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アミ達四人は、タクシーで火の本家の前まで乗りつけた。アミはここに着くまではカケルに先に中を見てこさせようと思っていたが、家に着いたら、家を見たら、そんな気は一気に失せた。
ここは私の家だ。セナが言ったとおり。
アミは門を開けて中へ入って行く。セナたちもアミの後に続く。門の中へ入るともう竜王丸がそこまで来ていた。門から玄関まで続くアプローチの脇に柵がしてあり、竜王丸はその柵の向こう側で落ち着かない様子で尻尾を振っていた。その場をウロウロすろように足はせわしなく動き、尻尾はちぎれそうな勢いで振られている。アミが戻ってきて嬉しくて仕方が無いと言った様子だ。
クゥーンキューンワン!ワン!と耐え切れなくなって飛び跳ねながら叫びだす。
「竜」アミは身を屈めてそう呼びかけながら、柵の扉を開けた。竜王丸が勢い良く飛び出して来て、アミに飛び掛る。顔をぺろぺろと舐めて全身で嬉しさを表わしている。
「痛い。竜、そこ痛いから。もう、わかったってば。ははっ元気でよかった」
こんな無邪気な子供みたいなアミ、初めて見る。竜王丸を抱きしめるアミの様子を見て、セナは自然と笑顔になっていた。
玄関の扉が開き、中から拓未が出てきた。竜王丸の声でやってきたのだ。
「アミちゃん!」拓未は、アミを見て叫んだ。安堵と嬉しさの混じったようなそんな顔。
「ショウ…カケル?」ショウとカケルに気がついて、拓未は困惑した表情になる。アミちゃんと一緒に居るはずがないのに?何故?
拓未はセナに目をやった。セナは会釈した。この女の子がきっとセナと言う子なんだろう。でも、何がどうなってるんだろうか?
アミは立ち上がり拓未の方を向いた。その顔にさっきまでの無邪気な笑顔はもう無い。
「戻って来た。」アミは拓未に向かっていつもの淡々とした口調でそう言った。
「ええ。はい、おかえりなさい。」拓未はそう言うと、チラッとショウ達に目をやり、続けた。「とりあえず、中へ入りましょう。私しか居ません。あ、コウが居ますけど。シン君も。」拓未はアミに微笑みかけた。
「話を聞かせて。」アミはニコリともせずそう返した。
「私も色々お伺いしたい。一旦お部屋へ行かれますか?」
「いえ。応接室へ。」アミが指示する。
「はい。…ショウ、大丈夫なのか?」ショウがカケルに肩をささえられて歩くのを見て、拓未が声をかけた。アミは普通と変わらない態度を取っていたので、拓未はアミの怪我には全く気がつていなかった。
「大丈夫です。」ショウは答えた。
拓未は頷いた。一体何があったんだ。何故、ショウとカケルがアミちゃんと一緒に?ショウの足の怪我は一体?
応接室に入ると拓未は皆に腰を下ろすよう促した。応接室はこの家では珍しい洋間だ。
拓未は急に思い出して言った。「コウを待たせたままでした。少し待っていてください。」そう言って、席をはずそうとした。
「待って。練習場?」アミがすかさず呼び止める。
「はい」拓未は立ち止まり振り向いて返事をした。
「カケル、練習場へ行って、コウもここへ連れて来て。」
「はい」カケルは言われるままに部屋を出て行った。
「お茶でも持って来ますね。」拓未はそう言って部屋を出て行こうとする。
「要らないから。ここに居て。」アミはまた速攻で拓未を呼び止めた。
私を目の届かない場所へ行かせたくない。そういう事か…。完全に信用してくれた訳では無いんだな。拓未は少し寂しい気持ちになった。
「はい。」拓未はソファに腰を下ろした。
「ショウの怪我は…」拓未はショウをチラッと見てそう言うと、アミを見た。
「老師とあの黒い奴らがやったの」
拓未は驚きをあからさまに顔に表した。老師が…。不信感は抱いては居たが、まさか弟子を傷つけるような事までするとは思ってはいなかった。
拓未はショウに目をやった。
ショウは小さく頷いた。その表情には悲しさが見て取れた。
老師と一緒に居る他の弟子達は大丈夫なんだろうか…拓未の中に不安が広がった。
「他の弟子達は?大丈夫なのか?」拓未はショウに向かって尋ねた。冷静な口調ではあるが、年若い弟子たちの事を心配しているのが伝わってくる。
「わかりません。アミさん達に助けられた後は…それまでは大丈夫でした。あの…あの電話、本当はアミさんの所からかけてました。嘘ついてすみません」ショウは頭を下げた。
あの電話…ああ、そうだったのか。ショウは元気ですと言っていたが、そうでは無かったわけか。「いや、そうか。そんな事は良いから」
「こちらが、セナさんですね?」拓未は気持ちを切替えて、セナを見て言った。
「は、はい」セナは少し頭を下げる。どうして名前知ってるんだろう?
