第74話「慣らして」
一番下っ端の軍人が、私も向かい合うかたちで訓練所に立っていた。下っ端といっても彼の体はある程度の筋肉の鎧に包まれていて、強化なしの私の物理攻撃だと全く歯が立たなさそう。
それでも今回求められているのは遠距離攻撃手段を持つ者、魔法使いや属性持ちの魔物との戦闘訓練……のようなので、問題ない。軍の備品である木剣を構える男からは侮るような視線は感じられず、軍部の教育が行き届いているのだろうなと感心した。
私はエルフなので魔法と、その次に弓が得意だという話は有名なので、軍の皆様もそれを期待していたのだろう。女神の天弓を構えて男の脚に標準を向けると、はじめの合図と同時に放った。
「っ!!」
さすがにフェイントも何も無い直線的に射った矢は当たらない、しかし予想以上の速度で撃ち出された矢に男の目の見開かれるのがわかった。
距離を容易に詰められないように何度も矢を放ちながら後退すれば、男の顔が一気に曇る。魔法を撃たせたくないようだ、でも既に撃つ余裕はあったので、実戦なら彼は氷漬けかもしれない。
このまま延々と逃げ回るのもありだが、相手はそろそろ無色の魔力矢に順応してきたようだ。ということで次は色とりどりの属性矢で畳み掛けることにする。炎は得意でないので一番威力が低いけれど、木製の剣では防ぎにくいようで一番苦戦していた。
しかしそれで手一杯になった男は後方からも回り込んでくる最早矢の動きじゃない植物矢に捕われ、そのまま剣を振るえないように拘束すれば、試合終了。
「マジかよ」
審判役を買って出た軍人が、判決を下しながら呟く。下っ端は文句を言うだろうかとドキドキしていたが、むしろ面白そうに笑っていた。拘束を解けば滅茶苦茶に褒め称えられ、むず痒い気持ちになりながらトーマの元へ駆けた。
「最初は弓だけか。段階を踏んで実力を解放してったのか」
言外に「相手になるとも思ってないな?」と訊かれ、えへへと誤魔化すように笑う。もちろん、トーマも軍部の下っ端が私の相手足りうるとは思っていないだろうけど、流石に舐めすぎだった?
でもそれ以上何か言われることは無く、そのまま私は次の試合に駆り出されるだろう。魔法の弓の性能を見てか軍人たちは「次は俺が!」と試合参加の権利を奪い合うようにしていた。
仕方ない、最後まで付き合おう。
ということで何人か倒していったが、残念なことに魔法まで引き出せた者はいても魔法に太刀打ちできた者はほとんどいない。なので魔法のグレードを下げてみたり規模を抑えたりと色々試行錯誤したけれど、元々魔法への対処が苦手なようで皆苦戦していた。
前戦では相手もそろそろ強化魔法や低級魔法の熟練度が高い者になってきたようで、なかなか手応えのある面白い戦いであった。つまりその者より強いはずの目の前の男は、楽しませてくれる可能性を大いに孕んでいた。
「よろしくお願いします」
「よろしく頼むぜ」
挨拶を終えると直ぐにはじまる試合。身体強化とそれとほぼ同時に使用された技能、縮地。私の特性と攻撃手順を覚えたのか、彼は私の弓が扱いにくいだろう距離まで接近してきた。
仕方なく段階を踏まずに魔法へと移行するが、なるほど彼は属性剣の使い手のようで、木剣は不思議な炎に包まれた。
水は蒸発し氷は溶かされ炎は喰われて植物は燃える。属性ではない雷や実体のない光、闇は避けたり、闇に至っては炎の輝きで相殺を狙うまでするのだからタチが悪い。……これは良い相手だ。
剣は支給されるものなので、それに木剣なので、この美しく強い炎は彼自身の技能。トーマに似たその赤色に、少し惹かれる。
私はついに楽しくなってきて、虚空を切り裂くように現れた木製の短剣を取り出して天使の声を一声、追い風に乗り氷魔法で相手の体温を奪い、接近戦へと持ち込んだ。これに一番焦るのはトーマなのだが、勝てば問題ないだろう。
殺傷能力の強い魔法はこの場合使えないので、属性矢と属性弾が防がれればあとは魔法以外の制限を外せば良い、ただそれだけのこと。エルフというからに力はないと高を括っている男は真正面から剣で私の攻撃を受ける。
……が、属性剣を使えないなりに氷魔法でゴリゴリに補助した短剣は燃やされることなく相手の剣に届き、また強化された腕力が確かな手応えを感じさせる。
「『力を示せ!』」
言葉に呼応する天使の声の発動のために、自身を鼓舞するような言葉を吐く。ぼわっと口から炎が出たかと思うくらいに濃い魔力が溢れ、それが私の体に絡みつく。力が漲った。
同時に無詠唱で身体強化の補助魔法を使えば、目に見えて力が変わる。相手もそれに気付き、ようやく彼も身体強化を使ったようだ。
この人、強い!楽しい、楽しい!!!
