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 探索団本営から出ると、すでに露天酒場は解散していた。

 状況が状況だから仕方ない。

 酔っ払っていた者はほとんど避難したのだろうが、酔ったまま防衛に参加しに行った者もいるのだろうか。


 探索団本営前の広場には、出陣前の兵が集まり、物物しい空気と騒がしさに包まれていた。

 ナブーさんとも合流できそうにないか。有事の際には、彼にも役割があるに違いない。

 写本の前払いを、渡しそびれてしまったな。


 防衛に参加したくない、との気持ちが変わったわけではないが。

 俺は俺で、野戦病院の警護くらいはしておこう。

 殺人への忌避は消せないが、身動きのとれない者たちが虐殺される状況を見過ごすくらいなら、自らの手を血に染めるほうが、まだ自分を許せる気がした。

 アイラがいなくなり、戦闘自体にも不安はあるが仕方ない。諦念を覚えながら野戦病院に戻る道を歩く。

 まあ、戦線が崩れないでくれさえすれば、杞憂に終わる。


 考えごとをしながらも、人の少ない場所では警戒を怠らず、早歩きで移動した。

 人間であった頃ならば、疲れを感じるくらいの距離を歩くと、野戦病院のある広場が見えてくる。


「皆、考えることは同じだな」


 広場の一角では、探索者と一部の兵士によって、既に防衛体制が整いつつあった。壊れた木材や武具を積んで、貧相ながら防壁が巡らされており、灯りも確保されている。 

 癇癪を起した幼児のような声を上げて、ニオが離れた篝火の一つを指差す。


「無事じゃったか」


 指し示された先から、聞き覚えのある声。

 篝火の灯に、見憶えのある優しげな顔の老人が照らし出された。


「ガレノスさん」


 近寄っていくと、さすがに疲れた顔をしているのがわかった。

 他に治療をしていた船医も同じような状態に違いない。この場に見当たらないのは、休んでいるからか。暗いうえに騒がしい。こんな状態では、まともに治療はできないだろう。


「人数が……」


 見渡すと、看護を受けていた人の数が大幅に減ってしまっていた。気分が悪くなる事態にばかり直面させられて、うんざりする。


「なに。動かせるくらいに安定した奴らは、船に避難させただけじゃよ」


 力ない笑みを浮かべるガレノスさんに釣られ、俺も少しだけ頬を緩めた。


「安心しました」


 早とちりであったか。嬉しい誤算である。

 話しながらも、三人で簡易的な防壁内へと歩を進める。

 警備のために巡回している兵士たちや、柵と変わらない程度の、防壁が薄い場所から外を見張っている奴隷兵たちが見受けられた。怪我のない探索者や兵士にも、座って身体を休めていたりする者もいる。


