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おっさんについて説明しようとした時――。
終末の角笛でも鳴り響いたかのような轟音が、大気を震わせる。
鼓膜が破裂しそうなほど痛み、内臓が振動で掻き混ぜられているようだ。
「――」
振り向く途中、なにかを叫んでいるらしい、アズミとニオが視界に一瞬入る。凄まじい空気の振動に掻き消されて声は拾えない。
「――っ!」
自分の声さえ耳に届かなくなる暴力的な音の発生源へ目を向けると、圧倒的な質量を持つ化け物が咆哮を放っていた。
幸い、なのだろうか。距離はある。
いや距離があってこの音量、遠近感が狂いそうなほどの巨体、災いでしかないか。
神話に語られる、ミノタウロスのような牛頭人身。ただ、人身というには余りに巨大で厚みがあり、黒く禍々しい毛に覆われているが。
牛頭には、醜悪さに汚染されたかのような黒い長毛が垂れ下がり、動くたびに蠢くように揺れている。節榑立って湾曲した黒い角は、それだけで破城槌として機能して余りある暴威を振るえるだろう。
手前に多階層の建物が点在しているのに、胸から上が全て視界に入っている。
羽根大蜥蜴に数倍する体長の生物が、直立しているような状態だ。筋肉の鎧で膨れ上がった巨躯に鑑みれば、体積は数倍どころではないはずだ。
あれがラスボスだとしたら、このゲームはクリアできるようには思えない。あんな質量の化け物を、どうすれば討伐できるのか。あの巨体では、特権階級の少女が使っていた、巨大な肉切り包丁のような得物でさえ、かすり傷にしかならないだろう。
他にラスボスとなる存在がいて、あれを超える脅威であるとは、それこそ考えたくもない。
神か悪魔としか思えない、人智を超えた巨体は、咆哮を終えると石の建物を倒壊させながら、ゆっくりと移動していく。
――いや、巨体ゆえに、ゆっくりに見えるだけなのだろう。あれだけの巨体の歩幅。全力で走る馬ですら追い抜けそうだ。
移動することで視界に入った下半身は、黒い長毛に覆われており、足元は蹄であった。
驚くべきことに、腹から下腹部にかけてと、腰回り、さらには脛に、革の防具のようなものを身に付けていた。道具をつくる知恵と技術を持っているのか、そう言った存在が協力しているのか。どちらにしても、望ましくない情報が読み取れてしまった。
それに、あの巨体に合う革を何から剥ぎ取ったのだろう。
別な脅威の存在も透けて見えて嫌になる。
牛頭の巨人は、形状が人間によく似た掌で、大人を数人束ねたほどの太さがある、枯れた樹木を引き抜いた。
時折、移動の合間に立ち止まると、それを振るい始めるようになった。
応戦している者でもいるのだろうか。誰かを追うように、人が多くいるであろう区画から離れていく。人間を狩るために襲撃してきたとするなら不自然だ。
「まさか……」
どう見ても、地面にいる存在に狙いをつけて暴力を振るっている。
間違いない。誰かあれと戦っているのだ。
攻撃の度に、地鳴りのような振動が足の裏に伝わってくる。
手にした樹木が粉砕され尽くすと、痺れを切らしたように牛頭の巨人は瓦礫を拾い、それを横振りで放り投げた。
礫が散らばって降り注ぐ。凄まじい威力に、跳弾ですら樹木がへし折れている。
まるで生きた投石機だ。大軍で襲ったところで、一瞬にして甚大な被害が及ぶと、ひと目でわかる。
特権階級のチートにさえ見える力や、軍隊規模の数による暴力であっても、生身の人間が生み出す力では、歯が立ちそうにもない。
世界観的に存在していないだろうが、都市すら破壊できるような軍事兵器でもなければ、討伐など不可能に思える。
この島が都市としての生命を終えて廃墟と化したのは、この化け物が原因という設定になっているのかもしれない。
しばらくの間、あまりの出来事に、茫然と成り行きを傍観してしまっていた。
応戦している人間側は、すぐさま全滅してしまうだろうと、悲観的な予想をしていたのだが――。
牛頭の巨人の暴走は、一向に終わりを迎えない。それが意味するのは、対抗する勢力もいなくなっていないということ。あっちを攻撃し、こっちを攻撃し、と忙しないので、未だに複数人で戦っているのだと思われる。
再び、樹木を手にした牛頭の巨人が、しつこく同じような場所を攻撃する。かと思うと、死角から何かをされたかのように痛みに怯んだような動作をした後に、急激に振り返って、別の場所を攻撃し始める。
連携も取れているようで、あっさりと殺戮されているだけではなさそうだ。
それでも、牛頭の巨人に負傷らしい負傷はなく、反対にいかに特権階級であろうと、それの一撃すら耐えられまい。
結局、どう足掻いても討伐に至るとは思えなかった。
「見ていても仕方ないな」
「へ?」
アズミも俺と同様に、ただ呆けて成り行きを見守っていたようだ。間抜けな声を上げながら、我に返ったような顔になった。
