第95話「愛の波動ってなんですか」
すっかり潤いを取り戻した土壌を踏みしめて登山を再開した。高地故に植物が乏しいのだと思っていたが、暫くするとまだウィードスライムのご飯になっていなかった大地に出逢うこととなり、改めてかの魔物の恐ろしさを実感する。
付近まではスライムに喰われていたからか少し元気がないように見えるが、マジムの様子を見るとこのままでも大丈夫なようだ。
「少し遠いのですが、ロックリザードなのです」
いち早く魔物の接近に気が付いたライライが全員に向けて声をかける。低身長の草木がちらほらと見えるばかりで隠れる場所もないようだが、その姿は視認できなかった。
名前の通り岩のような見た目らしく擬態もするようなのだが、ここらはまだ土が多く、報告をしたライライも落ち着いている様子なので「一応」告げただけで距離があると予想される。
そのまま進み、結局そのロックリザードと遭遇することもなく私たちは岩場に辿り着いた。
凸凹に隆起した巨岩には鋭利なもの、急な坂を形造るもの、大きな段差となって行く手を阻むものなどが見られ、いよいよ植物が少なくなってきた。点在する植物も魔物が隠れるようなサイズではなく、存在感の強い鮮やかな花やコケに紛れる雑草ばかりだ。
ここらでは魔物も著しく減るようで、魔物に満たない小指ほどの大きさの蜥蜴などが岩陰から顔を覗かせていた。ベルはそれを見て微かに笑みを浮かべる。
「魔物に食べられる不安がないんだろうな。ふふ、平和ボケというやつか」
岩陰にはもう一匹蜥蜴が潜んでいたようで、二匹は仲睦まじげに身を寄せ合う。対抗するようにアンネがベルにくっついて「私たちと一緒だわ」と微笑む様はこれこそ平和ボケだろう。
警戒をほとんど解いてしまった二人はそのまま……いつも以上にぴったりと擦り寄り、頬を寄せ、いちゃつき始めた。
そしてその様子に違和感を覚えた私は、ふと周囲に注意を向けた瞬間に恐ろしいものを見てしまった、と青ざめるのだった。
ツイストして交わる蛇、花はその花弁たちを支える茎やら蔦を絡ませ、羽を休めている虫も鳥も、励んでいる。何にとは言わない。今まで気付かなかったことが信じられなくて、私は口元に手を遣った。
「こ、れ、え、なに、ねぇ、トーマ……」
この恐怖を共有して少しでも和らげようと後ろに控えているトーマに声をかけるが、それは彼もそうじゃないということを前提にした行動だった。それ故に、不意に伸ばされた腕を避けることは叶わなかった。
口を塞がれたと思えば視界の端に赤い指が見えて、その腕はトーマのものだと瞬時に理解したが、思考は数秒間停止した。慌てて平常心を保っている仲間を確認しようと身をよじるが、首を曲げることさえ妨害される。
先頭にいたせいで状況が把握しにくかった。魔力で立ち位置はわかっても、全員が生きていて魔力の動きが正常だということしかわからない……!
「トーマ!」
離せ、と口にすれば彼が手を離すまでの間は奴隷契約が激痛と呼吸の妨害をしてしまうため、私は名を呼ぶしかない。もしこの異常状態が奴隷契約よりも強力だった場合、トーマが死んでしまう。
「何だ、セルカ様。名前を呼ぶだけじゃわかんねえよ?」
どことなく甘ったるい声色が、真上から降り注いだ。それは当然トーマの声であり、彼がおかしくなっていることがわかる。
「ベルとアンネより、俺らの方が愛し合っているよな?」
次々に恥ずかしい言葉を吐き出していくその口を塞いでやりたい気持ちでいっぱいだが、まるで拘束するように抱き締められているため腕は上がらない。
数度深呼吸をしてようやく精神が落ち着いた私は、とりあえず絡めとって引き剥がすのに最適に思われる植物魔法で蔦を生やし、彼の腕を退けようとした。
しかし思った以上の力の差に負け、多少強化したはずの植物はぶちりぶちりと千切れて落ちる。それなら私も、と身体強化を一気に最大出力まで発動させるが、一瞬拘束が緩んだと思ったとき、今度は別の人物に抱き上げられた。
圧倒的な力、神力。もちろんその者はマジムだ。トーマから奪われた私は、マジムの胸に顔を押し付けるような形になっている。
「セルカ様と僕の繋がりの方がより一層魂の奥深くに根付いていますよ……!それに、一番あなたのことを知ってるのは僕だ」
そりゃあ、そうでしょう。前世から見守っていたとかいっていたマジムに心の中で突っ込むと、ちょうど後ろから強烈な殺気が向けられた。紅くて熱い魔力は、赤鬼のもの。
「ちょ、二人とも!えと、マジムは離して!」
その言葉に、マジムはピクリと反応するが離してくれる気配はない。恐ろしいものである。後ろから聴こえてくる美人二人のイチャイチャより、その手前の殺気のせいで私は心臓が縮み上がる思いだ。
