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不愉快な映画〜シャトウブリアンからの手紙〜

パリ占領時代、共産党がドイツ将校を殺した報復に、150人の政治犯を殺すというもの、アウシュビッツのように、粛々と殺されていくというもの、何を描きたいのかが、何もないが結果として、報復と殉教と、その不条理への、途中登場してくるエルンストユンガーの位置、それが報復、殉教へのアイロニーとして、絶望の中の虚無として、批判的視点としてはあるのだが、正確に、強く、深く現代を見据えているものではなく、ユンカーの点描に過ぎず、詰まらなく、不愉快であるのだった、ユンカーという男、ファシストでありながら、ロマン主義者であるのだが、文学者の絶望の中での、立ち位置を体現しているようだが、嘗ての日本浪漫派へのような嫌悪感、現代にあって、戦争に反省、慙愧など必要であろうか、人間への、社会国家への一蹴、絶望だけで充分である、

シュレントルフ、「ブリキの太鼓」、カトリック、1939年生まれだが、戦争に対する醜悪の感情はあるのだろうが、戦争に対する今までにない視点が必要な現代、個人を、大衆を、戦争そのものを嫌悪していても始らない、核の、人類未来の、哲学的深化こそが求められているのだった、

不愉快な映画〜シャトウブリアンからの手紙〜


パリ占領時代、共産党がドイツ将校を殺した報復に、150人の政治犯を殺すというもの、アウシュビッツのように、粛々と殺されていくというもの、何を描きたいのかが、何もないが結果として、報復と殉教と、その不条理への、途中登場してくるエルンストユンガーの位置、それが報復、殉教へのアイロニーとして、絶望の中の虚無として、批判的視点としてはあるのだが、正確に、強く、深く現代を見据えているものではなく、ユンカーの点描に過ぎず、詰まらなく、不愉快であるのだった、ユンカーという男、ファシストでありながら、ロマン主義者であるのだが、文学者の絶望の中での、立ち位置を体現しているようだが、嘗ての日本浪漫派へのような嫌悪感、現代にあって、戦争に反省、慙愧など必要であろうか、人間への、社会国家への一蹴、絶望だけで充分である、

シュレントルフ、「ブリキの太鼓」、カトリック、1939年生まれだが、戦争に対する醜悪の感情はあるのだろうが、戦争に対する今までにない視点が必要な現代、個人を、大衆を、戦争そのものを嫌悪していても始らない、核の、人類未来の、哲学的深化こそが求められているのだった、


新藤兼人〜濹東綺譚〜


厭戦、反戦の視点はあるのだが、永井の中途半端さがそのままで、もっと虚無感、厭世感を出したら良かったのにと、あの時代を傍観者として送れた荷風、ゾラのようにはなれない自らを認め、惰性、傍観へと、文学において最も昇華する震災後の国難にあって、日本文学は流されていたのだった、それが花鳥諷詠であったり、諸行無常であったり、3.11後の核汚染の日本も、もう一度日本、美しい日本、すごい日本と、欺瞞、偽善に、


個の追求ではなく


私を生きる、私を生きるとはを追求、唯一者である私とはを、世界の破滅でもなく、人間の絶望でもなく、眠るを眠る、食べるを食べる、見るを見る事を通して、私は私を生きるのであり、


記憶


○裏庭の離れには立派な風呂場があったが、風呂に入った記憶はない、私はそこで子犬を飼っていた、父に諭されてか、父の自転車に乗せられ、子犬を近くの川に捨てに行った、子犬を入れた箱が沈むことなく、流されていくのをいつまでも見ていた、悲しかった記憶はない、ただ見えなくなるまで見ていた、父も一緒に見ていた、そして「もういくぞ」と私を促し、自転車に乗せた、


○裏庭には隣との共同井戸が有った、水はそこから汲んできて、台所の甕に入れて使っていた、お勝手は土間で、タイル張りの竈があった、竈を壁で隔てた所に、板床張りの台所があった、壁側に水屋があり、台所の真ん中には掘りごたつがあった、


○勝手の一段上がったところに座敷があった、家族一緒にそこで寝ていたのだが、寝むりの記憶はない、そこに何か置かれていたのかも、ただがらんどうの部屋の記憶、


○座敷の先は父の仕事場、壁には様々な刀のような桶を削る道具が、壁一面に貼り付けられ、板場の作業場には、材料の竹材、板材が積まれ、片隅には刃物を研ぐ、四角く仕切った水場があった、天井には材料を出し入れする大きな穴が開いていた、通りに面した側は一面窓ガラスで、通りを見渡せた、


○隣の母子家庭の家からは壁を隔てて、いつもミシンを踏む音が響いていた。商店街の二軒長屋のような建物、通りからはおばさんのミシンを踏む暗い顔が見えた、


○母は暇さえあれば内職の軍手かがりをしていた、風呂敷一杯になるとそれを両手に下げて、時には私を連れて、30分位の道のりを、侘しく、先行きの思案をしながら、背中には妹が負ぶさっていたはず、


記憶と唯一性


父への

加茂野時代の記憶の最古層、新たな再現はないのだが、体験した原初的な感情がそこにはあり、例えば父への信頼の感情、裏庭の道端で、久しぶりに仕事をしていた父に近寄った時、生き生きとした瞳で、私を見上げ、声を掛けてくれた、夜、うなぎの仕掛けをしに、一緒に出かけた時の、目も、声も、童心のようにはしゃいでいた、


