第64話「奥底」
スープとパンの軽い朝食を終えた私たちは、野営のために掘った窪みや焚き火跡をしっかりと消し元に戻してから、ようやっと動き出す。今私たちはマジムを中心に穴の淵に立っていた。
「では、やりますよ」
マジムはそう言うとすぅと深く空気を取り込んで、普段抑えている魔力と神力を放出する。新緑の煌めきが彼を取り囲むさまは神々しい。
まだ慣れぬ力だからか、彼はその煌めきたちを力づくで抑え込んで操っていた。どうにか目的に沿うように、大穴の壁へと光を向けていた。流石神に至った者と言うべきか、力づくでも魔法は発動し、穴の奥底へと続く螺旋階段が形成され始める。
凹凸が激しくお世辞にも美しいといえないその階段は、無理矢理に作ったゆえの荒々しさを感じさせる。しかし、広さも強度も歩くには十分だった。
少し疲れた様子で息をつくマジムの背中を数度撫で、私は階段を降り始める。仲間があとを付いてきていることを確認してからペースを少し上げて、そのままくらいくらい深淵を目指した。
それからどれほど経っただろうか、穴の中から見える円い空が群青、橙と変わり、そして今は暗く見えなくなっていた。天使の声による強化とアンネの補助魔法のおかげでペースを落とさないまま進んだ私たちは、遂に底へと辿り着いた。
やっとのことで辿り着いた平らな地面に軽く感動を覚え、何度か足を交互について感触を確かめた。しっかりとした硬い床だった。それはそれは、自然に出来たとは思えない滑らかな床だった。
しかしこの暗さでは自分の足下くらいしかハッキリとわからない。初級魔法で光球や火球を浮かべてはいるものの暗鬱とした夜の闇には負けてしまう。身体強化無属性魔法の暗視は、何らかの力に阻まれて発動前に弾けてしまう。
そうして唸っていると、ライライが夜空妖蝶を呼び出した。彼が彼女に小声で命令を下すと、妖蝶はひらひら舞いながら上へと昇っていった。同時に魔力を纏った鱗粉をきらきら撒き散らす。
星屑のようなその粉は、確かな光量を持って底を照らし始めた。
《いいっスね〜!流石我が主、明るくなってきたっスよー》
上空から声が降ってきて、私たちは見上げた。妖精のように可愛らしい夜空妖蝶が、光り輝きながら宙を泳いでいた。魔力を結構使いそうな魔法?だが、彼女はただ楽しそうに踊っていた。
ゆっくりと重力の強さを感じさせないような速度で降る星の粉に見とれていると、そのうちに妖蝶の飛ぶ範囲が広がり、それに伴って見える範囲が増えてくる。
広く平坦な地面、そこに薄らと刻まれた魔法陣のような模様。穴底の中心には祭壇らしきものがぽつんと立っていて、その中に隠れるようにして階段があった。きっとこの階段が、神殿への道。
私がマジムを振り返ると、彼はまだ使ったぶんの魔力や神力が回復していないのかいくらか顔色が悪いように見える。私は迷った末に軽く休憩をとることにした。
「テントは組み立てなくていいよ。簡易のハンモックとテーブルセットだけ私が用意するわ」
マジムのためにハンモックを設営すると、彼は笑顔でお礼を言って、その笑顔は元気アピールをしているかのよう。気丈に振る舞われても使い魔契約でどれほどのつらさなのかわかるから、意味無いのだけれど。
私がジト目を向けると大人しくハンモックに横になった彼は、その美しい顔から表情を消して瞳を閉じた。そのまま寝息をたてる彼を見届けると、私は今朝の余りのスープを温めてから配った。そして食べ始めた頃、トーマから声をかけられた。
「神殿だから魔物はいないと思うが、セルカ様、どう思う?」
彼の言葉に私は少し困惑した。私は神殿を大樹魔林や水中遊路と同様の迷宮だと思い込んでいたので、てっきり魔物はいるものだと思っていた。
悩んだ末にその考えをそのまま口にすると、彼は僅かに目を見開き驚いた様子を見せ、それから思案顔になった。再びスープに口をつける私に、バウが言った。
「ボクはいると思うね。セルカちゃんに賛成〜」
目をぱちくりとさせると、彼は続ける。
