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第90話「大罪」

 無駄に入り組んだ一本道をずんずんと突き進み、やがて彼らの視界がひらけた。城の内部に進入してからおよそ五分、先導するトーマとマジム、そしてアルトが主人の気配を察知して、一層警戒心を強めた。

 無事であれと祈るクランメンバーは、敵対する者がいないに越したことはないが、濃密な神気を肌で感じていた。

 光の中に飛び込むと、そこは謁見の間、王座の間……そのようにいわれるとしっくりくるような広間であった。壁から天井にかけて豪快な波の描写と繊細な海中の生き物達の描写が、海を司るものの城であるということを表しているようだった。

 その広間には、たったひとつの入口から入ってきた彼らに背を向けて立つ少女と、傍らに佇む悪魔と、ふたりの周りを飛び回る毛玉……そしてその足下で跪く神器・女神の殺意があった。

 とはいえ、人間の姿になった女神の殺意を見るのははじめてである進入者たちは、不思議な既視感に首を傾げる。

 唯、マジムとアルトだけはその正体をよみとり、警戒度を最大まで引き上げてセルカと女神の殺意の距離を離した。

「セルカ様、危険です」

「ご主人様、離れて」

 ふたりの合力に敵うはずのないセルカは、そのままずるずると仲間たちの方へ引きずられる。女神の殺意は顔を上げてその様子を見て、クランメンバーに視線を向けるときに一瞬憎悪の感情を表に出した。

 しかし誰が感知するまでもなく、そのどろりとした憎しみは美貌の裏に隠れる。立ち上がった女神の殺意はそのままセルカでなくアルフレッドに近寄ると、徐に手を差し伸べ、服越しに彼の腕をするりと撫でた。

 その行為はただのボディタッチはなく、アルフレッドは明らかに軽くなった身体に驚く。袖を捲ってみれば、自らの腕全体を蝕んでいた神命の契約紋が跡形もなく消え去っているのがわかる。

「我が主は楽しんでいる。海神はセルカの味方だ」

 さらりと、透明感のある銀髪を揺らし、女神の殺意はふと笑みを浮かべる。顔にある薄い傷が歪な曲線を描いた。

「傷のことは、不問にしよう」

 女神の殺意は引き留める間もなく、人の間を縫って外への道を歩いていった。結果、城主不在の城に案内人の一人もなく取り残された幼女守護団とアルフレッドだが、おおよその目的は達成された。

 セルカは無事で、アルフレッドも解放され、海神は味方となった。安堵の息を漏らしたのは誰であろうか、その場から悪い空気は消えていた。

 そんな中に、セルカは僅かに眉を顰めている。彼女は「無事でよかった」と声をかける仲間たちに笑顔を返しつつ、ジンのもとへ一歩踏み出した。

「……アルステラ、ジン」




 名前を呼ぶと、彼らの視線が私に集まった。アルステラは心当たりのあるような、ジンはまったく心外だとばかりに視線を動かした。

 二人には、あとで話がある。


 そして夜になり、まだ私達はウィーゼルの城にいた。私の魔力がほぼ底をついていて、いくら現人神であるジンでも地上の、しかも大陸の内陸部から海底までの転移には大きく消耗したようで、帰る手段がなかったため仕方のないことである。

 城を包むようにして存在する空気の充ちた空間を一歩出れば魚形態の魔物やふつうの魚はわんさか見つかったので一部それらを利用しての夕食を終え、私は外でふらふらと歩いていた。

 そんな私にぴたりついてくるのは、アルステラとジン。意味もなく食後の散歩に出掛けたわけであったが、ついでだ。私は人の気配の無いことを確認するとその場に小さく防音結界を展開して、口を開く。

「十五分だけ出ておいで」

 すると、声を聞き届けた()()は、私が無抵抗なのを不思議そうにしながら表に出てきた。十五分だけ、という言葉が契約の重石となっているため、その時間だけで頑張ってもらいたい……。

 アルステラとジンは、その僅かな変化に目敏く気付くとそれぞれ身を固くした。魔力の質が変化した……すなわち魂が変化したというのは、彼らでも見るのは初めてであった。

「……っ」

 セルカのうちにいた少女は感情を表面化する感覚に慣れず、心のままにぼろぼろと涙を流していた。アルステラはそれが誰なのか()()()()()

「ミコト」

 黒い悪魔の言葉は、両者の耳に届いた。ミコトと、彼女の幼馴染であるジン……二人は視線をアルステラに向ける。アルステラの包帯で隠された顔でも、やわらかな表情を浮かべていることが感じられるほどに、声は穏やかだった。

 そんな彼より余っ程格の高い存在であるジンだったが、彼はミコトの行方も死も知らず、どこかで好きなことをして天寿を全うしたのだと、心のどこかで思い続けていた。久しく聞いたミコトという名と、僅かに覚えのある魔力に、狼狽える。