「アミちゃんの、お友達ですよね?」微笑みながらそう言って、アミに目をやった。
お友達…ああ、コウがそう言ったのか。とりあえず、ただのお友達って事で良い。「ええ。そう。」アミはそっけなく答えた。
カケルがコウを連れて戻って来た。
「よお!久しぶり…ってまだ数日しか経ってないけどな。」コウは入って来るなりアミ達に笑顔で挨拶した。セナは笑顔で返した。アミはチラッとコウを見て、相変わらずねと言う風に小さく鼻で笑った。
「二人とも、座って」拓未が促す。
二人が腰掛けると、拓未は話し始めた。
「老師のやっている事はめちゃくちゃです。私はもうとっくに不信感を抱いていました。老師は、火を壊そうとしている。そうで無いなら、狂ってしまったとしか思えません。」冷静だが悔しさを秘めたようなそんな顔つきで話している。
ええ。私もそう思う。アミは心の中で相槌を打った。
「他の弟子達もそう思ったんでしょう。だから…出て行った」今度はどこか悲しそうだ。
「拓未はどうして出て行かなかったの」アミが抑揚の無い調子で聞いた。
「シン君が居ましたし…竜王丸も。」それに、アミちゃんの事が気がかりだった。拓未はアミを見てやさしく微笑んだ。
アミの心が揺らいだ。
「シン君は、まだ困惑しているようなので…。ここへ戻った時は熱を出されてましたが、もう大丈夫です。お元気ですよ。もう隠れている必要もないので、ご自分のお部屋へ戻って戴きました。…また後でお話なさってみて下さい。」
アミは小さく頷いた。
私はどうして拓未まで疑ってしまったんだろ…アミの心の中に後悔の気持ちが現れた。
「アミ、もう良いでしょ?もう休んで。」セナが突然口を挿んだ。拓未がアミの事を心配していたんだと言う事はセナにはもう充分にわかった。最初に拓未がアミちゃん!と呼びかけたあの時の様子でピンと来て、拓未がアミに話をする表情からも痛いほど伝わって来る。この人がアミの事を騙したり裏切ったりするはずが無い。もう充分。セナは、アミを一刻も早く休ませたいと思っていたし、今、またアミが気弱な表情をのぞかせたのを見て、もう耐え切れなくなった。
アミは、驚いてセナを見た。いや、アミだけではなくその場の全員がセナを見た。
「アミは怪我をしてるの。ひどい怪我。」セナは拓未にそう告げた。
拓未は慌てて立ち上がった。「怪我ってどこに」そう言いながらアミの傍へ来る。
「大丈夫だから。…痛み止めだけ頂戴。もう薬が切れた」セナ、勝手な事を…アミはセナに目をやった。セナの顔には少し安堵の表情が浮かんでいた。アミはセナを睨み付けてやろうと思ったのだが、セナの顔を見たらそんな気にはなれずにそのまま目を逸らした。
「アミはもう、安心して休んでいて。拓未さんは信用できる。大丈夫よ。」セナは、自分の部屋で布団に横になったアミにそう言った。
アミは頷いた。…拓未は信用できる。そんなのわかってた。わかってたはずなのに…。
「何も考えずにゆっくり休んで、早く良くなって」
アミは頷いた。そう。早く良くならなきゃ。
「そこの窓、少し開けといて」アミは急激に眠気に襲われつつ、窓の方に目をやった。
「きっと、竜が来てくれるから」そう言いながらアミは目を閉じた。
「うん」セナは微笑んで庭に向いている窓を少し開けた。アミの傍へ戻ると、アミはもう寝息を立てていた。
セナが応接室に戻ると、カケルは居なくなっていた。
「アミ、もう眠りました」
セナの言葉に拓未は少し頷いた。「少し眠気がきつく来る薬にしておいたので。その方が良く休めるでしょうから。」拓未はセナにそう説明した。
「アミに言われて窓を少し開けたんですけど、大丈夫ですよね?」一応確認しておこう。
「ええ。庭には頼りになる番犬が居ますから、誰も侵入できません。大丈夫です。」拓未はそう答える。
「絶対大丈夫だ。俺が保証する。」コウが横から口を挿んだ。
拓未はフッと笑った。
何でコウが…?セナは首を傾げた。
「セナさんのお部屋は、今カケルに用意させてますから少し待ってくださいね。」
「すみません。お世話になります。」セナは頭を下げた。セナは戻ろうと思えば自分の家に戻れたが、戻るつもりはなかった。今はアミの傍から離れたくない。そう思っていた。
「いえ。ここでの事は、何も心配しないで。」拓未は少し口の端を上げて言った。
「けど、俺が帰った後、アミがこんな事になってたなんて。やっぱり老師がやったのか?」コウが何気なく聞いた。
セナは少し間を置いて頷いた。
「老師がアミちゃんを…」拓未は驚きを隠せなかった。
「違う。アミは私を庇ってくれたの」セナは申し訳無さそうな顔つきになっている。
アミちゃんが、庇った?老師がこの子を?何故?
「私が、馬鹿な事して、軽率な事した所為で、アミに怪我させてしまった…あんなひどい怪我…」セナはうつむいた。
確かに、思ったよりひどい怪我だった。老師がこの子に向けた攻撃でアミちゃんがああなったのだとしたら…この子が受けていたら…老師はこの子を殺すつもりだったのか?何故?この子、一体…?拓未はセナをまじまじと見た。普通の女の子にしか見えないが…。
「アミ、大丈夫…ですよね?」セナは拓未を見て聞いた。泣き出しそうな顔だ。アミ自身は大丈夫だとは言っていたが、やはりずっと心配だった。
「大丈夫。化膿をしてる様子も無いし、傷口はちゃんと閉じて来ています。熱が出てるわけでも無いし」拓未はセナを安心させるようにやさしい表情で落ち着いた口調で言った。
「良かった」セナはホッとした表情を見せた。
「何だよ、おまえ、大変だったんだな。俺、居た方が良かったんじゃないか?」コウがいつもの調子で言った。
「でも、コウが帰ってなかったら、アミ、今ここに戻れて無いだろうし…」ああ、なんだろ、やっぱりコウが話すと気持ちが和む。不思議。
「お。そうか。これで一個恩返しになったか」コウは嬉しそうにそう言った。
「一個?」二つもあったっけ?
「いや。実はもう一個増えててな。アミが触った財布に助けられた」コウは苦笑いした。
増えた?財布?セナは首を傾げた。
「あ、そう。セナさんも一人で庭には出ないで下さいね。番犬、危険なので」拓未が財布で思い出してセナに言った。そして、コウをチラッと見て、付け加える。
「誰かみたいに庭に飛び出すと大変な事になりますからね。」
「え?はい」セナは更に首を傾げて、コウを見た。
