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小柄な個体であった。
俺よりも身長は低く、前傾姿勢なのでさらに小さく見える。
小柄さを活かして、どこからか潜り込んできたのだろう。怪我らしい怪我も見えない。
完全に俺とニオが標的になっている。
粗雑な防壁前では、人間側優位に戦況は進んでいる。しかし、こちらに援軍は期待できない。誰も彼もが手一杯な状況である。倒れ伏して動かなくなっている人間もいる。蜥蜴人の戦闘力は一般的な兵士を上回っていた。数で押しているからこその現状である。
殺意の籠もった視線とぶつかった瞬間。
両手に小型の手斧を構え、樽や篝火の間を縫うように疾駆してくる。想定を上回る速度だったので、目で動きを追うだけでも苦労する。
速度上昇関連のスキルを使っているのか、素で脚力に長けているのか。
同じ蜥蜴人でも体格や戦闘技量に差異があるのは厄介だな。相対してみるまで、脅威の度合いがわからない。
明りの少なさ、揺らめきや、遮蔽物の陰になった暗がり。それらが視界の悪さを助長する。
「ったく!」
相手が速度に特化していそうだからこそ、瞬き蜂の呪印を行使しておきたかったのだが。
態勢を整えている暇もない。
目前まで迫った蜥蜴人の疾走体勢が傾く。体格に劣るニオが狙われている。
「行かせるか!」
戦鎚を振って進路を塞ぐ。
蜥蜴人は身軽に跳躍して、戦鎚の軌道の上を越えていく。ニオは俺の身体を間に置くように転がりこんで、間一髪で手斧の一撃から逃れた。
追撃される前に、戦鎚を振りまわして攻撃を加えるが、素早く上体を振って避ける蜥蜴人にはかすりもしない。
手数を増やす目的で、蹴りも織り交ぜる。
太腿の傷の痛みで動きが鈍った。
「やば」
蹴りの打点に手斧が添えられる。
寸でのところで、強化された反射神経によって膝を曲げ、崩れた体勢のまま地面を転がって距離を稼ぎ、即行で構えて仕切り直す。
攻撃の流れが途切れたのは失敗だった。
初撃をいなされてからは、相手の反撃の手数が増えていき、ついには防戦一方になる。
後退に次ぐ後退。
背後の状況に気を払う余裕もない。何かに躓けばそれで詰む。
両手から繰り出される攻撃に、対処が追いつかないのだ。
味方からの距離も離れてしまうが、その場で凌ぐ技量もなく、一歩一歩が博打になる後退を繰り返す。
このままでは、押し切られる。
逆転を狙って無理やり振るった戦鎚が手斧とぶつかる。
木製の柄が嫌な感触を返す。
まずい。
壊れかけているのか。
挙句、あっさり反撃を受けて、戦鎚を持つ腕を手斧が掠める。
動揺してしまい、盾で防ぎきれなかった脛にも攻撃を受けた。速度重視の攻撃であったので致命打ではないが、行動に支障は喫してしまう。
限界に達する直前、ニオが投石で蜥蜴人を牽制する。手斧で容易く防がれるが、手が止まった隙に距離を置く。
「あっぶねえ」
しかし、勝利に繋がる手立てが思いつかない。結局、再接近されて同じ展開に戻ってしまうのは目に見えている。
打開するには接近の瞬間に集中して、一撃を加えるしかない。
ためらっている余裕はない。
どこでもいい。打撃を与えれば動きは鈍る。
神経を研ぎ澄まし、呼吸さえも止める。
心音さえも煩わしい。
動いた。
やはり疾い。
「ここだ!」
力を籠めるという作業。ここで僅少ながら筋肉に停滞が発生する。強化されている身体能力でも、初動の筋肉硬直は無くならない。
振り遅れた。
完全に速度が足りない。
それでも、避けにくい軌道を心掛けて、戦鎚を斜めに振り下ろす。
技量が足りていなかった。蜥蜴人は出遅れた戦鎚を掻い潜り、通り過ぎていく柄頭の脇をすり抜けて接近してくる。
蜥蜴人は完全に攻撃体勢に入っているのが目に映る。
あきらかに防御は間に合わない。
首を刈る軌道で手斧が迫る。
避けようもなく、終りが訪れる。
――瞬く間もなく。
あまりにも暴力的な一撃であった。
蜥蜴人の生み出した推進力は無に帰し、真横に吹き飛びながら千切れ飛んでいく。
蜥蜴人は上半身と下半身が無残に二つに分かれて、地面に転がった。悲鳴さえあげる暇を与えない。
あまりの事態に体が固まってしまう。
無慈悲な斬撃を生みだしたのは、華奢な人影と、それが手にする圧倒的な質量を持つ無骨な肉切り包丁。
違和感に目を疑う。
目を瞑り、再び開く。
それでもやはり、刃渡りだけで大人の身長に比肩する凶器と、
「子供……?」
いや、違う。