誰かが私の中で叫ぶような感覚。戦うことに愉悦をおぼえるこの感覚。もしかして意識が覚醒する前のセルカかな、なんて思いながら、流れるように動く体に違和感を感じながら、戦う。
セルカとセルカの感覚が重なって、先程までの違和感の正体にたどり着いた。
私じゃなかった頃のセルカには、成人女性くらいの体躯を持っていた記憶がある…………だから、そのセルカを引き継いだ私に彼女の感じた違和感が伝わったのだと。
そしてはっとして意識を戦闘に戻した時。それは素早く重い一閃が男に吸い込まれるように打ち込まれ、そのまま彼の喉仏に触れるか触れないかというところで止められる瞬間だった。
彼の強さに感心しながらセルカの強さに感服しながら、また、少々畏れを抱きながら。武器同士の応酬が終焉を迎えたその場所は、私たちの荒い呼吸と、それから遅れてやってくる興奮に満ちた歓声で塗り替えられた。
思考を整理してこの戦いは『セルカ』の勝ちだと審判役が告げれば、ようやく今の状況を知覚した。ほとんど感覚と体の記憶に頼って戦っていたが……私が打ち負かしたこの男、実力が他と違い過ぎないか?
間違っていたらごめんなさい、と心の中で謝りつつ、かまをかけてみる。
「あなたは、忙しいでしょう。なぜここに?」
気まずそうに揺れる瞳に、私は確信した。この人、隊長か副隊長クラスだ。いや、急にあそこまで対応してくる人材がいるとは思えないし……。進化種の私は基礎ステータスが高いのに、この男、身体強化を重ねがけしようともしなくてびびった。
男はうーんと唸ってから、「楽しそうだったから、つい」と肯定ととれるような言葉を口にする。するとトーマがその男の後ろに立っていて、力づくで彼を立ち上がらせる。
「副隊長、何してんだよ。急に交ざるから止めるのが間に合わなかったぞ」
批難するような声色で告げるトーマは、たしかに副隊長と口にした。このレベルで副隊長とは、流石軍事国家だと言うべきだろう。私の国の軍は彼の強さなら隊長だ。ただこちらには、魔法師団という心強い仲間たちがいる。
トーマに怒られている副隊長は、まるでこたえた様子もなくチャラチャラした雰囲気丸出しだった。属性剣が炎だし、なんとなくトーマにステータスや技能の構成が近いような気がする。
だから仲良さげなのかな、と納得して頷くと、次の試合を急かされてトーマたちは端に避けた。副隊長は引き摺られるようにして移動していた。
しかしそのあとはこれといって手応えのある者はおらず、それでも少しずつ動きが良くなり私への対応策を考えてきたりと向上心に満ちた軍人たちをあしらって、一日が終わった。
最後、隊長が副隊長を回収しに来て、肩に担いで帰っていった。隊長は綺麗な女の人で、だから構って欲しくて抜け出しているのかな……副隊長はまだここにいたいなどと騒いでいたが担がれた彼の表情はどこか喜んでいるようで、私は残念なものを見る気持ちになった。
翌日、再びタルドル師匠の授業が再開となり、早朝から朝ごはんを作ってあげるために彼のいる森へと急ぐ。今日はクリームシチューを作る予定で、最初はミルクスープの予定だったが転移の際にジンがルゥ(のようなもの)をくれたのでそれで作るつもりだ。
教会から出ると村の人が居ないことを確認して、そっと起こさぬように走り抜ける。森の中に入れば微細な、だがとても特徴的な師匠の魔力を辿って住処にたどり着く。
「おはよーございます」
「おぉ、よく来たな」
ドアを開けると師匠は仁王立ちで待ち構えていて、私は思わず微笑ましいものを見る目になる。彼は料理に手をかけないうえに食材は近場で集めるので、ここで手に入らないような高級食材と豊富な調味料で作られる私の料理を新鮮に思うのだろう。
待ちきれない様子の彼のためにすぐ準備に取り掛かり、一応下準備は済ませてきたので手早く調理を進める。火の熱に直接魔力を送り込んで操作し、味や火が通るのを早めて……あ、師匠がつまみ食いした。
「……うむ、美味しいぞ」
じろりと見れば、至福の表情でじゃがいもを頬張る彼がいた。小さくて可愛いのでついつい甘くなってしまうが、もし火が通ってなくて腹を下したらどうするんだか。
私は軽く叱ると味見して、少し調味料を足す。これでよし。
朝食を終えた私たち。私は余った白パンを収納すると彼の準備した教室に案内されて入った。
一日で仕上げたにもかかわらず中々の快適さと内装へのこだわりが感じられるその建物は、師匠の住処と同じく大きな木の洞に作られていた。フォレストキング・ディアーの能力を借りたそうだが、こだわりは師匠のだろうな。
黒板の役割を果たす板もあり机は長机、その真ん中に私がぽつんと座っている。教壇は高くて、身長の低い師匠のために小さな段もついている。小人族も人間の大人も快適に使えるように設計したようだ。
アルトは私の隣で丸くなって、落ち着く木のあたたかさに夢の世界へ攫われてしまった。もふりたいけど、今日からの授業は前よりちょっと真面目で、実家や国立総合学院ルーンでは習わなかった周辺小国のことだ。これから神殿を攻略していくので、その周辺の国家についてはよく知っておかなければならない。
これが終われば実技訓練なので、それを楽しみに頑張ろう。