母への、

よく泣いていた、よくグチッテいた、よく実家へ逃げ帰った、よく働いていた、抱かれたり、慈しまれた記憶はない、


家庭というもの、

家庭というものに食卓があるのだが、食卓を囲んだ記憶が一切ない、カオルさんが米を持ってきてくれて父が喜んだ記憶だけ、


自由の感情、

親に干渉されず、いつも一人の自由があった、よく町を巡った、


この個人の体験、記憶が、その人にとっての原風景、その文学の唯一性であるのだから、文学とはこうしたその個人の唯一なるものである、この唯一なる感情が、唯一者である、


佐江衆一〜人間の約束〜


アルツハイマー夫婦とその家族、死にたいと考える夫婦、死んで欲しいと考えるその息子、10万人の自殺者日本には日常の風景、家族、社会の責任と義務があるとしても、無償の行為と個人のエゴは対立し、労働としての福祉、介護制度へと、個人の幸福追求権と、尊属介護、障害者介護の対立は、社会の責任でいいだろう、ほとんどの問題は、政治の貧困の問題であるのだから、

犬と私の10の約束の中に見る、人と犬の約束とは、約束の前に、出会いと喜びがあり、その記憶があってのこと、ブンの介護は、私のブンへのブンからの喜びの記憶があるから、人と人の約束も同じである、生まれ、育てられた喜びの記憶、愛し愛された喜びの記憶、人が人を、社会が労働として分担したとしても、そこには愛された記憶が介在してのこと、


バイキングと死


アマゾンのバイキングTVドラマ、8時間10シーズンを見てしまった、末期のTNに、一分を一時間に延ばし、と存在を講釈した手紙を出し、Tには冷たい電話応対をし、嫌悪感が為、

バイキングの死生観とは、掟といい、生死は決まっているものとする、運命と一体の考え、

王になりたい者が王を殺すのだと、覇者の群れを描いていた、世界の一パーセントの人間たちの世界が、歴史ではあるが、現代も同様、一パーセント達は、国や民族など関係なく、覇者を競って同盟しているのだった、そんな世界で私は生と死の尊厳を、絶望とはを考え続けているのだった、人間という者の存在と死、自然と何ら変わりはないのに、考える私があるから考えているのだが、明日死ぬとしてもその生と死を考えることの喜び、


9.11テロ他陰謀論


全ては理由があって、陰謀を起こせる1%によって行われている、国、民族など関係なく、彼らの共謀によって、事は進められ、それらは止めるすべのない99%には無いのだった、1%とは人間の本質そのものであるのだから、人間という集団の構図、家があり、町や村があり、企業や行政機関、軍隊があり、いずれの組織においても1%のリーダーを戴き、世界は1%の人間の所有物、陰謀は彼らの学芸会、ままごと、皆友達、利益分配の談合なのだから、そうした構図の中での文学、哲学とは、反抗、不条理がテーマとなるのだが、これらが自明となった今、旧態の文学、哲学は無力、1%が人間の構図そのもの、本質そのものであるなら、そうではない、無国籍の、無民族の、無欲の、無関係の、無次元の人間こそが新しき人、反権力でもなく、社会問題でもなく、愛憎でもなく、生の執着でもなく、在ることだけの、時間だけの文学、哲学、


釈迦といえど


私対世界へのプロセスであるということ、唯我独尊とは、人の主体である私というものの確信があってのこと、イエスといえど、愛というものの全肯定の中には、世界への私というものの絶対があってのこと、考えている、感じている、生きている、この私へのゆるぎない意識があってのこと、全ては人夫々の私対世界の表現なだけ、人間の全文化、人間の生そのものが私対世界である、私は世界をこう考える、私は世界をこう生きている、私は障害を、私は貧困を、私は病を生きている、鳥が鳥を生きるように、人が人を生きている、全人間が全生物が、私対世界を生きているのだった、


老人の会話


「これからの半年は我々の一生だからね」

「でも、あんた元気だね」

「元気じゃないよ」

半年を一生として、半年後は死んでいることを想定して生きている老人達の会話、

充分に生きた人生ではあったが、あと半年の見納めと、忠犬ハチ公が主人を10年間待ち続けたという、死を知らない待つという犬の人生、人生をあと半年と考えないで、ずっと続いている一生と考える者、半年を一生として捉える者、半年を一生と捉えるしかない、余命宣告半年のTへの共感、半年の中に一生を投げ込んで、遣り残しの無いように、もう充分と、それじゃあねっと、


真実の見極め方


その人間がどのような体験、経験をしてきたか、生い立ち、階級、親戚などで、その人間の語るものが、真実かどうかわかる、知識や才能ではない、真実とは99%の人間の持つものだから、1%の人間の真実は要らないのだった、地球温暖化のゴアが、ウラン鉱山、石油会社、CO2利権、月30万円の電気代の家、ロスチャイルドの娘と結婚など、何のためか、誰のためかで、真実はないことが解る、事実でもない、捏造と、陰謀、プロパガンダであるということ、


ニィチェが核世界を論じたなら


反時代的考察も、善悪の彼岸も、アンチクリストも、すべて核を通して考えただろう、文明の破壊と、無へと進めただろう、悟りではなく、大いなる諦観、大いなる悲嘆、そして絶望へと、絶望こそ有意と捉えただろう、反俗も、反主知主義も、核の前には児戯に等しいと、密かに世界を見納めるばかりであろう、

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