G01-03
神崎彩菜は後ろの席の陣野修のことを考えていた。彼女があいさつしても、陣野修はまるで反応せず外を見つめていた。あの子は確かに自分が救助した男の子だ。激しい雨の日の戦闘が思い出される。あの子の命と引き換えに自分は両脚を失った。そのことを恩着せがましく言うつもりはなかった。夜中に目が覚めてどうょうもなく涙がとまらなくなることはあったが、脚のことは自分の失態だと言い聞かせていた。陣野修はあの時、もがきながら必死に生きようとしていた。
陣野修が言葉を失っていることは山村光一刑事から聞いて知っていた。激しい戦闘や死の恐怖を体験した兵士がPTSD(心的外傷後ストレス障害)におちいって話せなくなることがあると軍医が教えてくれた。しかし、彼女にはなにかがなんとなく違うように思えた。陣野修に会ってそれが確信に変わった。証拠はなに一つなかったが、同じパイロットとして通じ合うものがあった。彼は話せないのではなく、心が空白なのだ。
陣野修がのるBMD-Z13の戦闘映像記録をオペレーターの園部志穂に頼み込んで見せてもらった。その流れるような正確な動きに驚かされる。激しい戦闘現場で興奮もせず、あんなことが人間にできるのだろうかと映像そのものを疑ってみたくなったくらいだった。
神崎彩菜はBMD-Z13の動きを美しいと思った。鍛錬をつんだ武術家の演武ですら及ばない、神の技に思えた。陣野修は心と引き換えにあの力を得たのだろう。『バイオメタルドール』は代償を求める。事実、彼女が脚を失って以来、BMD-A01は脚部は異様な進化をとげた。その形は人型と言うより、彼女の義足に近かった。長く薄い板の様な形になった脚はBMD-A01の走るスピードとジャンプ力を高め、それ自体が剣とかした。BMD-T07が複眼を持っているのも、パイロットである久我透哉が盲目であるためだ。
「神崎さん。この問題をといてください」
麻宮五鈴が黒板に数式を書き写していた。神崎彩菜はわれに返った。彼女は数学が大の苦手だった。小学校レベルの問題ですら四苦八苦するほどだった。
「わかりません」
彼女は顔を赤くしてうつむいた。その時、ガタッと後ろから音がした。陣野修が立ち上がり、無言で黒板に向かった。陣野修はあっさりとその問題をといた。陣野修はそこでチョークを置かずに別の問題を自分で書いてときはじめた。あ然としてそれを見ていた麻宮五鈴の顔色がだんだんと青ざめていく。
「うそでしょ。ちょっと。それって『リーマン予想』」
「先生『リーマン予想』ってなんですか」
麻宮五鈴の言葉を聞いて、女生徒がのんびりとした声で質問する。
「だ、だれにもとけないと言われている数学の難問よ。静かにして」
麻宮五鈴は両手を前に出して、手の甲を上に向け、上下にゆっくりと動かしながら気持ちを落ち着けようとしている。陣野修がチョークで黒板いっぱいに数式を書き進めていくにつれて麻宮五鈴は高揚していく。陣野修が問題をとき終えてチョークを置いた。
「カメラ、カメラ。だれかカメラ持っていない」
男子生徒が笑いながらいった。
「先生。カメラなんてあるわけないでしょ」
「そ、そうよね。いい、みんな。私が戻るまで黒板に触れてはダメよ」
生徒が廊下を走るとうるさく怒る麻宮五鈴は教室の引き戸をあけ放って、廊下をかけていった。