コウは肩をすくめて見せた。
「アミ」朝、セナはアミの部屋の扉をノックして呼びかけたが、返事がない。
「入るよ?」そっと扉を開けて中を見る。
アミは上半身を起こしかけていた。今起きた様子だ。
「おはよ。良く眠れた?」セナは扉越しにアミの顔を覗きこむ。
「おはよ。うん、良く寝た。なんかスッキリ」そう言いながら片手で軽く伸びをしたアミの顔は本当にスッキリとして見えた。
ここへ来て良かった。
「朝食と、お薬と持って来た」拓未に頼まれて、持ってきたのだ。
「うん、先に傷の消毒する。そこに置いておいて」アミは軽く顎で机を指した。
セナは中へ入り、言われた通り机の上にお盆を置くと、ふと机に飾ってある写真が目に付いた。写真立てに飾られた古そうな写真。赤ん坊を抱いた笑顔の女性が写っている。
「これ、アミのお母さん?と、アミ?」写真立てを手に取りながら何気なくアミに聞く。
「そう。似て無いでしょ。小さい頃は似てるって言われてたんだけど。今はもう全然違う。」アミは消毒を始めながらそう答えると、フッと笑った。
そうかな?似てると思うけど。これ、竜王丸とじゃれてた時のアミの顔だ。セナは写真に向かって微笑んだ。
「父さんは厳しいばっかりだったけど、お母さんはやさしかった。まあ、私がまだ小さかった所為かもしれないけどね」
うちと同じだ。お父さんは頑固で厳しくて…「いくつの時…亡くなったの?」
「いくつだったかな、十歳になってたかどうか。シンはまだ本当に小さかったし、きっとほとんど覚えてないと思う。」シンに話をしに行かなくちゃ…。
突然、昨日セナがアミに言われて開けておいた窓から、竜王丸が顔を覗かせた。アミの声を聞きつけたのだ。
「おいで、竜」アミがそう言うと、竜王丸は窓から中へ入ってきた。
セナは一瞬ビクッとした。
竜王丸はアミのすぐ傍まで行き、伏せた。アミと居るのが嬉しいのだろう、伏せてはいるが尻尾は振られている。
「犬、怖いの?」セナの様子に気付いてアミが聞く。
「犬は怖くは無いんだけど、拓未さんが番犬だって…庭に出るなって言われたから」
「家の者と一緒なら何もしないから。触っても大丈夫よ」消毒を続けながら、アミはセナをチラッと見て口の端を上げた。
セナは写真立てを手にしたまま竜王丸の傍まで行って顔を少し覗きこんでみる。竜王丸は目だけ動かしてセナを一瞥して、後は知らん振りするような様子だ。セナはそーっと竜王丸の背中を触る。竜王丸はピクリともしない。
「この部屋ね。お母さんの部屋だったの。お母さんが小さい頃からずっと使ってた部屋。」アミはセナが手に持っている写真を目にして何気なく言った。
「え?小さい頃?お母さんが?」
「え?ああ、お母さんが火の本家の血筋なの。お母さんにもお兄さんが居たらしいんだけど、何か不幸があってお母さんが継ぐ事になったんだって。父さんが婿養子。父さんは、内弟子で、一番強かったって。だから田舎が無いの」こんな話、人にするの初めてだ。アミはふとそう思った。
「あっ、そうなの。じゃあ、お母さんも強かったんだ?」
アミは首を横に振った。
「心臓弱くて、そういうのは出来なかった。シンと同じ。…と言うか、シンのがお母さんの遺伝なのかな。きっと。」
アミは消毒を終えて、竜王丸を撫でた。竜王丸は顔を上げてアミの顔を舐める。嬉しそうに耳を倒し、尻尾をバタつかせている。アミも笑顔だ。
それはセナには微笑ましい光景だった。ほら、やっぱり似てる。セナは手に持っているアミの母親の写真とアミを見比べて微笑んだ。
「でも、私を生むまでは、本当に普通に生活できてたって聞いた。兄さん産んでも全然平気だったけど、私を産んでから少し調子が悪くなって、シンを産んで更に悪くなって。って感じだったらしい。本当はシンを産むのは止めた方が良いって言われたそうなんだけど…。だから、私が覚えてるお母さんは休んでる事が多かった。それでも、お母さんが顔出すと、その場が一気にパッと明るくなるような感じで。内弟子達もみんなお母さんの事が好きで。お母さん、いつも笑顔だったな…」アミは微笑んでいた。アミの頭の中に昔の記憶が蘇っていた。あの頃は楽しかった。まだお母さんが居た頃は。
同じだ。うちの母さんもいつも笑顔だった。セナも母親を思い出していた。
アミは起き上がって机の方へ向かった。竜王丸も一緒に移動する。
「あ。ごめん」ご飯運ぶべきだった。気が効かないな、私。
「へ?ここで食べるから別に…セナもまだ食べてない?」
「うん」セナは、写真立てを元あった場所に戻しながら答えた。
「じゃあ、ゴハン終わったら、後でもう一回来て」
セナが言われた通り、食事を終えてアミの部屋に戻って来ると、アミはきれいに折り畳まれた服をセナに差し出した。「これ着てて」
セナがその服を手にとると、見た目の薄くて軽そうな印象を裏切るズシリとくる重みを感じた。「これ…アミが着てたのと同じ?鎖かたびら?」
「ええ。予備の。」
「でも、アミの、また穴開いちゃったでしょ?これ着れば?」
「私は今のが良い。一つ目の穴ね、あれは自分の不注意が原因で出来た穴。だから戒めになる。そう思って着てた。でも…」二つ目の穴は、セナを守る為に開いた穴。セナを守りたいと、純粋にそれだけの理由で開いた穴。だから…貴い。
「今は、二つ目の穴の方が大事みたい。」アミはそう言って少しはにかみながら笑った。
「もしもの時の為にそれ着てて。その方が私も安心できる」もしもなんてあって欲しく無いけど。
「うん…わかった。有難う」
「と、これ。これ着て練習場」そう言ってアミが差し出したのは練習着のようだった。
アミとセナが練習場に顔を出すと、もうコウがやって来ていた。アミはコウの練習に遠慮なく割り込んで、拓未にセナと手合わせするように言った。丁度、ショウとカケルもやって来た。ショウは松葉杖をついている。
「拓未、ちょっと手加減してね」アミはそう付け加えた。
ちょっと?ちょっとで良いのか?拓未は少し怪訝な顔をした。
「わかってるとは思うけど、攻撃は入れないでよ。当たると思ったら止めて。」アミは念押しした。
「はい」拓未は腑に落ちないがそう答えて始める。
ちょっとで良い理由は、セナと手合わせしてみて、すぐにわかった。
なんだこの動き…こんなの初めてだ。避けた。また避けた。くそっ、どこまで避ける?
