第1話 「失踪男、少女と出会う」
やってしまいました。
そうです。
現在絶賛失踪中です。
ことの顛末はおよそ数時間前。
私は会社に行こうと思って身支度をしていた。
ワイシャツ、ズボン、ネクタイ、スーツ。
いつもは私服でも問題ない職場なのだが、今日は本社の方に行かなければならないのだ。
気が滅入って仕方が無い。
いつもより朝早く家を出て車で駅に向かう。
駅に到着すると、改札口の向こう側で上司が満面の笑みでカップに入ったコーヒーを飲みながら私に手を振っていた。
「おはよう。寝坊しなかったな、偉いぞ」
「はは、おはようございます」
「そんじゃ本社でまた」
そう交わすと、上司は一足先にホームに向かっていった。
この何気ない会話の後に私は失踪したのだ。
何故。
いやいやいや、後から考えてみてもオカしいでしょう。
どこに失踪する要素があっただろう。
例えば上司と駅で会った瞬間何かしら喧嘩になったとか。
例えば重要な書類を昨晩無くしてしまったとか。
本当にこのまま何気なく失踪してしまったのでしょうか。
はい、そうです。
現在絶賛失踪中です。
ところで私が何処にいるか気になりますよね。
実は私も今どこに居るかわからないんですよね。
本社に向かうはずの電車を途中で降りて、見知らぬ駅で違う電車に乗り換えて。
あれよあれよと私を何処かへ運んでいってしまう。
このままだと延々と遠くへ連れていかれそうになるのでどこかで降りたい。
よし、かっこいい駅名で降りることにしよう。
そう考えていると、丁度良く車内にアナウンスが鳴り響く。
「え~、次は~菖蒲~菖蒲~」
すげえかっこいいのきた。
ここで降りよう、勝負しよう。
そう思っていると、車内にある電子表示板に菖蒲駅の次の駅名が確認できた。
本菖蒲。
おいおい、本気の勝負もあるのか。
わかった、そっちにしよう。
人生本当の勝負をしようじゃないか。
強がっておりますが、内心かなり不安でいっぱいなのはここだけの話としましょう。
ついに来ました本菖蒲。
時刻は午後2時。
さて、どうしましょう。
すぐに寝たい。
なんやかんや言って、正直俺のこのチキンなハートは不安で押しつぶされそうです。
本当に失踪なんかするんじゃなかった。
家族とか会社の人たちとか、今頃どうしているのだろう。
そんなことを考えるだけで胸が締め付けられるようだ。
カプセルホテルでも見つけてさっさと休みたい。
そんなことを考えていたら、ふとあることを思い出した。
昨今はネット喫茶で生活している若者がいるとかなんとかテレビで見たことがある。
しかも下手なホテルより断然安いらしい。
幸い駅の近くに、でかでかとネット喫茶という文字が貼ってあるビルを発見した。
助かった、ここにしよう。
店内に入ると、受付に顔立ちが整った若い男性が立っていた。
「いらっしゃいませ。当店のご利用は始めてですか?」
「あ~はい」
「かしこまりました。どのコースをお選びしますか?」
「い、一番安いやつでお願いします」
「かしこまりました。ご利用時間はどうなさいます?」
「一日で」
「かしこまりました。では、お手数ですがこちらに住所をご記入下さい」
最初の関門にぶち当たった。
さて、今の私の住所はどこでしょう。
実家から居なくなったのでもうそこに住んでいるワケではない。
では、ここに何を書きましょう。
このお店をしばらく拠点にするのだから、いっそお店の住所でも書いてしまおうか。
「じゅ、住所書かないと駄目ですか?」
後から気づいて、とんでもないことを口走ってしまったと思う。
「え!? そ、そうですね~、一日以上ご利用になる場合は住所をご記入頂かないといけません」
マズい、完全に怪しまれてる。
住所不定の奴が店に来たと思ってやがる。
残念だがその勘は正しい。
誇っていいぞ。
これ以上怪しまれても困るので、仕方なく実家の住所を書いた。
店員は不信感を拭い切れていない様子だったが、そんなことはお構いなしに私は会計を済ませてさっさと渡された番号札の付いてる部屋を探しに行った。
鍵を開けて部屋の中に入ると、なかなかの広さで感動した。
正直値段が値段だからあまり期待していなかったのだ。
もっと粗末で狭い部屋を想像していたのだが、これはなかなか悪くない。
とりあえず荷物を置き寝そべってみる。
足も伸ばせるし、寝心地も全然問題ない。
問題があるとすれば、心の問題か。
今更ながらどうしてこんなことになってしまったのだろうと、自責の念に押し潰されそうになる。
今は余計な事を考えないで寝よう。
そう思いながら床に就くことにした。
「―――おきて……。おきて……」
寝起きは最悪だ。
お腹がすごく痛い。
何も食ってないのに滅茶苦茶痛い。
お腹出して寝てたから冷えて下痢でもしたのだろうか。
「起きて……。起きて……」
外が騒がしい。
流石に壁は防音ではないようだが、それにしても滅茶苦茶五月蝿い。
「ん~、もういい……」
カタカタカタカタ―――。
音が近い。
というよりは最早私の部屋内で発せられている音だと確信した。
まだ寝ぼけ眼の私は、その音が発せられている方向に目をやった。
女の子だ。
長い黒髪の女の子だ。
パソコンで何か調べ物をしているのだろうか。
小気味好いタイピングの音がする。
少し待ってくれ。
ここは私の部屋だよな。
何で知らない女の子が部屋にいるんだ。
そんなことを考えている内に、女の子も私が起きたのを感じ取ったのか、私の方に目を向けた。
「あ、起きた……」
なんか言葉足らずな様子でぼそぼそ言っている。
「すみません、どちら様でしょうか?」
至極当然な疑問に対し、帰ってきた回答はこれだった。
「助けに来た」
失踪男は少女と出会った。