「そういえば、報奨金も入りましたので、治療費を払っておこうと思います」


 忘れないうちにと、こちらから支払いを申し出ておく。

 ガレノスさんは、一度、少し離れた簡易天幕に帳簿を確認しに行く。

 待たされることもなく、すぐに戻ってきて治療費を告げてきたので、その通りに支払う。


「安いですね」


 二、三日分の食費と同程度と、驚くほど格安である。


「おまえさんには、たいした治療はしとらんからな」


 ――そうだった。

 なんだか複雑な気分になる。費用が掛からないのは有り難いのだが。


「しかし、この島に着いて以来、まともに休んでいる暇もないのう」


 ガレノスさんは小さく呟いて笑みを消した。

 俺はほとんどの時間を休んでいたので、申し訳ない気持ちになった。しかも長時間休んだ割には、精神的な疲れが毛の先ほども消えていない。


「蜥蜴人の襲撃を退けたら、また怪我人の治療に追われるんじゃろうな」

 疲れに圧し潰されそうな気配が滲んでいた。こんな過酷な現場で働き詰めでは、そういつまでも体力が続くものではない。


「きついですね」

「まあ、おまえさんは、事態が収拾した後はゆっくりできるはずじゃ」

「そうあって欲しいものですが。期待はしないでおきます。裏切られた時に、心の糸が切れてしまいそうですから」


 戦鎚と革張りの小盾のみを手に、他の荷物は地面に下ろした。


「現実的じゃのう」

「ガレノスさんは、できるかぎり船で休んでいてください。警備くらいは俺たちがしますから。適材適所ってやつです」


 医師の出番は戦闘後である。それまでは少しでも休息に充ててもらいたい。


「そうなんじゃがな。どうにも居てもたってもおられんでのう。ついつい様子を見に来てしまったのじゃよ。容態が悪化した者がおってもいかんしな」


 目の届かないところで事態が推移されると、余計に不安を煽るのは理解できる。

 怪我人を放っておけないという責任感も、休息を阻害している一因であるようだ。


「ガレノスさんが倒れたら、もっと状況が悪化してしまいますよ」


 現在、防衛線で戦っている兵士や奴隷兵、探索者たちから出る怪我人の、救えるはずの命が多数失われてしまう。


「そうなんじゃが……」

「いっそ、お酒でも飲んで寝てしまったらどうです?」


 芯から疲れを取るには、不向きな方法であるのは知っている。


「ふうむ。それしかないじゃろうか」


 それでも、疲弊した精神には薬になるに違いない。


「働き過ぎですよ。今は休みましょう?」

「わかった。そうするとしようかのう」


 遠くない場所に帆船は見えている。

 別れを告げた後、無事ガレノスさんが船に辿りつくまで、彼の背を見送った。


 ◇


 手持ちの酒気を薄っすら帯びた水は飲み干して、武装した行商人の集団から水を購入した。

 露天商店を片付けなければならなくなったので、彼らはこちらに出向いて商売を始めたらしい。

 酒より飲料水のほうが高価であった。それでも、大金を手に入れたばかりだったので、手持ちの皮袋二つと、新たに皮袋ごと二つ、四袋分の飲料水を都合してもらった。


 所持品紛失対策として、竹筒に栓のされた携帯用の水筒を、腰のベルトの背中側に括りつけておく。万が一の時には、一日分の水分にはなる。他にも布袋を幾つか購入して貨幣を入れ、布製の防具と中の服の間に、動きの邪魔にならないように調整して紐で固定しておく。


 武器や防具は扱っていなかったので、戦力強化とはならなかった。

 防具としては扱えないフード付きのローブは買えたので、日中の日除けにとニオに買い与えた。


 他には、歯を磨ける道具や、体を清潔にするための道具が買えた。自身の不快感軽減と、なにより周囲への心象のためだ。些細なことで味方を作れる機会を逃したくない。


 荷物が多くなりすぎても困るので、食料は消費した分だけ購入した。

 柘榴、山羊の干し肉、骨のように固い穀物の粉を固めて焼いた何か。干し肉は鼠肉を掴まされたら最悪なので、なんの肉かはしっかり確認した。


「またの御用命をお待ちしております」


 食料を売っていたのは、じつに日本人的な接客態度のコーカソイドの商人であった。


「はい。またお願いします」


 俺は無難に挨拶して落ち着ける場所まで移動した。

 食料補給もできたのでニオに食事を勧めるが、またしても固辞された。水すらも飲もうとしない。


「遠慮しているわけじゃないんだよな?」


 尋ねるとうなずく。

 今はまだ体調が悪そうでもないし、無理に飲み食いさせて、却って不都合が生じても困る。

 人間とは違って、特定の食物しか摂取しない生物は多い。もしここでは手に入らない物がそれに該当していたら、厳しい結果が待っている。


「何か食べたいものはないのか?」


 やはり首を横に振る。

 もしかすると――。

 少し嫌な考えが浮かぶ。

 最初に着ていた服に付着した血痕。鬼という種。まさか吸血が必要なのでは、と。だとしたら、俺が提供しないといけないのだろうな。抵抗感というよりは、かなりの嫌悪感があった。


「ええと。ニオ。血を吸う必要はあるか?」


 恐る恐る尋ねると、ニオはそれも首を横に振った。

 安堵する。

 同時に、ニオの栄養と水分の補給が、手詰まりになってしまいそうな不安と、飢餓耐性と渇水耐性が、単純に高性能スキルなだけという期待が、天秤のように揺れている。

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