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 目の前にある紙媒体のマニュアルに、額から垂れ落ちた汗が染み込んでいく。

 握りしめられた掌の内にもじっとりと汗が滲み、不快であった。

 今後の人生をなんの憂いもなく生きていきたくて、父の代りにゲームに参加したというのに、人殺しになるのはほぼ確定だなんて。

 それでも、いまさら投げ出すわけにもいかない。

 というより、投げだす方法すらない。

 あったとしても、どのみち弟や妹の将来のために、俺自身の人生はもはや汚すしかなかったのだろう。


「なんなんだ。この大掛かりな犯罪組織は。この国の司法はなにやってんだ」


 世界の全てが敵に回ってしまったような孤独感から、独り言が止まらない。


「まあ、今後は俺も犯罪者だからな。司法が(ざる)であったほうがいいのか」


 言いたくもない皮肉が、口を滑って出てくる。


「只今より一時間以内に初期設定を終え、身体改造処置を開始してください」


 マニュアルを読み込んだり、落ち込んだりしていると、無機質な音声の放送が流れてきた。

 全員分の身体データの収集が終わったのだろう。いよいよ、ゲームの開始が迫ってきているわけだ。

 指の先まで重くなるような不安感が込み上げてくる。


「のんびりし過ぎたなあ」


 思わずぼやきながら、部屋の中央にある白い筒状の筺体に近付く。

 本来なら、初期設定にもっと早めに取り掛かるべきだった。マニュアルに手順は載っていたのだ。

 のんびりというか、放心していたというのが実状で、とても的確な行動など望むべくもない状況だったのだが。

 とはいえ、気持ちを固めている余裕さえ与えられなかった者も、大勢いるだろう。


「このパネルで設定するんだよな」


 プレイヤー名を入力してください、と投影されたパネルが目に入る。


「どうしようか」


 実社会に戻った時に、他の参加者に身元が割れないように、本名とは掛け離れたものにしておかないと。

 実質的に、借金を返して生きながらえるために、人を殺した人間として社会に戻るのだから。

 古代で神話も実在する世界か。

 一応、ゲームの世界観に合わせて、さらに(もじ)っておく。


「イザナ・カミノギ、と」


 (いち)探索者である人間が使うにしては、仰々しいかもしれない。しかも、痛々しい感性の子供が好んで使いそうな感じである。

 そもそも、古代は古代でも、どの地域を想定しているのかもわからないからな。

 考え直すべきかどうか迷う。


「どうでもいいか。そんなもの」


 名前に時間を割いている場合ではない。

 これで決定してしまう。

 相変わらず、独り言が止まらないな。

 それだけ、正常な精神ではない証拠なのだと理解はしているのだが。

 できるだけ冷静でいないと、取り返しのつかない失敗につながってしまう。


「ふう」


 深呼吸とまではいかない程度。気持ち大きめに息を吐く。


 次に「補正値の割り振りを開始します」のアイコンが映し出された。

 マニュアルによると、最初にランダムで能力の補正が割り振られ、十億円あれば振り直しが可能とあった。高補正であれば有利に進められるはずなので、ここでも財力が物をいう仕様になっている。


