第94話「山の捕食者」
目的地である愛の神ブラオの神殿は、地図という平面図においては馬車で北に向かっておおよそ三時間という距離だった。しかしそれは高低差を無視したもので、実際にはそれ以上かかる。
例の如く、目的地までの道程で馬車に乗って行くことのできるのは、その神殿がある山の麓までになっていて、そこまでに使った時間は二時間程度。つまり残りの徒歩で進まなければならない道は、平面で考えると馬車で一時間かかる……険しい山道ならその何倍の労力を要することか。
拓けた道の終わりに在った停留所で止まり、馬車を収納して、一旦凝った首や肩をほぐしたり準備運動をして、私たちは万全の体制で山に挑むこととなった。神殿がある山頂まで、なるべく早く到達することが目標だ。
神殿関係者、つまり神官らが利用する馬車の停留所からは道が無く、戦闘が本分でない彼らはどうやってたどり着くのだろうかと疑問に思いながら、有り余る魔力を山の麓を覆う森林に薄く広げ、地形を大雑把に読み取る。
そうして得た情報を、リリアと協力して大まかに地図に書き込むと、本当に何の目印もないことがわかってしまった。だからといって使用魔力を増やして神殿を範囲内に収めようものなら、おそらく私の魔力では足りない。
マジムもいくら神だからといっても細かい調整や管理は神のする仕事ではないようで、彼は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
それでも一応、神殿があるのは山頂なのでたどり着くことはできよう。私は「気にしないで」と落ち込む彼を慰め、辺りを見渡した。
森は師匠の住処とは植生がかなり違い、延々と続く針葉樹の列、地面を覆う落葉ふかふかな感触を生み出していた。それ故に歩きにくく、また木の他には背丈の低い植物が茂っていて見通しは良いが、その茂みに毒蛇でもいようものなら……。
足元に念入りに探索魔法を使用して進む私の速度は普段の九割前後と意外に遅くはないが、これからのことを考えると途方に暮れそうになる。
事前情報によれば麓から中腹にかけて森林があり、中腹から上は徐々に大きな植物が減り、小さなものが点在するだけになるようだ。その調子で岩だらけになった頃には神殿が見えてくるはずだが、そこまで何時間かかることやら。
私は先頭におかれ足元の安全の確認、索敵はバウとライライの虫たちに任せ、前衛陣に囲まれるようにして生粋の後衛であるベルとリリアが進む。
北の山というだけあって肌寒く感じられるので、私は体をすっかり冷やしてしまう前に固有技能を使った。
「冷ややかな空気は温かな身体に響かない」
天使の声は精神と肉体に影響を与えることのできる補助・支援魔法なので、私はこれを全員に付与した。これで多少の気温の変化は気にならないだろう。妖精族はあまり寒さに対する耐性が低いのか、リリアは大袈裟なくらいに感謝してきた。
おかげで少し探索のペースが上がり、一時間も歩いた頃には森の植物が目に見えて減り始めた。おおきな木以外は淘汰されたか生存できる環境でなかったのか、景色は随分とシンプルになっていた。
食べ物がないからか魔物の姿もあまり見られず、背の低い魔物がいても見通しが良いために脅威になり得ない。既に呼気は真っ白で、常日頃このような気候なら根づくことのできる植物も限られてくるだろうと予想できた。
「土の色が変わってきましたね〜?」
リリアがきょろきょろと忙しなく視線を動かして言う。つられて土に触れたマジムは、その土から情報を読み取ったのち少し目を細め、すぐに考察を終えたのか立ち上がる。
彼の触れたあとを見てみるが私には色以外の変化を見つけることはできなかったが、そのことを質問する前に彼は口を開いた。
「この土は何かの魔物の体内で栄養を奪われた後……の、残りカスみたいになっています」
その言葉を確認するようにライライが鑑定すると、それは事実だったようで頷いていた。流石に魔物の種類までは特定できそうにないが、記憶にある限りでは巨大なミミズやモグラ型の魔物が該当する。
選択していた授業の配分は違えど魔物の知識の授業は皆がとっていたようで、私たちの意識は七対三くらいの比率で地面に向いた。広域を索敵する担当者であるバウと虫たちがいるうちはこのくらいでも平気そうだ。
なんて思っていると、だいたい外れるもので。
「ひあっ、」