ニオは近くの石壁から半身だけ出して、様子を窺っている。風化によって見るからに脆そうな石壁で、牛頭の巨人からの攻撃には、衝撃を弱める効果すらなさそうだ。
それでも、すぐさま事態を把握して、少しでも安全になるようにと動いた点は、褒められるべきかもしれない。
俺たちもニオを見習うか。
「役に立てるわけでもないし、あれから出来るだけ離れよう」
現状ではこの場にいても危険はないが、時間が無駄になっていくだけだ。離れれば離れただけより安全にもなるはず。
運よく。もしくは戦っている者たちが意図的に、本営から離れるように戦線は移動している。
先ずは、一刻も早く、まともな武器がない不安を解消しておきたい。
とはいえ、この厄災のような光景を見た後だと、伝説級の剣でさえ棒切れを持って戦争に臨むほどの安心感くらいしか得られそうもない。
「もう馬鹿じゃないの。ほんとにっ! ふざけないでよ!」
突然、アズミは地団太でも踏みかねない勢いで叫び出した。
「いや。ふざけてはいないんだけど」
まいったな。
ブチギレられるような提案ではないと思うが。
溜まりに溜まった闇というか、病みが噴き出してきた感じか。関わってはいけない者に関わってしまったのかもしれない。
「そうじゃなくて。あれよ!」
アズミは癇癪を起したまま、牛頭の巨人を真っ直ぐに指差した。奇行を繰り広げる彼女に、ニオは威嚇しながら、びゅっごう、とこちらも謎の奇声を上げている。
なんだ、この状況。俺の手には負えないんだが。
「こんなのゲームじゃなくて、処刑でしょ!」
「ああ。まあ」
主催者が処刑のつもりでいるだろうことを、否定はできなかった。俺もこれまで、幾度もそう思わされてきたのだから。しかも、今回は極めつけ感がある。
「鬼ごっこの、鬼みたいなものって考えるしかないな」
鬼に捕まったらゲームオーバー。死にたくなければ逃げ続けるしかない。そういうふざけたゲームなんだろう。もう、そういうものだと腹を括るしかない。
理不尽の度合いが突き抜け過ぎていて、逆に諦めがついた。
無理なものからは逃げながら、金さえ稼げばいいのだ。対抗しようとするから手詰まりになる。
「鬼ごっこって」
「鬼退治に向かっていった人もいるみたいだが」
「どう考えても、無謀ね」
同意だな。
あれと交戦している者たちには、恐怖という感情が欠落しているのではないだろうか。
頭のネジが弾け飛んでいるとしか思えない。
あれだけの質量。補正値の大小でどうにかなるものではない。仮想のゲームと違い、覆しようのない物理的な数字が立ちはだかる。
「作戦でもあるのか……」
「例えば?」
と訊かれても、俺に思いつくわけもなく。
「わざと飲み込まれて、腹の中から攻撃とか」
などと口にしてみたものの、ご都合主義のお話でもなければ。
「自殺行為ね」
先読み気味に言われなくても、わかっているって。
普通に考えれば噛み砕かれて死ぬだけだ。
「いや、そうか」
彼らは俺たちとは違うんだった。
「おそらくは、生身ではないからっていうのもあるのかな。遠隔偽体だったら、壊されるだけで死にはしないわけだから。特権階級の連中なら無茶もできる」
――だろう、か。
「なんのために無茶してるっての?」
冷笑気味にアズミが口元を歪ませた。
確かに。
遠隔偽体が壊されれば、それまでに費やした資産に損失が発生する。
これだけの時間に及んでも、まだ抵抗が機能するほどに多くの特権階級の者たちが、人助けの為にあれと一戦交えよう、などと考えるとは思えない。
勝算もしくは、少なくても利益がなければ、無茶する意味が――。
「ああ、そうか」
あるんだったな。
「ゲームオーバーか」
何もせずとも終わってしまうのならば、ということだろう。それを理解している特権階級の探索者が、否応なく動いたわけだ。
「にしては、というか。さすがは特権階級というべきか」
建物や距離の関係で姿は確認できないが、意外と脱落者は少ないと考えられる。
「ちょっと」
ここに至っても、牛頭の巨人が攻撃の手を緩めた様子はない。
「ごちゃごちゃ言ってる場合じゃなくない?」
あれだけ大暴れしなければならないということは、抵抗する側にもそれなりの数がいる証左になる。
「どうでもいいけど。逃げるんでしょ」
「ああ、うん」
そうだった。神話の化け物と英雄の戦い、ほとんどその域に達している頂上決戦の心配なんてしている場合ではない。
底辺には底辺の現実がある。
探索団が撤退するような状況になれば、ゲームオーバーではある。だからといって、俺たちになにか出来るわけではない。あの戦いに交じっても、俺では牛頭の巨人には何らの痛痒も与えられはしないだろう。それどころか、進路に重なりでもすれば、踏み潰されて地面の染みになる結末が目に浮かぶ。
などと、考えていると――。