華奢な体躯は子供だからではなかった。こんな場所に女性がいるという考えを、なぜか排除していた。参加者に女性がいたのは目にしていたはずなのに。
端正な顔立ちが冷たく一瞥してきた。
少女から女性への階段に、片足を掛けている年齢といった見目。
子供扱いに気を悪くしたのか、それとも俺が下層階級であるからなのか。
物を見るような、虚無を秘めた瞳。
場にそぐわず艶めいている黒髪は、風に吹かれて頤を撫でる程度に切られている。おそらくは遠隔偽体なのだろう。戦場にあっても、生理的な汚れを一切纏っていない。
息が詰まる。
「悪い。助かったよ」
絞り出すように言葉を紡ぐ。
色素の薄い唇が微かに動く。
しかし、言葉は生み出されず、視線も外れた。
わざわざ相手にする価値を見出せなかった、という感じであった。
まあ、それもそうか。
彼女が纏うのは白を基調とした服。腕や脛など、部分的に装備された黒い革の防具は、仄暗い紅の粒子を滲ませた魔術的な要素があり、高価な品であるのは間違いない。他にも銀の装飾品をいくつか纏っており、それも何らかの効果がある品に違いない。
比するに俺が身に纏っている防具など、塵みたいなもの。
見るからに特権階級である彼女にしてみれば、借金に塗れた俺に時間を割くのは、無駄でしかないだろう。ゲームが終わった時には、高確率で死んでいるであろう相手でしかない。
どう思われていようと、そしてどんな意図があったにしても、命の恩人には違いない。
「危うく死ぬところだった。ありがとう」
こちらが感謝の念を抱いていることを伝えておこう。
やはり俺の言葉に反応はなく、彼女は踵を返し去っていった。
緊張を解すべく息を吐き、それから周囲を見回す。
少女が去っていった方向には、崩壊しかけた石材建築群があり、遠くまでは見通せない。奥からはわずかに喧騒が聞こえる。現在はそちら側が、生と死が交錯する前線に違いない。
最初に配置されて投石を行っていた方向には、篝火の奥に闇と静寂があるのみで、戦闘は落ち着いたようであった。
現状で迫ってくる敵影はない。
ようやくできた間隙に、瞬き蜂の呪印を自分とニオに発動しておく。ついでに、あがった脈拍を整えるだけの時間が確保できた。
しかし――。
特権階級の連中の戦闘力は桁違い過ぎる。
ハバキリという青年もそうであったが、肉切り包丁の彼女も、敵対する者にはもはや死神と同義だ。
振るえば確実に命を刈りとる、死神の鎌の一撃そのもの。
俺が手にしている貧相な小盾や、草臥れた鎧など、紙切れ同然に微塵の抵抗もなく両断されるだろう。
参加者同士の争いが禁止されている文言がない、という状況なだけに不安が募る。もしサイコパスの金持ちが、このゲームに参加していたら最悪だ。
袖を掴まれる感触に、益体もない思考を振り払う。
ニオが暗がりを指差している。
「はあ。まだ終わってはくれないよな」
しかも次は二体同時である。双方ともに片手に薄汚れた鉈を持っている。
篝火に照らし出された蜥蜴人には、多少の戦闘痕があった。出血しているようなのでニオの出番だ。瞬き蜂の呪印の効果もしばらくは発揮される。
それでも、俺たちには荷が重いな。二対一でも押され気味なのに。
「いや、追ってきている兵士たちがいるな」
四対二であればどうにかなる公算は高い。
それにまだ距離がある。接敵前にできるだけ手を打って、優位性を高めておかなければ。
「ニオ、そこの手斧を投擲後、流血の呪印だ。その後は回避重視で、さっきみたいに援護してくれ」
ニオに小柄な蜥蜴人が扱っていた、柄の折れた手斧を拾わせる。肉切り包丁の一撃で、破壊されたらしい。
指示通り、ニオは持ち手がほとんどなくなった手斧を、器用に投げつけた。
自分自身も、若干大きく持ちにくい角ばった石片を拾って、ほぼ同時に投げる。
ニオの投げた手斧をかわした右の蜥蜴人に、俺が投げた石片が鈍い音を伴って命中する。暗くて石片を見逃したのだろう。まともに胸部に入った。
石片が命中した蜥蜴人は苦しそうに倒れこんで、地面をのたうちまわる。
左を走る蜥蜴人も、警戒から足を緩めた。
追いついてきた兵士が、倒れ込んだ蜥蜴人に槍を突き込み、とどめを刺す。
二人目の兵士まで一緒になって滅多刺しにしている。
「感謝する!」
兵士の片方が、こちらに声を張り上げた。
もう一方の蜥蜴人は形勢不利を悟って、石材建築群に挟まれた小路へと逃走していく。二人の兵士はそちらを追い掛けて姿を消した。
拍子抜けするほど、苦も無く切り抜けられたな。