攻撃をかわされ続けて、拓未はいつの間にか本気になっていた。
あっ!拓未は攻撃を止めた。
目の前にセナがいた。止めなければセナに当たっていただろう。
セナも動きを止めた。息が荒い。セナは大きく息を吐いて汗を拭った。
「すげえ…」二人の動きに見入っていた…と言うか、見惚れていたコウは、ポツリとそう漏らした。
ショウとカケルもコウと同じような気持ちだった。二人とも拓未がすごいのは知っていたが、見慣れないセナの動きは見る者を魅了する、まさに水が流れるような、清流がイメージ出来るようなそんな動きだった。
相手してる時は避けられてイライラするばかりだったけど、傍から見てるとすごくきれい。アミもそんな事を思って見ていた。「セナ、最後見えなかったの?それともスタミナ切れ?」壁際で見ていたアミはセナに質問を投げかけた。
「見えなかった」セナは荒い息で答えた。「拓未さんが止めてくれなかったら当たってた。」それはアミにもわかっていた。
セナは多分、水が焼けた後、攻めは一切練習せずに、避けの技術だけ衰えないようにして来たんだ。もしくは、例の練習中に怪我させてしまった事がトラウマになって攻撃ができないのか。アミは勝手にそう推測していた。最初にやりあった時、セナからは一切攻撃はしかけて来なかった。あの時、私には隙はいくらでもあったはず。あれだけイライラと熱くなっていたんだから。今のもそう。冷静な拓未ですら、熱くなって隙が出来ていた。でも、セナが攻撃しようとする様子は一度も見られなかった。
実際、アミの思っている事は当たっていた。
「動きが見えさえすれば避けられる?」
「え?それは…多分」セナは少し首を傾げながらも頷いた。
「ねえ、拓未と老師とどっちが速い?速さだけ」今度は拓未に向かって聞く。
「えっ…さあ?…昔は確実に老師の方が速かったと思いますけど、老師ももう昔のようには体が動かないでしょうし、今はどうでしょうか」拓未は首をひねった。
「拓未の動きを捉えられるようになる事。避けるだけで良い。セナの目標ね」アミはセナに向かってそう言った。
多分、拓未なら老師に近い速さを持ってるはず。拓未の動きが捉えられるようになれば、老師の攻撃も避けられるようになるんじゃないか。アミはそう考えていた。
え?あっ。セナはアミの考えてる事がなんとなくわかった。アミは、私が攻撃が出来ないって事も気が付いてるのかもしれない。
「わかった。頑張る」セナはアミに向かって微笑んだ。
「そういう事だから、拓未、よろしく」アミは後は任せたと言う風に拓未に言った。
いや、よろしくは構わないが…
「この子一体、何者です?」拓未は思わずそう言ってしまっていた。
あれ?セナの事、まだ誰も拓未に言ってないんだ?「セナは水の本家の娘」アミはそう答えてから、良いでしょ?と言う顔でセナを見た。
セナは頷いた。
へっ?水?…一人生き残った娘?この子が?拓未は目を丸くした。
「これが、水の動きなのか…」拓未は呟くようにそう言った。
だが、火と水とはお互い干渉してはならない掟…いや、もう今となってはどうでも良い事か。そんな事より、水の娘がアミちゃんの友達のわけがない。
「水の娘、探して…探して来たんですか?」拓未はまさかと言う表情でアミに問う。
「え?どうやって探すの」アミもまさかと言う顔で言う。
それはそうだ。「でも、じゃあ何故?」
「偶然」アミが言い放った。
「は?」
「偶然出会って一緒に居る事になった。コウが偶然ここに修行に来たのと同じ。偶然。」
でも、《友達》は嘘じゃない。少なくとも、私はそう思いたい。
「え、あ、ちょっと、セナをよろしくしたら…お師匠ー!俺はー?」コウが突然、不満声で拓未に向かって叫んだ。
「あんたは、カケルに相手して貰いなさいよ」アミはコウにそう言ってフッと笑った。
「え?」コウはアミを見た。
「大丈夫、カケルもなかなかやるわよ。手加減の仕方が下手で当てちゃうかもしれないけどね。ま、多少当たったって、コウはすぐ再生する化け物だし、平気よね。フフッ」アミは何やら楽しそうにニヤニヤしている。
アミ、俺からかうの楽しんでるよな?こいつ、やっぱ絶対Sだ。
「シン。アミよ。入って良い?」アミはシンの部屋の扉をノックしてそう言った。
「…ダメ」シンは、アミが戻った事を拓未から聞いて知っていた。シンの事を心配して探していたと言う話も聞いた。でもやっぱり何が本当なのかわからないでいた。…わかりたくなかっただけかもしれない。
「話がしたいんだけど」扉越しにそう告げる。
シンは無言だった。
「入るわよ」アミはシンの返事を待たずに部屋へ入った。
シンは反射的に扉の方を見たが、すぐに目線を戻した。
「ただいま」アミはシンの背中に向かって言った。
「…おかえり」シンはそうは言ったが、アミの方を見もしない。
「良かった。ここに戻ってて」
シンは何も話さない。
「シン、私は本当に、兄さん殺したりしてないから」
シンは黙ったままだ。
「信じて」
「…僕…わからない…出て行ってよ」シンはアミの方を見た。
その顔にはシンが思い悩んで苦しんでいるのが見て取れた。
アミはそれ以上何も言わずに…言えずに、部屋を出た。
アミが練習場へ戻ると拓未が声を掛けてきた。
「シン君どうでした?」上手く行かなかったのはアミの浮かない表情から想像できたが。
アミは首を横に振った。「シンの顔見たら…悩んでる顔、苦しそうな顔見たら、もう何も言えなくて」
「なあ、弟は、ここ、来ないのか?」コウが少し離れた場所から声を掛けた。
「シンは出来ないから…」
「見てるだけじゃダメか?お前だって何もしないけどここに居るくせに。ショウだってまだ足治りきってないのにここに居る。」コウはただ思った事を言ってみただけだった。
確かにそうだけど、見てるだけ?そんなの考えもしなかった。
「良いかもしれませんね。考えた事もありませんでしたけど」拓未が同意した。
アミも同意するように拓未を見た。
「私が、呼んで来ましょうか」拓未が言った。
アミは頷いた。
「シン君、拓未です」シンの部屋の扉をノックして言った。
「何?」姉さんに何か頼まれたのかな…。シンはそう思いながら返事した。
「シン君も練習場へ来ませんか?」
え?それはシンには意外な言葉だった。みんなの練習の邪魔になるからダメだと言われ、練習場へはほとんど入った事がなかった。中庭を挟んで見ているだけの場所だった。
「開けて良いですか?」拓未はシンの返事が無いのでそう言った。
「うん」
「練習場へ来ませんか?」拓未は扉を開けると、もう一度繰り返した。
「練習場って…」シンは不思議な顔つきで拓未を見ている。
「みんな…と言っても、ほとんど人は居ませんけど、みんな練習場に居ますから、シン君も」拓未はそう言うと、是非と言うように微笑んで頷いた。