 当然、俺は無一文なので振り直しは不可。一発勝負となる。

 生存率にも係わってくるので、是が非でもまともな補正であって欲しいものだが。

 祈るような気持ちでパネルに触れ、ランダム割り振りを実行する。


 身体能力補正。

 反射神経補正。

 持久力補正。

 防御力補正。

 生命力補正。

 魔法力補正。


 割り振られる補正値はこの六種類。


 補正の強度は、微小、小、中、大、極大の五段階。


 微小は三十パーセント。

 小は四十パーセント。

 中は二十パーセント。

 大は九パーセント。

 極大は一パーセント。


 マニュアルに記されていた確率はそうなっていた。

 マニュアルでは説明されていないため、現時点では一段階あたり、どれほどの差が出るのかはわからない。


 ※補正は収集した本人の基礎能力との比較。体調、環境などにより誤差が生じる。


 との注釈があり、やはり補正値が大きいに越したことはない。

 いや、基礎能力との比較で、魔力って、という疑問はあるが。

 ゼロに補正を掛けてもゼロだろ、という。

 考えてもわからないから、結果が出てから検証するしかない。

 贅沢は言わないので、微小が二つ以下にはなって欲しい。

 もちろん、一つもないに越したことはない。


 当然、極大、せめて大が一つはきてくれ、と表向き控え目に祈る。

 本心では、そんな補正がずらりと並んでくれ、という願望で溢れているけど。

 パイプオルガンの音が響くような効果音とともに、一つずつ補正値が決定していく。


 結果は――。


 身体能力補正、微小。

 反射神経補正、微小。

 持久力補正、微小。

 防御力補正、小。

 生命力補正、微小。

 魔法力補正、微小。


 見間違いだよな。

 ……おかしい、何度見ても結果が変わらない。


「おい。ふざけんな!」


 ゲーム開始前から、既に詰んでしまったかもしれない。

 数千人いて数人くらいしか借金返済に成功しない難易度であるようなのに、最弱の可能性さえある引き。足掻く気力さえ奪われていくようだった。


「最悪だ」


 無意識のうちに、掌に爪が食い込んでいた。

 喉がからからに乾いていて、声も(かす)れてしまう。

 ふと、パネルを見ると「次に進む」のアイコンの他に、「十億円を支払い全て振り直し」とのアイコンがある。


 他にも――。


 微小のみの振り直しができます。

 一箇所目、二十億円。二箇所目、百億円。三箇所目、五百億円。


 借金での振り直しの場合も微小のみ振り直しができます。

 一箇所目、百億円。二箇所目、五百億円。三箇所目、二千五百億円。

 と注釈があった。


 確かに「微小」の下にも振り直しのアイコンが発生している。

 マニュアルには書かれていなかった救済措置らしい。

 このままでは厳しいのは目に見えているが、たった一箇所振り直すだけで百億円も借金が増える。

 二箇所直すなら合計で六百億円も借金の増額だ。


 いくらなんでも二箇所は無理だ。

 一箇所だけ振り直してどれほどの効果が期待できるだろう。あまりに分が悪くはないだろうか。

 それに同値の補正が、再度出る仕様なのかがわからないのも怖い。もし、また微小が出てしまったら目も当てられない。

 しかし、後ろ向きな気持ちに引き摺られて、思考停止していられる状況ではない。無理やりにでも突破口を探しださなければ、死んでしまうのだ。


「三百億でも、もとより一か八かなんだ」


 やけくそ気味に吐き捨てて、震える指で振り直しのアイコンを押す。

 情報が少ないので、自ずと選択肢は一つになってしまう。一箇所だけ改善されて逆転の目が多そうなのは魔法力補正だ。


 頼む、極大来い。

 頭痛がするほど真剣に願う。望みが薄いのは承知のうえだ。

 それでも、もしかしたら。

 結果は――。


 魔法力補正、中。


 ああ、なんだろう。

 文字通り余命宣告を受けたような気分であるのに、微風でさえ消し飛ぶほどささやかな安心感もある。

 複雑だ。

 七割の確率でもっと低い補正であったと考えれば、及第点ではあるのだろう。生き残るのに充分であるかはあやしく、百億円の価値があるのかも大いに疑問だが。

 さて、二箇所目の振り直しは自殺と同義なので「次に進む」を押す。


 今度はランダムでスキルの取得のようだ。

 マニュアルによると、このランダム取得でしか手に入らない、希少な特技や魔法もあるらしい。

 やはり振り直し金額なども載っていた。

 俺には財布の中身どころか財布すらなく、借金しかない。例の如く振り直しは不可だ。

 補正同様に、例外があってもまともな金額ではない借金が課せられるはずだ。

 スキルの取得を開始します、のアイコンを押す。


 兎脚の模倣、LV1。

 瞬き蜂の呪印、LV1。

 打撃耐性、LV1。

 生命力増加、LV1。

 使い魔使役、LV2。

 魔法出力低下、LV3。

 冷気耐性低下、LV3。

 電撃耐性低下、LV1。


 入手したスキルの説明が記されている羊皮紙が、白い筒状の装置から出てきたので、目を通す。


 兎脚の模倣。魔力を消費して跳躍する。跳躍の飛距離と速度が増加する。

 瞬き蜂の呪印。呪文を唱え手で印を結びながら魔力を消費する。対象の反射神経を強化する。

 打撃耐性。打撃に対する耐性が上がる。

 生命力増加。生命力を増加する。

 使い魔使役。使い魔契約の儀によって契約した使い魔の、使役練度が上がる。

 魔法出力低下。一度に使える魔力量に制限が掛かる。

 冷気耐性低下。冷気に対する耐性が低下する。

 電撃耐性低下。電撃に対する耐性が低下する。

 

