カッシーニ卿の伝説、その裏側-2
卿の示した条件は三つ。
一つ、人間と異形は互いに『領土的な』侵攻をしないこと。
一つ、人間と異形はそれぞれの国で起こった問題に対し、『王国宰相』と『魔王』の管轄の下、互いに協力しあうこと。
一つ、これらを『王国宰相』と『魔王』個人間の盟約とし、秘匿すること。
訝しむ『魔王』に対し、カッシーニ卿は静かに語る。
彼らが争った地――北方を塞ぐように聳え立つヴィア・ラクテアの山脈から南側、シデレウムと呼ばれるその地は、これまで人と異形が無差別に住まう場所であった。
定住を主とする人間と、いくつかの狩場を移動することの多い異形の民。
行き逢えば当然不幸な『事故』も起きてきた。
だが今、人と異形の勢力圏は綺麗に分かたれている。
反逆の狼煙を上げた王国軍は、虱潰しに異形を追い立て、ついに失った国土の半分までを回復。
これにより北に異形、南に人間という版図が出来上がっていた。
「私は、この地は人間が治めるには広すぎると考えているのです、陛下。」
国土を治めるには何よりもまず人手がいる。
元々異形の襲撃から村々を守ることすらままならなかったのだ。戦で多くの命が失われた今、かつてと同じ規模の統治は到底無理だろう。
「それで、半分か。」
『魔王』は嗤う。
現実的に治めうる領土を確保しつつ、残りを手土産に和平を持ち掛ける……小賢しい。
そもそも絶対の強者たる彼女自身に闘争を終わらせる理由はないのだ。付き従う異形の軍勢すべてが斃れたとしても、彼女一人で人間などたやすく滅ぼせる。
此度の戦もほんの少しの気まぐれと……いや、これは理由とも言えないだろう。
ただ単に弱い『駒』――彼女にとっては、だが――を使っての攻防を楽しんでいたに過ぎない。
続けて彼女は小さく嘆息する。
盤面上で激しく争っていた好敵手が、余りにもつまらない幕引きを望んだことに。
これ以上の期待はできないだろう。男を殺せば別の好敵手が台頭してくるだろうか……否、と彼女の直感が告げる。
目の前の男は決して強くない。人間の中にも男より強い個体はいくらでもいるだろう。
だが……この男はどこか『異質』なのだ。
ある意味では、対極の位置に存在する自らとの共感を覚える程に。
それでも、と彼女は自らの中に湧いた奇妙な感情を振り払う。
闘争する意思のない相手に価値はない。
男を片付け、もう一度蹂躙を始めよう。
それであまりに手応えがないようなら――自ら"力"を振るって引導を渡してやろう。
「ええ。
ただし、先に申し上げた通り、『領土的な』侵攻は無しです。」
「……『領土的な』という言葉に意味があるのか?」
「はい。」
不遜ともいえる卿の返答に対し、ほんの少しの違和感を覚えて問いかける。
「この場合の『領土』というのは国家の主権が及ぶ土地……具体的には民が住まい、何らかの目的で使用している地域を指します。」
「……それは、我らにとってはあまり意味のない縛りではないか?」
「はい。
これは人間にとっての宣言に近いものでございます。
必然的に攻めは陛下、守りは我らという構図になるでしょうな。」
狩場を転々とする異形の民には『住む』という概念が薄い。
『住む』ことを定義としてしまうと、一時的な侵攻は当てはまらない……つまり意味がないのだ。
「お察しの通り、散発的・偶発的な侵攻は不問とします。
無論抵抗はさせていただきますが。
我々が盟約が破られたと判断し、本気で攻めるのは、長期間その地に居座るような場合のみです。」
「どういうつもりだ……。」
「簡単な話ですよ。」
卿は言葉を区切り、不敵に笑う。
「第二ラウンドの始まり、ということです。」