「でも僕…」僕は練習なんてできない。
「ショウも足を痛めてるので見てるだけです。セナさんにも紹介しますよ。今朝は会えなかったでしょう。コウにも。ね?」拓未は扉を大きく開けて、出てくるように促した。
「うん…」ショウも見てるだけなら、僕も良いかな…。
練習場へ来ると、拓未はシンに、セナとコウを紹介した。
「やっぱ似てるよな?」一通り挨拶を終えるとコウはセナに向かって言った。
「え?」セナはそう言われてシンを見た。ああ、うん。アミに似てる。
「だから俺、あの時ピンと来てさ。アミの弟じゃないかって」コウは得意満面で言う。
あの時?僕この人、会った事あるっけ?シンは少し首を傾げてコウを見た。
「あっ。あの時の?」きっと窓から竜を触ってる時、練習場から出てきた人だ。
「多分そう。あの時の人」コウはそう言って、シンにニッと笑って見せた。
「あ…あの時、僕、ごめんなさい。あの、慌ててて…竜を止められなくて」シンは済まなそうに言った。
「へっ?あー別に。何も無かったし。OKOK。気にすんな」コウは人懐っこい笑顔でそう言ってシンの背中をバンッと叩いた。
「うわっ」急にコウに背中を叩かれて、シンは前につんのめる。
「あ。すまん」コウが慌てて謝る。そして「アハハハッ」と大声で誤魔化し笑いをした。
「ぷっ」コウのその様子にセナが噴き出して笑った。
シンは最初コウの大笑いに呆気に取られていたが、セナが噴き出したのにつられて口元に笑みがこぼれた。
離れた所からその様子を見ていたアミは、シンの笑顔に少しホッとした。
拓未も同じだった。シンの笑顔を見て、拓未の顔には自然と安堵の表情が浮かんだ。
シンは練習を見ているだけだった。だが、練習を見ているその目は輝いていた。シンがこんなに間近で練習を見るのは初めてと言って良かった。拓未やセナの動きはシンにでもすごいと言うのはわかった。近くから、汗を、呼吸を感じる、足元からみんなの動きが響いてくる、体で感じられる。シンにとってそれはとても新鮮でわくわくする体験だった。
「昼にしよう。コウも一緒に」お昼になると拓未がそう言った。
「え?俺も良いの?」コウが本当に嬉しそうな顔で聞き返す。
「ああ」拓未はフッと笑って頷いた。素直なヤツ。だけど不思議な男だ。私も笑わせて貰ったが、シン君にも笑顔を戻してくれた。
「コウの分も用意するように、ショウには言ってあるから」
「へー。ショウが作ってんだ」
「ショウ君、私より料理上手な気がする…」セナがきちんと用意されている料理を前にして思わず呟いた。
ショウははにかむように少し口の端を上げた。
「ショウだけじゃなくて、カケルも拓未もこれくらいするわよ。」アミがからかうような口調でセナに言った。
「えっホント?」セナは驚いてアミを見て、カケルと拓未に目をやる。
拓未は少し微笑んだだけだった。
「ショウも僕も一番下っ端で、色々仕込まれてますから」カケルは愛想笑いをしつつそう答えた。
ああ、カケル君に気を使われてる気がする…。あの時も心配してくれたし…。
「カケル君って、良い子よね」セナはそう言うと少し情け無いような顔をした。
へっ?カケルは顔を赤らめた。こんな事言われたの初めてだ。
拓未は何か急に懐かしい感覚がした。何だろう?この懐かしさ…。
「まあ、元気だせよ、セナ。きっと俺よりは上手いって」コウはニッと笑ってみせた。
「それ慰め?コウより下手だったら本気でへこみそう」セナが少し拗ねたように言った。
「ま、良いから、食おうぜ。美味そうだ。いただきますっ」コウは嬉しそうにそう言うとさっさと食べ始めた。みんな食べ始めた。
「アミは?」食べながらセナがアミに向かって問いかけた。
「え?何が?」アミが聞き返す。
「アミはどうなの?料理得意?」
「…どうかな」アミはそう言って口の端をあげた。
セナは、アミのその様子を見て、どうなの?と言う風に拓未、ショウ、カケルを見た。が、みんな目を逸らしてしまった。後、知ってるのはシン君だけ。セナはシンを見た。
シンはセナに見られて、一瞬戸惑ったが、口を開いた。
「こんなの作れないよ。料理してる所なんて見た事ない」それはぶっきらぼうな口調だった。
「おっ。だったら俺の方が出来そう」コウが得意そうにそう言って、アミを見た。
「化け物と比べられたくない」アミはいつものように淡々とした口調だった。ただ、いつもと違って目元も口元も笑っていた。シンが自分の事を話してくれた。アミはただそれだけで嬉しくて仕方が無かった。
コウはアミの表情に一瞬驚いたが、すぐにいつもの調子で返す。
「化け物じゃねーから。成長期なだけだ」何か少し自慢気だ。
「プッ」セナは思わず笑い出した。
「何がおかしいんだよ」コウはセナを見た。
「だって、ははっ、ゴメン。コウがおかしい」セナが笑いながらそう言う。何か笑いのツボに入った。そんな感じ。
「クッ。確かに。コウはおかしい」拓未も笑いがこみ上げて来て思わず言ってしまった。
「お師匠までー?」
「いや、褒め言葉だから。ククッ」拓未が言い訳するように言った。笑いながらそう言っても説得力に欠けるが。
「へ?」
「私の《化け物》も褒め言葉だから。フフッ」アミが笑いながら茶化すように言った。
「どこがだっ!」
みんな笑顔だった。和やかだった。ショウ、カケル、シンにとってはこんなに楽しい食事は初めてだった。
アミちゃんがこんなに話してるなんて本当にいつぶりだろう。知恵子さんが居た頃はいつもこんなだったな。拓未はふとアミの母親が生きていた頃を思い出した。
「ショウ君すごく美味しかった。ご馳走様」セナは、食べ終わるとショウにそう言った。
へっ?「い、いえ」ショウは面食らっていた。こんなの言われたの初めて。でも…なんか、嬉しい。ショウははにかむように微笑んだ。
カケルも不思議そうな顔でセナを見たが、すぐに笑顔になっていた。
「おう。ホント美味かった。きっと良い嫁になれるぜ」コウがふざけて言った。
「だ、誰が嫁に」ショウが慌てて言い返す。
そうだ。知恵子さんも、いつも食べ終わると必ずそんな事を言ってくれた。笑顔で。『拓未君、美味しかったわ』『有難う』『腕上げたわね』『また頼むわね』私は、知恵子さんにそんな風に声をかけて貰えるのが嬉しくて料理当番が大好きだった。
拓未は懐かしい思いに襲われた。
『拓未君は、良い子ね』『拓未君は、強くなりそうね』『拓未君は、やさしいね。』そうだった…知恵子さんはそんな事も言ってくれたんだった。なんか、忘れていたな。
アミも拓未と同じような事を思い出していた。
そうだ。お母さんが居た頃はここには笑顔があった。今日みたいに。
「アミ、薬飲んだ?」セナが何気なく言った。
