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「おい。にいちゃん、大丈夫か?」


 声に聞き憶えがある気はする。

 頭を上げるのも億劫であった。首を傾けて、視界を上に向ける。

 短槍を肩に担いだ、日本人と思われる中年探索者が見下ろしていた。

 短く刈られた髪。日に焼けた肌。目尻には皺。外で体を動かす仕事をしている中年男性といった印象であった。理知的な眼光が、少しだけ警戒感を促してくる。


「正直。大丈夫じゃない……」


 折れた槍が刺さったままの脇腹を押さえながら、吐き気をこらえる。

 気を抜くと、ごぽ、ごぽ、と口から血が(こぼ)れ出る。


「止血剤と造血剤を売ってやろうか?」


 中年男性はベルトに固定された革の鞄から、白い液体と赤い液体の入ったガラス瓶を取り出す。


「それがあれば、助かるんですかね」


 投げ遣り気味に口を開く。

 もう諦めて楽になってしまいたい、という気持ちに侵食されつつあった。


「命を取り留められる可能性は、それなりにあるだろうな」


 完治までの時間が延びる代わりに、傷口に掛けるだけで瞬時に血を固める薬と、経口摂取するだけで、失われた血の代わりになる薬だと説明を受ける。

 現時点では、俺より効率よくゲームを進めているのだろう。彼が所持している薬は、かなり効果が高い物であるらしかった。


 技術的には有り得ない話ではないだろうし、信じてみるしかない。

 ナノマシンを利用した医療品によって、短時間で肉体を修復する技術はすでに世に出ている。効能的にはそれを劣化させた物でしかない。


「金額は?」


 問うと。

 数瞬、中年の男は考えるように黙りこんだ。


「俺も、金が必要なんでな。四千万ゴードで売ってやるが」


 持っているか、と問うような口調。

 彼も借金持ちの参加者のようだ。半死半生の相手であっても、金銭を要求しなければならない世知辛さに、苦悩しているような表情をしていた。

 演技なのか、素の反応なのか。


「はあ。ありますよ」


 ぼられているのだろうな。

 それでも生きるか死ぬかの瀬戸際なので仕方ない。この苦痛から速く脱したい、という欲求も強くあった。値切る手間さえ惜しい。

 ニオに指示して、布袋に入れて小分けにして防具に固定しておいた、赤みを帯びた金貨を取り出させる。


「一、二、三、四枚で、四千万ゴード。……どうぞ」


 ニオから金貨を四枚受け取り、中年男性に差し出す。交換でガラス瓶を二つ受け取る。


「こっちは飲んで、そっちは傷口に掛けろ。痛むだろうが、脇腹の傷には奥まで突っ込んで流し込めよ」


 酷なことを言う。


「奥までって」


 思い切って槍を引き抜く。


「がぁああああああああああ!」


 ――。


 激痛に一瞬、意識が消えていた。

 さらなる量の血が流れ出す。


「だ、大丈夫か」


 白い液体の入った瓶の蓋を開けて、傷口に近づける。


「表面の傷だけ塞いでも、内臓から出血したままだったら死んじまうぞ」


 理屈は分かるが。

 もうすでに耐え難い痛みなのに。

 実行に移す踏ん切りがつかず、呼吸だけが異常に速くなって手が止まる。


「ああっ!」


 突然、ニオが俺の手から瓶を奪い取る。

 思考が停止した。


「アホかー! 痛ってええ!」


 ニオは躊躇(ちゅうちょ)なく傷口に瓶の口を突っ込んで、液体を流し込んできた。

 傷口から、ジューと肉が焼けるような音と煙が発する。白い液体が傷口から溢れる血と混ざって、薄紅色に変化しながら固まっていく。


「むぐうぅううう」


 キルティングアーマーの籠手部分の革を噛んで、痛みに耐える。

 焼鏝(やきごて)を押しつけられたような痛みが続く。

 いつまで続くのか。

 気が遠くなりかけたところで、傷と薬の接地面から泡が発生し、炭酸がはじけるような音に変化した。


 やがて煙が完全に治まると、傷口に蓋がされて血は止まっていた。薄紅色のゴムがへばりついたような見た目であった。

 時間とともに、痛みも幾分やわらいでくる。

 それでもじくじくする痛みと、突っ張った感じは残った。


「はぁあああ。死ぬかと思った」


 深く息を吐き出しながらニオを睨むと、彼女は得意げというか、やりきった感を醸し出した顔でうなずいている。

 実際、非常に助かったのだが、なんか腹が立つ。


「にいちゃん。大丈夫そうか?」


 周囲の警戒をしていてくれたらしい中年の探索者が、険しく引き攣った顔になっていた。


