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夢を見た

 権力者、為政者に、世界が絶望状況なのに、国体、国益、利権獲得などと、絶望の前には全てが無に帰すことは解っているのに、虚しさはないのかと、見納めの世界を、一期一会の時を、喜びのうちに送りたくはないのかと、夢で私は叫んでいた、私はイスラムの一員となって、戦に参加していた、が、ふとその戦の明け暮れに嫌気が差して止めた、するとそこへビンラデンもやって来て、俺も止めたと、核で汚染された土地を盗りあっていても詰まらないからと、

世界が絶望に目覚めることが、すべての鍵に思う、透谷の人生の秘鑰とは、現代にあっては、この絶望の認識にあるのだと、絶望のシンプルさ、無条件さ、絶対さ、


続・続原発震災日誌




夢を見た


 権力者、為政者に、世界が絶望状況なのに、国体、国益、利権獲得などと、絶望の前には全てが無に帰すことは解っているのに、虚しさはないのかと、見納めの世界を、一期一会の時を、喜びのうちに送りたくはないのかと、夢で私は叫んでいた、私はイスラムの一員となって、戦に参加していた、が、ふとその戦の明け暮れに嫌気が差して止めた、するとそこへビンラデンもやって来て、俺も止めたと、核で汚染された土地を盗りあっていても詰まらないからと、

世界が絶望に目覚めることが、すべての鍵に思う、透谷の人生の秘鑰とは、現代にあっては、この絶望の認識にあるのだと、絶望のシンプルさ、無条件さ、絶対さ、


人生の意味


青年の日、学ぶこと、知ること、行動することは喜びであった、学ぶこと、知ることの、そこに無限の世界が感じられ、行動することの、やはり無限の感情の味わいが感じられ、物の、人の、社会、文化、歴史への興味、何故への、が、今それら欲求が、意味の剥奪の前に失せ、人生の意味とは何であるかの根本的な疑問に囚われ、


生きる喜び


疲れ眠る喜び、草木の生長を愛でる喜び、食事を味わう喜び、何よりまだ生きている喜び、生きていることだけで喜べたあの頃、それが人生の意味のすべてであった、おつりの人生と、すべて許し、味わった、


終章


○世界に絶望が共有され、核の封じ込め、管理が共同化され、絶望が故に、誰もが戦わない世界が到来したとしても、

○ガンの転移とは違う、何年たっても終わらない核汚染、生態濃縮による遺伝子の変異、

○カミュを紐解くなら、ムルソーの世界の無関心へ、プルーストなら見出された時へ、

○私対世界を、社会、世界がどのようであっても、アウシュビッツ、死刑囚であっても、未だ在る私、その私を無の上に置く、私をこそ至上の存在として、私対世界を生く、


私対世界


○核汚染の世界にあっても、人間は争い続けるのだろう、奪われたから、殺されたからと、私は奪われたままに、殺されたままに、彼らが生きるためならと、絶望とは戦わないこと、希望しないことが可能な世界、内も外も、生も死も、核汚染という絶望の中であるということ、

○「唯一者とその所有」をテキストに、私対世界の詩を連続して終章へ、これで私はキッパリと私対世界に帰る、ツァラトゥストラが洞窟に帰るように、余命の時に帰る、

○石への、世界への、さようならの挨拶をするように、私の言葉でもって、最後の作品として、

○シュティルナー、母子家庭だったのだ、


水銀が、砒素が、スモッグが、水俣、カネミ、喘息と、見える形で、直ちにもたらされた被害であったから、彼らの怒り、憎しみは確信され、共感され、

で、私の絶望とそれらは何が違うのか、怒り、憎しみではない、予感、虚無をもたらす、現況への嫌悪、植物、動物たちへの悲しみ、核戦争も辞さずとする者らへの、無知への、その時代、暮らしの、絶望しない人間への、