「今から飲む」
薬?シンはアミを見た。どうしたんだろ?そういえば、姉さん、練習してなかった。
薬を飲み込んだアミは、シンと目が合った。
シンは視線を逸らしたが、もう一度アミをチラッと見て聞いた。「何の薬?」
「ちょっとね。…怪我してるの」
シンはその言葉でまたアミを見た。怪我が見当たらない。「どこに?」
「ここ」アミは自分の胸元を手で軽く押さえた。
そんな所に怪我?シンは少し首を傾げたが、後はもう何も聞かなかった。
「私、昼からは休むけど、セナも程々にして。疲れ果てたら意味無いし」アミはセナに向かってそう言った。
「うん。わかった。」
「拓未、よろしくね」
「はい」拓未は口の端を上げて軽く頷いた。口には出さないが、大丈夫です。後は任せて下さいと言っているようだった。
昼食が終わってショウとカケルは二人で食器を洗っていた。
「俺、ここに戻れて良かった」突然ショウがポツリとそう言った。
「え?」カケルはショウの方を向いた。
「今日、すごく楽しいんだ。だから…今日、今、ここに居られて良かった」そう言いながら、ショウの顔には笑みが浮かんでいる。
ショウがこんな風にこんな事言うなんて、珍しい。でも、わかる。
「うん。僕も」カケルも笑った。「ホントに、今日楽しいや」
「カケル、おまえやるな!その歳ですげー」カケルと練習していたコウは、休憩に入ると大きな声で言った。
「内弟子の訓練は厳しいですから」カケルはそう言って水を飲んだ。
「って事は、やっぱりショウも強いのか?」コウも水を飲みながら聞く。
「ショウの方が強いです。悔しいけど。」カケルは少し目線を落として答えた。
「そうなのか?」
「同じ頃から始めて、同じように練習してきてるんだけど…。僕は動きが真正直過ぎるって言われるんです。でも、良くわからなくて。」カケルは小さく溜息をついた。
「あ。ハハッ。きっと性格出てるんだ。カケルは俺と一緒だなー。」
「一緒にしないで下さい。僕はそんな…すぐに治りませんから」カケルは思わず化け物と言いそうになったが、違う言葉にすり替えた。
「つれない事言うなよー。一緒に化け物しようぜ。カケルちゃん」コウはそう言って、カケルの肩をガシッと抱く。
「し、しません。ちゃんも嫌です。気持ち悪い」カケルはコウの腕からスルリと抜けた。
「じゃあ、カケル師匠」
「変な呼び方しないで下さい!」そう言いながらもカケルの口元は笑っている。
その様子を傍で見ていたシンも自然と笑顔になっていた。
「ショウは、どこ行ったんだ?」そういえば昼から姿が見えないなと何気なく聞く。
「買い物…かな。多分。」カケルが答える。
「松葉杖でか?この暑いのに?」コウが驚いて聞く。
「なんか、張りきってましたよ。夕飯楽しみですね」カケルが笑みを浮かべて言った。
「え。俺のもあんの?」コウは期待に満ちた目になっている。
「あ、どうなんだろう?」何故か一緒に食べるって思い込んでしまってたけど。
「ぬか喜びかよ」コウがガックリと肩を落とす。
「頼んでおきますよ」一緒の方が楽しいし。拓未さんもアミさんもダメって言わない気がする。
「是非、頼みます!カケル師匠」コウは満面に笑みを浮かべて言った。
拓未はセナとの手合わせを終え、汗を拭きつつ、コウ達の様子を見ながら微笑んだ。
「楽しそうです。カケルも…シン君も。シン君、ずっと元気なかったんですよ。あんな風に笑顔になるなんて。コウのおかげですね」
セナもタオルで汗を拭きながら頷いた。「コウはおかしいから」そう言って笑った。
「ええ。フッ。笑いは人を元気にするんですね。思い出しました。」こんな時でも、笑っていると元気が出る気がする。
思い出した?セナは不思議そうな顔で拓未を見上げた。
「昔はここにも笑顔があった。いつの間にか無くなってしまってたんですね。」拓未は遠くを見るような目でそう言った。「ショウもカケルもシン君もこの家でこんなに楽しいのは初めてなんじゃないかな。ここは本当にもう厳しいばかりでしたから。」拓未は目線を落とした。知恵子さんが亡くなってから、日が消えたようになって、ずっとそのままだったんだ。そうだ、だからみんな簡単に出て行ってしまったのかもしれない。
「アミちゃんも。あんなに話してるのは…楽しそうなのは久しぶりに見ました。」拓未は少し嬉しそうな表情に変わった。
「アミも?」
「ええ。アミちゃん、変わりましたね。セナさんのお蔭なのかな?それともコウ?」拓未は口の端を上げてセナを見た。
「え?アミ、変わった?」
「戻った、と言うべきかもしれませんけど。小さい頃に。」まだ知恵子さんが居た頃に。
そうかな?最初からあんなだった気がするんだけど。セナは少し首を傾げた。
「ねえ、コウ。アミってかわった?」練習を切り上げたセナは、休んでいるコウ達の所へやって来て聞いた。
「へ?あー…ちょっとな」コウはほんの少し考えてそう答える。
「どの辺が?」
「んー、あいつ、笑わなかったろ。もっととっつきにくかったし、話もそんなしなかったろ?まあ、今でも辛口だけどさ。それにもっとキツイ顔、目?してたと思うけどな。っつーか、俺なんてほぼ完全無視してたじゃないか。まあ、今思えばあいつのあの時の状況考えたら仕方なかったのかもしれないけど」
あ。そう言われれば、コウの事、相手にしてないって感じだったかも。
「僕、あんなアミさん、初めて見ました」カケルが口を挟んだ。
「え?あんな?」セナはカケルを見る。
「あんなに話してる…冗談言ったり笑ったり…アミさんって、もっと…すごく怖かったです。僕、ほとんど話なんてした事なかったし。」
「へっ、そうなの?」セナには意外だった。
「はい。でもアミさんってすごく強いし。何ていうか、手加減しないし、自分にも。すごいなーって言うのは思ってました。僕、アミさんが泣いたのなんて初めて見ました。…ホントにすごく疲れてたんだとは思うけど…だって本当に色んな事があって…僕はアミさん、やっぱりすごいと思います」
「…あいつが泣いたの?」コウが怪訝な顔付きで聞いた。
セナは微かに頷いた。
「ショウも…ショウも変わった」カケルがボソリと言った。
「え?ショウ君?」
カケルは頷いた。「ショウ、ちょっと素直になった気がする。」そう言ったカケルの顔は嬉しそうに見える。
「素直じゃなかったの?」
「わりと…悪ぶってるって言うか、誤解されるような事する所があって。ショウは見た目がああだから、小さい頃ってホント女の子みたいで。今はそんな事ないけど。」
「いやー。今でも美少女で通りそうな気がするけどな。女装とかすっげ似合いそ。」コウは一人で納得するかのようにうんうんと首を振る。
「そう言う事、絶対ショウに言わないで下さいよ。」カケルは少しコウを睨みつつ釘を刺して、続けた。
