特に出産に対しての印象から」と、佑子の兄はダウン症であったと、調べると、桜桃の中に、4歳の白痴の息子のことが書かれてあった、虚構ではなかったのだ、大江が光を受容したのに対し、太宰は受容できなかったのだろうと、芥川賞を欲しがったり、格好付け、無頼漢と、白痴の息子にそぐわない、これは太宰文学の大きな鍵である、ニィチェが運命愛という主体で受容し、肯定する精神が、日本文学にはどこかで、諸行無常、もののあわれで、悟り、足るを知るで済ましてしまうが、どのような境遇であっても、等価の人生を求めることの、運命愛という、人生の肯定ではないのだった、それが逃亡奴隷、仮面紳士にと、


1000年もつ哲学


絶望も希望も、善も悪も、人間の歴史、自然に起きた出来事、全て肯定し、それでも種を繫ぐ意思を持った哲学、メシアはいらない、全て肯定し、想定しておくこと、科学にも絶望と希望を想定すること、哲学においてはもちろんのこと、汝自身を知れに対し、汝自身を去れのように、絶望に抗する哲学とは、


人生とは時間であるのに


その時間を効率やら多様やらと、忘却する技術に費やされ、ノーベル賞がそうした科学といわれるもの、文学といわれるものの影響力において賞賛され、ローソクの火と、LEDの火と、時間には何の影響力もないのに、便利と進歩は時間に意味をもつとの、科学がどう進歩しても、文学が何を示唆しても、人生という時間は変わらない、人生は時であることの、破局の未来も、絶望の未来も、時の中の出来事、

ジャンピエール・デュピユイ「ツナミの形而上学」〜世界の絶望問題の中で、新たな形而上学を呼びかけている、システムとしての悪、リスク想定としての悪、しかしツナミは核はそれらを許さない、

デュピュイの「覚醒した破局論」〜アメリカ先住民の箴言「大地は子孫が貸してくれる」から

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