プロローグ 豊かな島
豊かな島がある。
金銭的にではない。だが気候が温暖で物成りが良く、海には豊富に魚たちがいた。まず、食べるには困らない。この島には名物が二つある。一つは、島の真ん中にそびえる火山だった。普段は巨大な火口から、少し、煙を吐いている。
島の人々に住む地面を与え、複雑な海岸は魚たちの住み家となり、湧き出る温泉は島人を癒した。だがひとたび機嫌を損ねると、莫大なマグマと火山弾、ガスを吹き出し、一瞬で生きとし生けるものを殺してしまう。その記録は歴史になかったが。
マグマの流れた広大な痕跡が、事実を何より証明していた。島の人々は火山を畏れ敬い、’御神火様’と呼んだ。作り話ではない、眼前にずしりとそこある山。恵みと恐怖そのものだった。心だけか体でもか別として、自然、島人は山を拝んだ。
この神の山が、やや大きく火を噴いた事がある。
島人の多くはその記憶を持っていた。本土から救援隊が差し向けられた。島人はただの一人も、噴火を見くびりはしなかったし、誰かに八つ当たりもしなかった。抗うすべはない。ただ淡々と、避難するだけ。それしか人に出来る事はないと。
誰もが知っていた。朝晩御神火様を拝んでいれば、否応なく人間の小ささを思い知らされたから。出来る事と出来ない事があり、それは誰のせいでもないと知っていたから。学校や本からは極めて学びがたい、確かな知恵を持っていた。
救援隊を手こずらせる島人は居なかった。驚くべき早さで、全島民が避難した。救援隊への賞賛と共に、多くの人が島人の知恵を知った。しばらくして噴火は収まった。誰も恨みに思わなかった。そして帰島してもやはり拝んだ、御神火様と。
そう呼ぶ島人の一人に、もう一つの名物がいた。
彼女は本土からやって来た。まだ若さを残した頃にこの島に住み着き、小さな診療所を開いた。今は年老いてはいるが、会う人はみな、同じ感想を持った。
(この先生、若い頃はさぞ美人だったろう!)
背の高い、すらりとした姿を彼女はしていた。先生は島人を診たあと、お金がないとわかると「じゃあ有るときに持ってきて」と言う。申し訳なく思った患者がアシタバを持ってくると、「これでいいわ」と言う。
先生もカスミを食べて生きてるわけではない。食卓には自分で釣った魚や菜園のおかずが並んだが、現金も要る。だが先生は解析プログラムを組みネットで相場を張り、まずは十分な現金収入があった。お金を汚いとは言わなかった。
先生は、急性症状には現代薬を、病因不明には漢方も与えた。
自分で育てた薬草を出すこともあった。効けばよいと、診療点数など気にしなかった。人の世の決まり事に、こだわらない。ある/ない、よい/わるいの区別を、自分の言葉で知っていた。待合室はいつの間にか、島人の溜まり場となった。
みんなは先生を、敬愛と共に’おばあさん先生’と呼んだ。溜まったのは大人だけではない。先生は子供を集めて気球を上げたり、海の水を取って顕微鏡で見せたり、望遠鏡で星を観せたりした。観光パンフレットの写真も撮った。
島の学校に招かれて課外授業にも出た。招かれたのは学校だけではない。先生は杖術の達人だった。島の警察署に招かれ、警官たちを道場で鍛えた。いつもは穏和な先生が道着を着、袴を穿くと、その気合いに若い警官が、震え上がった。
先生の過去について、島の人々はあまり知らない。
若い頃は医師ではなく、東京の大学でむつかしい研究をしていたらしいこと、旦那さんとは死別したらしいことぐらい。どちらも、’らしい’だけ。先生のスケルトンの腕時計は、その形見。それだけが先生から確かに聞いた、過去だった。
先生は自分をあまり語らなかった。聞かれればちょびちょびとは語ったが、自分から語っても何にもならないと知っていた。だから誰かを根掘り葉掘り、問い詰める事もしなかった。言葉を惜しむのは何のためか、そのことわりを知っていた。
人に依存すれば、不自由になる。だが人を締め出してしまえば寂しくなる。他人は要らなくもあり必要でもある。どちらも選べるのが自由自在、そう考えているかのようだった。ただ形見の時計だけが、先生をつなぎ止めていた。
季節は早春。
もうすぐ島を出る少年が、海辺で先生と共に夜空を眺めている。こっそり酒を飲みたばこを吸うような少年だったが、先生の所に小学生の頃より出入りし、よく勉強した。先生もよく可愛がった。東京の大学でこの春から、学ぶ。
「スピカ、レグルス、プロキオン。」少年が白い一等星を数える。
「教えがいあったわね、あなたには。」と先生。
「おかげさまで。物理・地学選択なら、勉強の手間が半分になるってのも。」
「そ。知ってるか知ってないかの0/1。偶然知ってたかどうかで、人生変わっちゃうものよ。この宇宙が今こんなになってるのと同じでね。」
「また宇宙史の話? もう何百回聞いたやら。」
「私は教師に向いてないのよ。」と先生はたばこに火を付ける。
「おかしな事言ってらあ。先生は先生で、お医者の先生で教師の先生だ。」
「島の人たちが持ち上げ過ぎなのよ。私ずっと言われてたんだから。お前は教師に向いてない、わかんない人の気持ちが、わかんないって。」
「じゃ、なんでボクにはしつこく教えたの?」
「トカゲみたいな目で、上目遣いに見なかったからよ。」
風にあおられ、暗闇にたばこが赤く光る。少年はやや伏し目がちになって。
「先生。宇宙は偶然に出来て、偶然に銀河や太陽系や地球が出来て、偶然に生物が生き延びて進化して、やっと人間になったんですよね。」「そうよ。」
「--ある偉い先生が計算したらね。」と先生は、スケルトンの腕時計をかざした。
月は出ていないが、暗闇に慣れた目に、キラリと反射する時計が見える。
「--海に部品をばらまいて、自然に時計が組み上がるほどの確率、だそうだわ。」先生はたばこをふーっ、と吹かした。港周辺はともかく、島ではそれ以外の場所は、夜は真っ暗。ざわざわと、波の音だけが響いている。
「そんなのあり得ないや。」
「でもあなたも私も、ここにいるわ。」
「誰かがそうしたのかな。神様?」少年は先生のたばこに手を出そうとする。
「そうかも知れないわね。でもね。」先生は少年の手をパシンとはたいて言った。
「--そんな神様に、あなたは神様ですかと聞いたら、きっとこう言うわ。」
「どんなふうに?」と、少年はイタズラコゾーの目で先生に問うた。
「いいえ、私は人間です、ってね。」
ええ、なにせ根が私立文系なもので。そのうちこういう話や。
こういう話や。
こういう話になって参りやす。
こんな人たちと出会ったり。
こんな連中とドンパチも。
SFのつもりという一線は外さねぇよう気を付けやすが。
根ェが不真面目なもんでやすから。
そのうち滅茶苦茶になるかも知れやせん。
どちら様も、どうぞごひいきに…。
作者九去堂敬白。
宇宙ステーションМир、機関船КВАНТ。
(130907、苫小牧市科学センターにて)
【御礼】
ありがとうございました。私はあなたを忘れません。
Arigatogozaimashita. Thank you. I remember you.
Спасибо. Я не забуду тебя.
岩拝借:
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なお次話以降、動画や音源とのコラボになりますので、下記リンク先で連載します。ご了解下さい。