「だからだと思うんです。だから、良くそう言うのでからかわれたりもしたみたいだし。その何ていうか、虚勢を張るってのじゃ無いけど…悪ぶってみせて。ピアスだって多分そう。あんなの兄弟子に目をつけられるにきまってるのに。」
「禁止なのか?」
「禁止じゃないけどやっぱり良い目では見られません。練習とかはマジメなんだけど。」
「けど、ショウは、良い友達持ってるんだな。」
「え?」カケルは少し首を傾げてコウを見た。
「おまえだよ。おまえ。」コウがカケルを見て言う。
「へっ」カケルは赤くなった。
「フッ。おまえは超素直だよなー。なんか親近感がわく」コウはカケルの肩をガシッと抱いた。
「ほら、なんか兄弟って感じしねーか?」コウはセナに向かって嬉しそうな顔で言う。
「プッ」セナは二人を見て噴き出した。
「なんだよ」
「え?怒らない?」セナはコウの顔色を伺いながら聞いた。
「おぅ」コウは言ってみろよという風に顎を上げる。
「良く出来た弟と…馬鹿な兄貴。って感じ」そう言うとセナは少し上目遣いに様子を伺うようにコウを見た。
「く…《化け物な兄貴》でなくて良かったけどな」コウはそう言って肩をすくめてニッと笑った。
「ごめん。コウは良いって。良いからね。」セナは弁解するように慌てて言った。
「何がだよ?」
「ん…その、バカっぽい所とか…あ、バカじゃないんだけど」ああ、ダメだ、まともな褒め言葉にならない。全然フォローにもなってない。
「セナ、おまえなー。褒めてんだか、けなしてるんだかわかんないんだって」コウが少し呆れたように言う。
「褒めてる。つもり」そう言い訳しながら、セナはまた笑ってしまっていた。
「説得力ねー。な?良く出来た弟」コウはカケルに同意を求める。
「だから、変な呼び方しないで下さいって」そう言いながらもカケルは笑顔だった。
シンは練習場を出て行く拓未を追いかけていた。
「拓未」シンは少し躊躇いながら後ろから声をかけた。
拓未が立ち止まって振り返る。「何ですか?」
「あの…」少し言い難そうにしているが続ける。「姉さんの怪我って…」そこまで言って、様子を伺うように上目遣いに拓未を見た。
老師が…と言って良いだろうか…。せっかく笑ってくれたのに。「大丈夫ですよ。ちゃんと治ります。化膿しないように薬は飲んで貰ってますけど」拓未は返事を誤魔化した。
「…どうして怪我したの?」今度は拓未をしっかり見上げて聞いた。
拓未は返事に詰まってしまった。シンは拓未をじっと見ている。
「セナさんを、庇ったそうです」
「え?…何か事故?」
拓未は思わず気まずそうに目をそらしてしまった。…ここで隠しても誰かに聞いたら同じだろう。
「老師に攻撃されたそうです」拓未はシンをしっかりと見てそう答えた。
シンは拓未を見たまましばらく無言になった。
「…でも、だってセナさん、練習であんなに…あんなに拓未の攻撃避けてるのに?」そんなの何かの間違いだ。だって…
「セナさんは、私が本気を出したら避けられません。だから練習しているんです。」
シンは目線を落とした。
だって老じいがそんな事、そんな事するはず無い!シンは何も言わずに走って行った。
拓未は心配そうな顔で、走り去るシンの背中を見送るしかなかった。
セナはシャワーを浴びてすっきりすると、台所へ向かった。思ったとおり、ショウが夕飯の準備をしていた。「ショウ君、何か手伝う」セナは後ろから声をかけた。
「え、あ…いいです。俺一人で出来ますから…セナさんは休んでて下さい。」ショウは突然声をかけられて戸惑いながら答える。
「でも、ショウ君、松葉杖なのに。何か取ったりとかだけでもするよ。あ、何か買ってくるものとかあれば行って来るけど」
「あ、そうだ。桃、白桃好きですか?」ショウはセナの言葉で桃を買って来たのを思い出して言った。
「へ?桃?」セナは首を傾げた。「うん…好きだけど」
「食べます?もう冷えてると思うから」ショウは不自由な足で冷蔵庫に向かおうとする。
「あ、私、取るから」セナは慌てて冷蔵庫へ行き、中から桃を一つ取り出す。「これ?」
ショウは頷いた。「剥きます」ショウはセナの方へ手を差し出す。
「へっ。それくらいやる…これ、アミ食べるかな?」セナはふと思いついて聞いた。
「え。あ、はい。多分嫌いじゃなかったと…」実はあまり自信はなかったがそう答える。
「まな板と包丁、借りて良い?」
「どうぞ」ショウはまな板と包丁をもう一セット取り出して台の上に置いた。
「有難う」セナはショウの隣で桃を剥き始めた。
「うわ。良い香り。美味しそう。私、桃大好きなの」セナは嬉しそうな顔でそう言った。
「良かった。安く売ってたから買ったんだけど」ショウも嬉しそうな顔をした。
「え、買い物行ったの?」セナは驚いてショウを見る。
「え?はい」驚いてるセナに驚いて、ショウもセナを見る。
「松葉杖ついて?」嘘でしょう?と言う表情。
「はい」それが何か?と言う表情。
「言ってくれれば行くのに」
「いいです。左足以外もう平気だし、大した事ない」ショウはそう言って、微笑んだ。
「うん…」セナはまた桃を剥き出した。
「今日の夕ご飯、何?」セナがショウの手元を少し覗き込んで聞いた。
「内緒…後のお楽しみです」ショウは、はにかみながらそう答えた。
「フフッ。わかった楽しみにしとく」
こんな風に言って貰えるのが、楽しみにして貰えるのが、喜んで貰えるのが、こんなに嬉しい事だなんて知らなかったな。何か良いな…。ショウは笑みを浮かべながらそんな事を思っていた。
「アミ、起きてる?」セナはアミの部屋の扉の前で声をかけた。
「起きてる。どうぞ」すぐに中から返事があった。
セナが部屋へ入ると、アミは横になっていて、竜王丸がその傍らで伏せていた。
竜王丸、ずっとここに居たのかな?本当にアミの事好きなんだ。
「桃、食べない?」桃を入れた器を前に出してみせる。
「食べる。」アミは即答して、体を起こした。
「はい」セナはアミの傍に座って器を差し出した。
「良い香り」アミは少し嬉しそうな顔をして桃を食べた。
「美味しい?」
「美味しい。桃大好き」アミは満足そうな顔をして桃を食べている。
「一緒だ。私も好き」セナは微笑んだ。
「練習どう?キツイ?」アミは桃を食べながら聞いた。
「うん…キツくない事はないかな。最近やってなかったし」セナは少し苦笑いした。
「無理しないで。休んでも良いし」
「うん。すぐ慣れるとは思う。」
アミは美味しそうに桃を食べている。
アミ、桃、本当に大好きなんだ。良かった。
「拓未さんに相手して貰ってて思ったんだけど、多分、水にとって火って最高の練習相手。水の動き同士じゃ練習にならないから」セナはふと練習中に思った事を口にした。