リリアの悲鳴と同時に放たれた魔力光で全員の視線が空中に集まった。そこには色とりどりの鉱石が傘のような形状に形作られていて、その上に雨の代わりに……スライムが降ってきていた。
「ないすリリア!」
襲撃者の正体がわかればあとは弱点をつく。ベルの放つ灼熱の炎と私の普通サイズの火球がスライムを包み込む。私は警戒を解除せずに、木々に燃え広がらないように水魔法でヴェールを纏わせた。
はじめに作られた鉱石傘がスライムの体液で溶かされて穴が空き私がその場から飛び退くと、案の定生き長らえていたスライムがそこにどろりと垂れてきた。
寒いところでも行動できる種には炎に弱いものが多いはずだけれど、土の栄養を食べるスライムの存在は記憶にない……つまり、イレギュラー性が高い。もしかしたら他の弱点も効かなくなっているのかも。
思ったよりも溶解液が強力なので防御はしっかりと、を心掛けて私は次の魔法を放つ。
炎と水の魔力を練り、指先にひんやりとした空気が集まる。その冷気の温度がマイナスいくつになった頃か、それを空気弾として射出する。寒冷地であるため普段の二割増しの威力と速度で撃ち出されたそれは、スライムに直撃した。
しかしそれでは魔物の身体のほんの一部分しか凍らせることができず、ぱらぱらと欠片を散らしながらスライムは動き続けるのだった。
もちろん物理はあまり効かないので、しかも魔剣イヴァに至っては酸を嫌がってトーマを抑制するらしく、ほぼほぼ私とベル、リリアの三人での対応となる。
くろ助は髪の中、アルトは獣型で自身の毛に埋もれ、体術面で溶かされてはたまらないので遠くから睡眠・夢魔法を当てようとするが、なかなか当たらない様子。
マジムもたまに地面属性の魔法を放つが、リリアの鉱石宝石類ならともかく土や岩は美味しくいただかれてしまうので、彼は守りに徹する。
「ベル!こいつ核が見えないんだけど!?」
私は目を細めながらスライムを見るが、土を多く含んだソレの中は濁っていて核のおおよその位置もわからない。焼こうにも熱伝導率が低いのか刺激を受けて分泌される液が多過ぎるのか影響は少ないし、これは勘と運が必要らしい。
「わかっている!私が貫通力の高い炎で……」
後ろから熱気が溢れ出す。黙り込んだ彼女は集中しているのだろう、私は溶解液に対抗する術を持たない守護者に代わって彼女を数多の障壁で守り固めた。
妖精魔法での防御もこちらに集中したので、途轍もなく強い酸性を持つ液体もリリアの特別な鉱石たちを溶かすことは容易ではないために、ベルの安全は保たれる。
スライムがようやく焦って大量の液を噴出し始めたのはとうにベルの炎魔法が発動準備を終えた頃だった。
彼女の中で貫通力=槍となっているのか、周囲には十数本の火炎槍が浮かんでいて、全ての先端がスライムを捉え、ベルの顔を仄紅く照らしているのが美しい。
芸術的なまでに丁寧に成形された暴虐の化身たちは、ベルの言葉一つで猛威を振るう……!
「逃がすな、逝け」
追従効果でも付与しているのか、それとも操作して追従させているのか、後者なら天晴れの技術力だが、それはともかく彼女の魔法は逃げ惑うスライムを弄ぶように追い回し追い詰めていった。
一本が貫通するとそれによって動きが止まり、動作再開を試みた刹那に次の槍が突き刺さる。そのプロセスが最後の槍に至るまで只管繰り返され、それを見届けた後すぐに水で消火する。
水の中には生命活動を停止した核がぷかりと浮かんでいた。
「最初っから手強いのです。ウィードスライム、なのです」
ライライが核を鑑定しながら云うが、彼には名前しかわからない……それほどに希少または認知度の低いものだったらしい、首を捻る彼にマジムが声をかけた。
「ウィードは雑草、つまりこのスライムは雑草並みに根性があって栄養を根こそぎ奪い取る……ピッタリな名前ですね」
枯れ切った大地を見て物凄く不満そうな彼は、そっと地面に手をつくと神力を注ぎ始めた。人に向けたら気絶するか心を見失ってしまいようなほどの力だったが自然にはそのような効果はないようで、土の色が今まで通った道と同じようなふうに変化していった。
食べ物が無く天敵のなかったせいかかなり広範囲の土が食われていたようだったが、この数秒でその全てに栄養を行き渡らせ循環させる……それがどれほど凄いことか。
私たちの向ける視線に気付いたのか、マジムはやや恥ずかしそうに
「こういう、生態系が大きく崩れてしまいそうなときだけは特別に干渉を許されているんですよ」
と笑っていた。