「三途の川で溺れて、渡り切れずに戻ってきた気分です」

「よくわからんが、結構えぐいのな……」


 効果と用法を知っていただけで、薬を使用した現場は初めて見たのか。


「ですね」


 しかもまだ、終わっていないという……。


「他の傷は、自分でやるから」


 手を差し出して、ニオから瓶を受け取る。

 残った液体で腕と太腿と脛の傷も処置していく。三箇所とも一気にやってしまう。こちらは短時間で塞がり、痛みもまだ耐えられるくらいであった。

 怪我の処置が完了した時には、止血薬は八割ほど使ってしまっていた。


 薬が固まって止血された箇所を確認する。

 傷が治ったわけではないので痛みも残り、筋肉が修復されるまでは、動きもぎこちなくなるだろう。完治までの時間も、むしろ長くなると説明を受ける。傷の程度によっては、薬での治療が最良とは限らないな。

 命に関わらない怪我は縫合で対応できるように、道具を調達しておきたいところである。


「……頭がくらくらする」


 処置中に失った血もあって、体温が落ちて視界も霞んでいる。万が一があっては(こと)なので、造血剤も飲んでおく。

 高価な薬なので、飲み干さずに半分ほど残した。体調の戻りが遅かったら、残りも飲むことにする。

 薬瓶にしっかりと蓋をしていると、中年の探索者が気の抜けた「やれやれ」という声を出した。


「どうやら、襲撃も終わったようだな」


 彼が顔を向けた先を見ると、怪我人を運んだり、蜥蜴人の死体を確認したりと、戦後処理に入った人々が映る。


「助かった」


 血が足りなくて、とても戦える状態ではなかった。

 足に力が入らなくて、立ち上がることすら出来そうもない。このまま襲撃が続いていたら、ここで座して死を待つしかなかった。

 今晩は、ここで横になろう。

 精神が麻痺したのか。体調に問題があり過ぎて、気にする余裕がないのか。もはや近くに死体があっても普通に眠れそうだった。


「蜥蜴人の死体も、換金できるとは思うが」


 俺の視線に釣られたのか、周囲の蜥蜴人の死体を見ながら、中年の探索者が呟く。


「と言っても、解体とかはしたくないな」


 彼らは知性ある存在であった。実質的には人間の死体と違いはない。金の為に死体を引き渡すだけでも、多少の抵抗感はある。まして、換金部位を剥ぎ取りとなれば、忌避感で吐き気がする。


「いや。まあ、素材としてというより、討伐報酬くらいは出るんじゃないかってことだ」

「なるほど」


 確かに、防衛に参加した見返りくらいは貰わないと割に合わない。いや、確実に割には合わないか。間違いなく赤字だろう。


「誰がどれだけ倒したのか、確認のしようはなさそうだけど」

「つっても、ここらの死体は、にいちゃんの手柄だろう?」


 中年の探索者の問いに、俺は首を横に振る。


「あっちは、二人組の兵士が。あれは、肉切り包丁を持った少女が仕留めたやつです」


 滅多刺しにされた蜥蜴人と、上半身と下半身が泣き別れになった死体を指差す。気持ち悪いので視線はすぐに外した。


「ああ。あの嬢ちゃんか。でかい蜥蜴の化け物も、あっさり解体してやがったな」

「羽根大蜥蜴もいたんですか」


 いよいよ、あれがボスでもなんでもない説が有力になってしまった。

 狂気の沙汰だな。

 もはやこのゲームは、負債者の処刑場である。


「ん? だな。五体も現れた時には死を覚悟したが、嬢ちゃんが肉切り包丁片手に、全部瞬殺しちまった。さすがに俺も、腰を抜かすところだったな。どっちが化け物なんだって話だよ」


 へっ、と中年探索者は皮肉げな笑いを上げる。


「五体を瞬殺、ですか」


 会話をしながら、俺は身体に熱が戻ってくるのを感じていた。早くも血が身体に戻ってきたらしい。

 造血剤は即効性があって、危急の場面では効果覿面(こうかてきめん)だ。


「まあな。冗談じゃなく一振り一殺。五振りで五殺。すべての死体が真っ二つに両断だったな」


 特権階級と、俺たち下層階級との差が、あまりに絶望的すぎる。

 予想通り。ほとんどのゲーム内資産を、特権階級が吸い上げてしまうシステムになっているようだ。能力差から出し抜くのは難しいだろうし、相手に提供できる利点もないので取り入るのも難しいだろう。

 ――どうしたものか。


「あれも、吹き飛びながら真っ二つでしたね。羽根大蜥蜴でさえ、一撃で両断なら当然の結果か……」


 あまり目に入れたくない惨状を晒している死体を一瞥し、俺は深い溜め息をついた。

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