避けと避け…確かに練習にならないか。アミは桃を食べながら想像した。
「なのに、どうしてお互い干渉してはならないなんて掟があるんだろ?火にとっては水との練習は意味が無い?」セナは首を傾げた。
「意味…?そんな事ないんじゃない?あれだけ避ける相手を捕らえる攻撃が出来るようになれば、大したもんでしょ。まあ、ガードの練習にはならないだろうけど、火の基本は攻めだから、悪くない気がする。そうね。考えた事なかったけど、何の為にあんな掟があるんだろ」言いながらアミは少し首を傾げた。セナも首を傾げた。
こんなの考えても仕方ないか…今はそんな事より…老師を、どうしたら良い?アミの手が止まって、表情が少し厳しくなった。
アミが老師の事を考えている。と、なんとなくセナにはわかった。どうしたら良いんだろう…。セナは目を伏せてうつむいた。
「セナ」アミの声が突然聞こえた。
その声でセナが顔を上げると、アミが桃をセナの口元に運んで来ていた。セナは反射的に口を開ける。アミはセナの口に最後の桃を突っ込んだ。
「桃、大好きなんでしょ?」アミは口の端を上げた。
「うん」セナは桃を頬張りながら頷いた。セナの目には笑みが浮かんでいる。
「セナ、有難う」アミはセナを見ずに竜王丸を撫でながらそう言った。
へ?セナは、なんの事だろう?と言う表情でアミの顔を覗き込んで尋ねる。「桃?」
「へっ、違うわよ。」アミは笑ってセナを見た。「まぁ、桃も美味しかったけど。ここへ戻って良かった。あの時セナが強引に言わなかったら、戻ってなかったかもしれない。」
ああ、その事。セナは首を少し左右に振った。
「ここへ戻って頭もスッキリした。本当にあの時、もう頭の中ゴチャゴチャで、ちゃんと思考出来なくて…大体、カケル達の前で泣くなんて有り得ないし」アミは少し恥ずかしそうな顔をした。
「良いじゃない。別に泣いたって。」
「あんまり良くない」アミは少し厳しい口調になっている。
「カケル君って、見た目かわいいのに、男気あるよね。『僕、守ります』って」セナはあの時のカケルを思い出してフッと笑った。
「…あの時の私…あれは薬の所為だから」アミは少し怒ったようなぶっきらぼうな口調でそう言った。
「ふーん…そう」セナの顔には笑みが浮かんでいる。
「とにかく、ありがとう」
「うん…それコウに言ってあげて」
「へ?」
「戻るきっかけ作ったのコウだし」
「うん。まあ、そう」
「コウ、アミに恩返ししたいみたい」セナはクスッと笑った。
「恩返し…どうでも良いけど。最初助けたのだってセナの家に転がり込む為の理由に丁度良かっただけだし。コウは別にどうでも良かった。」
「ふーん。そう。なんかもう一つあるっぽいよ。財布がどうのこうのって…良くわからなかったけど」セナは少し首を傾げた。
「財布?」アミも首を傾げた。そう言えば、竜が財布になんとかって言ってたっけ。けど、恩って?「コウには…恩返し以上の事、もう充分して貰ってる気はするけど」アミはボソリとそう言うと少し口の端を上げた。
恩返し以上?シン君の事かな、きっと。「そう思ってるなら、コウに言ってあげて。口に出して言わないとわからない。伝わらない」ああ、だからアミは誤解されるんだ。セナは自分が言った言葉で、ふとそう思い当たった。
「でもセナは何かわかってる…私の事」竜もそうだけど。アミは竜を撫でながら言った。
「え?…そう?」セナは首を傾げた。
アミは少し頷いた。私、何故かセナには素直になれる。
夕食、案の定シンはまた元気が無かった。が、お昼のような和やかな楽しい雰囲気で少し笑顔も戻った。シンがアミと会話する事は無かったが…。
『老じいがそんな事するはず無い。老じいを信じたい。』シンの中でその気持ちが消える事は無かった。消したくなかった。
「あれ?コウ、まだ居るの?」夜になってコウを見かけたセナが声をかけた。
「お師匠が泊まって良いって。飯付き」コウは嬉しそうな顔で答える。
「その代わり、もし老師がここに戻って来たらしばらくショウとカケルを置いてやってくれないかってさ」
「ああ」セナはなるほどと頷いた。老師が戻ってきたらどうなるんだろう。アミどうするつもりだろう。私、どうしよう。
「あいつらだったら、ずっと俺んち居てくれても良いけどな。上手い飯が食えそうだ」
「フフッ。でも、田舎帰らなくて良いの?」
「んー。ま、良いだろ。多分帰らないって電話だけはしてある。俺が元気にしてりゃそれで良い。って思ってるんじゃないかな。って思うし」
元気にしてればそれで良い。…何故かその言葉がセナの心に残った。
「って事で、しばらく同棲な」そう言ってコウはニッと笑ってみせる。
「変な言い方しないでよ」
「別に良いだろ。関係無いはずなのに、関係無くないっぽいんだし」あれ?俺、セナにコウは関係ないって言われた事、根に持ってんのかな?
「え?どういう意味?」
「おまえ言ったよな。『コウは関係無いんだし』って」
「言った…っけ?言ったかも」そう言われたら、言ったような気がする。
おい、その程度かよ。「まあ、なのに、何故かまたご縁があって。」
「フフッ。それも変な言い方。でも、そう。コウはなんか関係無くないみたい。よね?」セナは首を傾けてコウを見た。
「ああ。まあ良いのか悪いのかは知らないけど」良し、前言撤回させたぞ。コウは小さくガッツポーズした。
「何気合入れてるの?」セナはコウの様子を見て、不思議そうに聞いた。
「いや。別に。」コウは誤魔化すように苦笑いした。
「でさ、どうすんだ?」コウは真顔になっていた。
「え?」
「老師。アミはどうするつもりだって?やっぱり《倒す》なのか?」
セナは軽く頭を振った。「アミとそういう話してない」
「おまえは?」
『私も老師を倒したい』アミにはそう言った。あの時は本当にそう決心した。私は水のけりをつけなくちゃならないんだって。でも…セナの心はまた揺らいでいた。
「セナ?」コウはうつむいて黙りこくってしまったセナに声をかける。
セナはコウを見上げた。セナは泣き出しそうな弱弱しい顔をしていた。
「な、なんだよ…そんな顔すんなよ。」コウは少し困ったような顔をした。
セナは慌ててコウから目を逸らして、ボソリと言った。
「今日みたいに、楽しい日がずっと続けば良いのに…な」
「そうだな。…なあ、セナ。おまえの親だってきっと、おまえが元気にしてればそれで良いんじゃないか?それだけで良いんじゃないかな。」
元気にしてればそれで良い?それだけで良い?ホントにそう?水の事は?
コウがセナの頭にポンッと手を置いた。「だから、元気だせって」コウはそう言っていつものようにニッと笑ってみせた。
「コウって、良い人よね」
「ああ。自分でもそう思う」コウは得意げに言う。
セナは少し笑顔になっていた。