新しき人とは、世界を絶望し、死にいたる病を生きる人、


G・バタイユ「無神学大全-内的体験」


結局はプルースト的、ポエジー、感情、意識への賛意の作品、青年の日、私も求めた、情熱、生の喜びへの、バタイユの老境からのノスタルジー、

Tは仏教の概念、用語の探求、ヒンズーの源流へと、私はそうした過去の文化、哲学で、打開しようとは思わない、過去とは、この核汚染の絶望とは違うのだとの、新しき人の、新しき哲学が要るのだとの、今や人間の問題ではなく、空気、水、海、山の問題であるのだとの、


ヘレン・シャルフベック


フィンランド女性画家、3歳で交通事故に合い、肢体が不自由に、生涯その身辺と自画像を描き続けた、私とは何かを、老い崩れ逝く自らをも、死臭漂い、白骨化、気化していく存在の最期までを見つめ、今や私は、この星と、この星の破滅を、ヘレンのように最後まで見つめ続けなければならない、


安保法制


尖閣が、竹島がと議論している輩、まるで自分の島のように、そして侵略に対しては国を守らねばと、自分の家のように、彼ら何の不利益、抑圧もない、権力者でもないのに、国を幻想し、国に帰属し、プロパガンダに乗せられていく、国家というものが、民族、文化、を拠り所として、歴史的に作られた支配構造であるだけなのに、彼らはそこに内なるアイデンティティーを持ち、生息場所として、生き、死んでいく、地震も、核汚染の土地も、自らの生息地として、逃れえぬものとして、


大江「晩年様式集」


レイトスタイルと銘打ち書かれたと期待したのだが、自分の人生への最期という感情は乏しく、通俗的表現、感情が鼻につき、流し読み、3.11で変化したのなら、自己省察、新たなるものへの希求が、しかし、この間私がやってきたような、再生への方法で、自己の過去作品への点検にしか過ぎず、トルストイ的、自己否定もなく、自己肯定のオプティミズムになってしまっている、自己批判を家族にやらせることの、家族を肯定的に描くことの、自作を意味づけることの、老人的、孫、子が可愛いと微笑むような詰まらなさ、


マルカム・ラウリー「火山の下」の引用、

3.11と放射能を語るが、口調の低級、スローガン的、未消化、

ラウリーの真似だが〜人物設定、視点等、

駄目なのは自作への視点の甘さと、自己肯定の気恥ずかしさ、

中野重治の言葉を引用して、自らへの侮辱を表明した大江、

自らへの侮辱とはどのようなものであったのかがない、

否定性の確立とは、いかなる絶望にも同調せぬことだと、そして私らは生き直すことができると、安直な楽天へと結ぶ、大江の雑な作品であった、

意思的楽天主義〜アランの言葉

そんなものが原発、核に対してなんら気休めにもならない、ただの痩せ我慢、痴呆に似る、

動物の野生こそ、絶望に対する方法だろう、死など知らないと、死ぬまで抵抗する姿こそ、絶望に対する唯一の方法だろう、作家が書き続ける、問い続けるとは、絶望しても死なないとは、そういうことだろう、

希望の定義をマルセルがしていたように〜形而上学日記、私は絶望の定義をしているのだった〜原発震災日誌、マルセルの最後は恩寵の覚醒、私の最後は生き物たちとの共感、

私が欲しいのは、人間は生きられるかもしれないという、否定と絶望を含んだ、肯定的希望であるのだった、その希望は人間の行動ではない、湯川の原水禁への思いではない、哲学上の、思想、人生観上の納得をしたいのだった、小熊の新しき人、個人による、オキュパイでもない、人間の行動とは、別の新しき人、別のマルセルの恩寵のような、存在への賛歌が欲しいのだった、圧倒的な存在への賛歌、原発も、核をも吹き飛ばす、人間、宇宙賛歌、サイードは言葉でそれを求めた、私は哲学に、思想に求めたい、転倒した、死に対する賛歌、悪への賛歌、絶滅への賛歌でもいい、この絶望に対する納得が欲しいのだった、

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