「みこっちゃ……?」

 尻すぼみになった声が届いたのか否か、セルカの身体はしゃくりをあげて涙を流すのをやめる。代わりに、瞳を潤ませながらも天使のように可愛らしい笑顔が浮かんだ。

「ジン!ステラ!私、成功したわ!会いたかった……!」

 油断しきったような、セルカの見せない表情に、二人は見蕩れた。そして喜びのままにジンに抱きついたミコトは、耳をぴこぴこと動かしながら言った。

「二人にまた会うために、エルフの血を探したのよ」

 自慢げに微笑む表情が、ジンの心をくすぐった。久しぶりの感覚だった。


 ミコトが説明した経緯は、よくわからないものであった。魔法で生まれ変わった。そうしたら、セルカ(雪音)に上書きされかけて、抵抗したらここにいた……のだという。

 本人もあまりわかっていない様子だが、何よりジンが気になったのは神への冒涜ともとれるような「生命の操作」が行われたことは確実、ということである。幼馴染が死ぬまでの時間を魔法開発に捧げ、その結果得たようである死を対価に発動する魔法は、ジンには逆立ちしても真似出来ない。

 得意気にその魔術理論を述べるミコトには悪いが、彼女はジンの目から見てまったく精神面での成長が見られなかった。彼女はずっと「異世界転移だ!チートだ!選ばれた者なんだ!」と喜ぶばかりであった。

 それがここまで変わらないとは……まるで本当の幼子を見ているような気持ちだった。

 しかしその魔法理論をミコト同様に理解していたアルステラは、その子供っぽい表情や言動、行動の原因が見た目に精神が引っ張られるとか以前に、ミコトがセルカの中で新生命として確立されてからの年齢が反映されているのだとわかる。

 彼は、ミコトがセルカの内で意識を持ち始めたのが遅かったのだと、魔法の欠陥ともとれる部分に気付いてそっと頭の片隅に留めておいた。

 ジンの中では純粋に幼馴染との再会を喜ぶ気持ちと、禁忌に触れたような気持ちとがごちゃまぜになり、彼は冷や汗を滝のように流していた。

(最初から莫大な魔力を持って生まれた赤子は、普通は死ぬはずです。みこっちゃんはそれを知っていても自分の魔力操作技術に絶対の自信があったんでしょう。その莫大な魔力を持ったまま子どもの成長期を迎えれば、みこっちゃんの魔力は計り知れないものになったでしょう。でも、そもそも勝手に命を上書きするなんて……)

 神の手で行われたセルカ(雪音)の転生及び上書きとは勝手が違う。寧ろミコトの凶行を止めるためにセルカが宛てがわれたのではないか、という予想がジンの脳内を駆け巡る。

 そんな彼らの気持ちも知らずに、笑顔でセルカの記憶やらのことを話すミコトだったが、ジンはもとより、アルステラもそれには顔色が悪くなっていった。

 無断で行った転生、魂の上書き、記憶の保持、他者の記憶の閲覧、同時存在……罪状にすれば、魂の懲役は軽く億を超えるであろう数字になっていた。全ての罪が重く、暗い色をしたミコトの魔力は、その罪によって穢れた魂の色が表れているようだった。

「ステラ……消えてるわね」

 ひとしきりセルカ(雪音)のプライベートを話し終えたミコトは、ふとアルステラの身体に触れた。年季の入った悪魔でさえぞわりと悪寒を感じるほどの穢れた御魂にジンは真っ青になる。

「ステラ……私たち、両想いよね……?」

 甘い表情で囁くミコトが、アルステラにはとてもおぞましいもののように思えた。彼が思うのは、自身の愛した黒髪の女は、もっと穏やかで美しく、しかしその内に命への執着と激情を秘めた、いい女であったということ……。

 あの可愛らしくも気高さを併せ持つセルカの身体で、許可を得ることも無く痴女の如く触れてくる……そう思えば、アルステラは我慢できずに手を払い除けて距離を置いた。

「照れなくていいのに。せっかくの再会よ?」

 縋るミコトに、アルステラは恐怖する。悪魔が怯えるとは、珍しい。それを見たミコトは眩しそうに目を細め、弧を描いた唇が開かれた。

「愛しているわ、ステラ……もう二度と離れないように……契約をしま」

 そこまで言ったミコトの動きが止まる。そして時間が停滞したかのような静寂の後に小さく悲鳴が聞こえた。

「痛っ……」

 顔面蒼白になったセルカが、舌を噛んで座り込んでいた。


 まだぎりぎり十五分は経過していなかったが、目に余る行動・言動に耐えかねた私はミコトから主導権を奪い返した。それに抵抗する彼女の力は酷く強く、頭の中を殴られているような頭痛が続く。

 気分も悪いし体調も悪い……最悪なコンディションになった私はふらつきながらもふたりに声をかけた。

「さっき城の中で暴れていた魔力は、これ。ずっと気になってたけど……知り合いだったんだね」

 力無く笑う私に、二人は気遣うように手を差し出した。支えられてじっと苦痛に耐えると、十五分が経過したようで「口上の許可」が切れてミコトの意識は再び闇に沈んだ。

 おかげで身体がすっかり軽くなるが、ふと彼女に脳内を勝手に探索されていたことを思い出し、ジンは急いで彼女に封印をかけた。不安も消えて足の震えがおさまり、ようやく私はひとりで安定して立てるようになる。

 最初は再会の手助けのつもりだったけれど、ふたりの表情は微妙。私も前世のことをぺらぺらと喋られて良い気はしない。顔色も良くないし、軽く駄弁って気分転換してからみんなのところに戻ろう。

 障壁が崩れ去ると外界の音が入り込んできて、この場の静けさをいっそう引き立てる。海底のごうごうという不気味な重低音と食器類のぶつかる音、そして仲間の笑い声は、あまったるい声色で騒いでいたミコトの余韻をゆっくり押し流していった。

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