 この世界は、俺の願いが叶わないようにできているのだと悟った。身に憶えのない前世の悪行あたりが影響しているとしか思えない。

 一応、またしても「次に進む」のアイコンの他に、全ての取得スキルの変更が可能です。「十億円を支払う」のパネルがある。


 それと――。

 弱体スキルのみ個別の変更が可能です。

 一箇所目、二十億円。二箇所目、百億円。三箇所目、五百億円。


 弱体スキルのみ借金での個別の変更ができます。

 一箇所目、百億円。二箇所目、五百億円。三箇所目、二千五百億円。


 ――との表記。


 魔法出力低下、冷気耐性低下、電撃耐性低下、の下に「ランダム変更を行う」「借金でランダム変更を行う」と二つのアイコンがある。


 さすがにここでさらなる借金は無謀だろうか。スキルの説明が不親切で判断材料が少ない。

 ただ、想像できてしまう。

 ここで魔法出力低下を消しておかなければ、先ほどの借金が意味をなさなくなり、ゲームでの生き残りも絶望的になる惧れが多分にある。


「やるか」


 やけくそ気味な感情に衝き動かされているのが自覚できる。

 自分の手ではなくなったかのように、意思に反して震えが止まらない。押し間違えないようにだけ注意し、覚悟を決めてアイコンに触れる。


 魔法出力低下、LV2。


 絶句。

 同じスキルになる確率はどれくらいだろう。

 申し訳程度LVは下がっているが、だからどうしたという気持ちしか抱けない。

 まさか外部から操作されていたりしないよな。だとしたら、とんだ詐欺だ。しかも訴えようがないという悪質な。

 急に目の前が翳ったようだった。


「嘘だろ。百億だぞ……」


 ようやく出た声は、さらにひどく渇いていた。

 再び変更すれば借金は倍の一千億円になる。このままゲームを始めれば頼れる能力がない。進退窮まった感がある。


 平静を保つには、自分を騙すしかないところまできてしまった。

 正解はあると仮定してどちらか選ぶしかない。


「そうだ。忘れていたな」


 まだこのままゲームが始まるわけではない。焦りすぎて冷静さを失っていた。

 となると考えるまでもないか。


「借金一千億円は無理だ」


 賭けに出るべき方向は決まった。

 魔法出力低下が危惧しているほどの問題ではないと信じて、続きを進めていくしかない。


 ◇


 ランダム取得の次は、一定のポイントで通常の特技や魔法の取得になる。

 マニュアルによると、初期に取得用のポイントが10ポイント与えられる。

 新規での取得の必要ポイントを基準にすると、LV1からLV2に上げるポイントは三分の一となる。LV3はLV2の二倍、LV4は三倍、LV5は四倍のポイントが必要となっている。


 要するに取得が3ポイントのスキルなら、ポイントを3消費でLV1、そこから1ポイント消費でLV2、次は2ポイント消費でLV3、さらに3ポイント消費でLV4、LV5には4ポイント。

 取得が6ポイントのスキルなら、LV2にするには2ポイント、LV3には4ポイント、LV4には6ポイントといった具合だ。


 能力のビルドに対する情報は非常に少ない。自身が手に入れたスキルの、不親切な説明のみが手がかりである。

 考えてみると、能力ビルドに関しては奴隷階級に優位性がある。


「いや」


 システムの改修をしているらしいので、前回と同じと考えた者は、裏を掻かれてしまう恐れもあるか。

 特権階級は、全てにおいて優遇されているので考慮するに値しない。一部のスキルについて裏を掻かれたくらいでは、困りもしないだろう。


 俺の場合は、どのみち有用なものを予想して作ってみるしかない。あわよくば、魔法出力低下というハンデを覆す手段もあると助かるところだ。


 ◇


 スキル取得表から、熟考した結果選んだスキルはこうなった。


 使い魔契約の儀、LV1。

 消費魔力量低下、LV2。


「……どうしてこうなった」


 一応の理由はあるのだ。

 使い魔契約の儀が無ければ、使い魔使役が無意味になるとしか思えなかった。それに、使い魔が戦力として役に立つかもしれない、という淡い期待もある。


 使い魔に壁役をやらせて、俺は後方から遠距離攻撃武器や魔法で、という構想も持っていたりする。なにせ、身体能力の補正が低いから、近接戦闘は避けたいのだ。もしこれで、偵察くらいしかこなせない小動物を扱う能力だったら悲惨だ。


 消費魔力量低下は魔法出力低下への対抗処置として取った。


 取得に必要なポイントが使い魔契約の儀は6ポイントで、消費魔力量低下は3ポイントだった。消費魔力量低下はLV2にしたので、10ポイント使い切っている。


 予定ではこのスキル取得の選択で、逆転の一手を指すはずだったのに、対処療法で終わってしまった。

 ちなみに特権階級用に、五十億円払えば追加で5ポイント貰える要素もあった。

 さらに高額で、さらなる追加ポイントの取得も当然の如く。


「俺には関係ないけれど」


 溜め息を圧し殺しながら、決定のアイコンを押す。

 すると、またしても説明文の記された羊皮紙が出てくる。


 使い魔契約の儀。儀式により対象と使い魔契約を結ぶ。

 消費魔力量低下。魔力を消費する行動を取った際に、消費する魔力を減らせる。


 概ね、想定していた通りの内容である。

 説明不足なところも予想通り。

 なんにせよ、次の設定に進むしかない。


 もう、どんな結果だろうと、俺の生存能力が人より優れている可能性に賭けるしかない。

 要は、誰よりも要領よくお金さえ稼げばいいのだ。

 そういうゲームだったはず。

 強ければ有利なだけだ。

 そうとでも考えなければ、心が折れてしまう。

 まったく碌でもねえな。

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