リリアが頭に突撃してきて「セルカちゃぁぁん!」と叫ぶのもほとんど耳に入らないくらいには、パワータイプ二人の睨み合いは危険度が高い。
ぴんと張り詰めた空気にいやに冷静になって、私は従魔たちを傍に喚んでいなくてよかったなぁと思いながら、体から力を抜いた。今は仲間より周囲の警戒をするべきだと判断し、身体強化より索敵に熱を入れる。
「トーマぁ、わかります?僕の方が強いのに、力で抵抗するなんて馬鹿げていますよ」
「お前こそ。俺たちの愛を邪魔するストーカーのくせに、でしゃばらないほうがいい」
「もうっ!!セルカちゃんはあ・た・し・の!天使様なんです!」
「……セルカ」
頭の上の妖精も凶悪なまでに濃厚な魔力を練り上げ、影から這い出たアルステラが黒い魔力と生白い指先を絡めてきて、視界に彼女たちの魔力が映り込む。それすら嫌がるように私を隙間なく抱き締めるマジムは、あまりにも心が狭い。
団子状態の私たちは現状行動不能で、もし何かに襲われたら絶体絶命。幸いなことに、どれだけ広い範囲に魔力を広げても魔物の気配は見当たらず、その上そんなことをしているうちに神殿の居場所を掴んでしまう。
やきもきしながら神殿内の気配を探ろうとするが……やはりというべきか、内部は神殿を管轄する神のものだと思われる神力に満ちていてそれ以外の力の干渉を拒んでいる。
それ以上できることもなかったため、私は大きくため息をつくとどうにかしようと仕方なく成功率の著しく低い全状態異常回復の魔法を詠唱し始めた。
勿論、苦手だし挑戦回数も少ないため詠唱は教科書のまんま、省略や破棄なんてことはできるはずもなかった。
「あ……うわ」
初回の詠唱は失敗し、二度目は成功。しかし悲しいことにコレは状態異常として認識されていないようで状況が改善されることはなかった。そう思ったところに、ふたりの間の抜けた声が聞こえた。
「…………は?な、なんでこんなことを!?」
「…………これは一体、なんなのね?」
戸惑いが伝わってくるほどにふるふると震える腕が私を解放する。マジムはなんと、私の魔法の効果かはわからないが正気に戻ったようだ。自由になって再びトーマに捕まってしまう前にさっと飛び退くと、アルステラを光で追い払う。
見れば、二つ目の声はバウだったようだが、彼は特におかしな行動はしていなかったのか周囲の甘い空気に目を白黒させて狼狽えていた。
だけど、二人に何か言う前にトーマがとびかかってくる。彼の膂力は私を軽く凌駕し、更に強化を重ねた彼に対して私は身体強化も天使の声も使っていないため、その差は大きくなっている。
咄嗟に庇いに出たマジムは流石にダメージは受けていないようで軽々と突進を受け止めるが、トーマはそれが癪に障ったのだろう、ついに魔剣イヴァを抜きだした。
そのとき。
「心はノンストォォォップ!!ストレイィィィィット!!!隠した想いもトキメキも赤裸々にいぃぃッ!!愛の波動ッ!!!!嗚呼!!身を焦がすような愛を感じるッッッ!!!!!」
彗星の如く速さで現れたのは、彫りの深い、サイドを刈り上げた短髪で、分厚い唇の、変態だった。
私は刹那、意識を取りこぼしそうになる。当たり前だ。状況的にもタイミング的にも場所的にも、この変態の正体が導き出されているのだ。その答えはできれば信じたくないようなものだった。
マジムの後ろ姿を見ると、彼の腕に浮き上がった血管がはち切れそうに浮き上がり、その感情の高まりをあらわしている……
「犯人はあなたですね!?」
大地神が絶叫しながら指を差すと、その先にいた変態は色濃い肌によく映える真っ白い歯に陽光を反射させてはにかんだ。
「久しぶりだねッ!!マジムくんッッ」
「そうですね!!ブラオさん!!!」
変態改め愛の神ブラオを指していた人差し指を引っ込めて中指を立てたマジムは、どうにかそこで踏みとどまったようで、しばらくぷるぷると小刻みに震えて耐えてから腕を下ろした。
それを見届けたブラオは不意に左手で刈り上げたサイドをなぞりながら右手で指を鳴らして、悩ましげに息を吐いた。
彼のその合図で魔法が解けたらしく、異常行動にはしっていた全員が岩のように固まって自身の行動を振り返っている。抱き締め合ったままのベルとアンネはまだ良いとして、私に抱きついていたトーマは。
「なあああああああああ!?!?!?」
穴があったら埋まりたい、むしろ地面に突き刺さるといった勢いで倒れ、地べたに額をこすりつける。もちろんこの叫び声は彼のものである。
彼の心に最もダメージを与えたのは恐らく彼自身が口にした言葉なのだろうな、と私は遠い目になった。