第93話「旅の歩み先」★
大地神、大海神につづく主要な一柱である天空神が直前までセルカが眠っていた枕元へ現れた夜も明け、薄ら明くなった空色を窓越しに眺める。
私はあの後眠ることが出来ずに、呆然とソファに座っていた。そのうちに朝が来て、太陽から目を逸らすように書類の山を見る。隈のできたアルフレッドが誰よりも早く目を覚ますと、私はようやくのろのろと行動を開始した。
「おはよう」
「……あぁ、おはよう」
まだ新しい書類が届く時間まで余裕があり、また室内に積まれた書類の山は全て処理済みのもの。アルフレッドはそれを確認すると彼にしては珍しく「清々しさ」を纏って朝の空気を肺に取り込んだ。
何も知らずに眠りこけていた彼に、彼自身に危害が加わる可能性があっただなんてわからないだろう……しかし、そんな彼の様子を見ると、どうしようもなく不安になった。
旅を始めてから、そこまで一箇所に留まることはなかった。ジンのいる教会に少し長居してしまったり、迷宮で足止めをくらったのはあるが、ほとんど移動、移動、移動。
それなのにアルフレッドのスペースを借りてこの場所に留まったのは、なんと二週間。
それ以前の大会、大会待機中の民宿利用時を含めるともっと増える。旅を始めた当初の私たちなら良いが、今は特に私に問題がある。
目立つのはもちろん、ウィーゼルのおかげでわかった神に命を狙われる危険は、何よりも他人と行動することを躊躇わせる。その件に一枚噛んでいるアルフレッドは平気だと言うが、それでも、強くても、これ以上巻き込みたくはなかった。
それをいうなら幼女守護団のメンバーもそうなのだが、現状は全員が私について行くという意志を示しているため、嬉しさ半分不安半分といったふうな心境である。
ライライも足手まといになりたくない、置いていかれたくない一心で、一歩間違えれば命に関わるような方法で成長し、その以前にはリリアが実際に一度命を落とすようなかたちで身を賭した。
正直、私は強くてもチート級ではない。魔法や体術、短剣に弓、更に従魔。それらを全て解禁し戦ったとて、この世界で一番だなんて思っていない。マジムは一番かもしれないけれど……。
強くなって天寿を全うするという私の目標の冒頭には、今では「皆で」という言葉が足されている。それくらいに……今生での出会いは劇的だった。
私は朝食をとるために下に降りたアルフレッドに続いて階段を下り、斜め後ろにいつの間にか付き従うトーマと共にリビングへ入る。そして簡単な保存食類で朝食を済ませようとしているアルフレッドを止めて料理を出した。
作り置きしたスープ、直ぐに揚げられるように準備してあったエビフライを調理して出し、レタスを千切ってお酢とオリーブオイルとその他でドレッシングをかける。
彼は起きたらそのまま軍に与えられた多くのスペースを使うことなく訓練やお偉い方との会議などに参加してしまうため、手の込んだものは用意できなくてもこうやって目の前に差し出さなければちゃんと食べようとしない。
この食生活とブラック労働によって身体はボロボロなのに戦闘においては強いことに疑問を持つが、ここから私たちが去れば以前のような干し肉か固形栄養食を咥えて出勤する生活に戻るだろう。
エビフライにがっつく様子を眺めていると、先程までずっと距離を置かなければならないと強く思っていたくせに、離れるのも心配になってくるのが不思議だった。
「セルカ様、俺らも早いとこ食おう」
アルフレッドを見つめていると、少し低い声でトーマが言うものだから、私は笑みをこぼして返事をした。
今日はみんなの好きなものを振る舞いたかった。離れることを考えて心にさした影を、喜ぶ皆の表情に、声に拭い去って欲しかった。
時間が早かったこともあり、手の込んだ朝食もみんなが来る前に完成した。あたたかいうちに食べ始めるトーマを横目に、保温の魔法の込められた魔石を起動させて二時間は料理を美味しく食べられるようにしておいた。
少し遅れて私が食べ始めると、トーマは綺麗な微笑を見せて、隣にいる私に言った。
「朝、俺より早く起きてたよな」
「うん」
「もしかして、ずっと起きていたとか?」
「……夜中に起きてからね」
流石に多少の睡眠はとったよ、と笑い返すと、彼は眉尻を下げた。心配されているんだと思うと、申し訳なさより頬の熱くなるような嬉しさと恥ずかしさが込み上げてくる。
どうしても過保護に思える彼の心配を一身に浴びることには慣れず、それでも日に日に素直に笑顔を返せるようになった。出会った最初の最初、特に執事教育を受けていない頃なんて私の方が目に見えて強かったから、このように心配されたり命を助けた恩義を受けてもどこか受け流していたような気がするのだ。
こうやって変化を実感できたのは、奇しくも神の問題に巻き込まれてミコトの壮絶な一生を垣間見たからかもしれない。
「またもうすぐ、私たちはここを出て旅をするよ」
唐突に、きっかけもなく宣言した。
そんな私を見る彼の目はちょっと訝しむような色を含んでいて、私は歯を見せてニイと笑顔をつくる。
「まず、マジム伝手に私が狙われる原因と敵対勢力の把握。引き込めそうな中立者の神殿に行って、説得を試みてみたい」
きっとミコト関連の何かが原因なのだろうとは、これまでのあれこれから予想はついている。だから、神の采配で行われたこの転生にどんな異常性があったのか、どうしてそのまま転生が実行されたのか……納得するまで答えを探してみようと思う。
「異常でも前例がなくても、私はこの世界に害為す存在ではないと理解してもらえるまで……ハイエルフの長い寿命が尽きるときまで、たたかうよ」
たたかう手段は武力だけではない。話して和解できる時はそうしたい。ただ、私は生きるためにこの世界に来た。
「いいんじゃねーかな。俺も死ぬまで、一緒にいるよ」
その場で交わされた約束は契約でもなんでもなかったけれど、ほんの少しだけ特別だった。彼の不敵な笑みに、特別大きな音を立てて心臓が拍動した。
それからは早かった。
何たって、私の大容量の異空間収納にものを入れてしまえば引越しも完了、旅の準備はするまでもなく、様々な物品が私のもとにある。特別な魔剣であるイヴァや女神シリーズの武器以外にはメンテナンスが必要でそのぶん時間は要したが、それでも他の冒険者クランの半分以下の時間で準備は終わっただろう。
教会があれば私たちはほとんど距離を無視して移動できるし、マジム経由でウィーゼルの情報を受け取ればどの神の神殿を目指すべきか定めやすい。
準備を終えた私たちはアルフレッドのもとを大量のご飯のレシピと保存のきく材料の詰め込まれた魔法鞄と保温の魔法の込められた魔石を置いて去った。その後はいつも通り、慣れた動作で街を出て蟻馬の引く馬車に乗り込み、進むのみ。
「ここから近いのは……愛の神ブラオの神殿」
ぽつりと呟きながら、道しるべの魔法を使う。行き先が決まっていて地図に載っていれば、向かうのは簡単だった。
狙われる理由を大雑把にまとめると……魂の複数所持と、それによる強大な力、大地神を下僕(使い魔)として所持すること。これで命を狙われるなんて、そこまでする必要があるのかと思ってしまうが、だからこそ納得出来ていない神はいる。
流石に私側に味方すると早々に示したものはいないが、細々とした神にもそこそこ大きな立場の神にも中立を示した者は存在する。できるだけ平和に、その中立者と話し合う。
当面の目的は、決まった。