「セルカちゃんとマジムが倒した大地神のことだから、めいっぱい仕掛けや傀儡を仕込んであると思ったってだけね」
自信はないね、と暗に告げる彼だが、それを聞いて私は頷いた。あの大量の傀儡を自動制御で操る力があれば、そのようなことも簡単にできるだろう。
ましてまだ弱かった私の前に大地神自らが登場しその手で殺そうとまでした、そうでもしないと心配だとでもいうような行動。来るはずがないとわかっていても念には念を入れて罠を仕込んでいそうだ。
マジムがそれを解除出来ればいいが……それが出来るのは神殿の最奥に辿り着いた時からだそうなので、それまでは自力で進まなければならない。
おかわりを要求してきたバウの器になみなみとスープを注ぎ、私は思考の海に潜り込む。リリアもあまり力に慣れていないというのに、このように急ぎ足で挑んでも良い場所だったのだろうか。そんな不安がよぎる。
目の前でスープをまた飲み干したバウを見て苦笑を浮かべ、私は休憩が終わるまでの時間を不安とともに過ごした。
休憩を終えいくらか回復した様子のマジムを伴い、私たちは神殿に足を踏み入れた。異空間に直結していたのか階段は数メートル降ると途切れ、そこにあった扉を開くととても広い空間に繋がっていた。明らかに天井との距離がおかしい。
そこはまるでただの……罠も傀儡もない普遍的な神殿だった。精緻な装飾が隅々まで施されていて、しかし豪奢華美な雰囲気はない。厳かで静かな空気を帯びていた。
「これは……表向きの神殿って感じですね」
マジムが辺りを見回して言った。大昔は祭典なんかもここで行われていたり、今でもたまに神官とやらが出入りするそう。飛行系の魔物でも人ひとり運ぶ魔物ならテイムするのもそう難しくないし、神の神殿だから当たり前なのかな。
中央には供えられてひと月も経っていないであろう聖水で満たされた器などがあり、人の出入りを感じさせる。
だがそれは今、関係ない。この表向きの神殿しか感じられない状態から、どう行動すれば全容を知ることが出来るのか。それはきっと、マジムが知っている。みんなの視線がマジムに集中して、彼は迷いなく歩きだした。
「こっちの……とても澄んだ空気が流れてくる、この完璧な神殿に似合わない『隙間』……」
その呟きを聞いて感覚を研ぎ澄ませても、その空気の流れは感じられなかった。きっとそれは彼にしか感じられないものなのだろう。バウなんかも同じように感覚を尖らせるが、やはり不発のよう。
じっと無言でマジムのあとをついていく私たちは、その時不思議な膜を通り抜けるような不気味な感覚をおぼえ、身震いした。
刹那、その視界が明滅し、くらりと酔うような感覚を味わったのちにその砂面に座り込んだ。
「え」
見ればそこは神殿の床ではなく、多少の人工物感を孕むだけの岩とそれを薄く覆う銀の砂の上だった。輝く銀の砂のおかげで視界は確保されていて、ここは相当奥まで続く洞窟のようだとわかった。
唯一直立しているマジムに目を向けると、彼は何か確認するように手をぐーぱーと動かし、それから「行きましょう」と声を出した。不思議に反響した声が耳に届いた。
進めど進めど砂の這う人工洞窟。そんな味気ない道を進む中、私たちは何度か怪しげな魔力の動きを感じて数度動きを止めた。だがその気配の正体は掴めないまま。
焦りを感じながら、永遠に続きそうな銀の道を進んだ。
「……マジムさん、ライライは一度休みたいと思うのです」
最も体力の少ないライライが初めに音を上げた。目はいつも通り死んでいるが足が疲れたのかいつの間にか最後尾にいた。
仕方ないなぁという雰囲気でマジムが止まると、アンネはにんまりと笑い「完全魔法職で女性のベルが平気なのに、意外だわ」と満足気にする。
そうして全員が足を止めライライが腰を下ろすと……
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
と音が響き、前方を向けばそこには定番の巨大な丸岩が転がってきていた。
「フレイムランス!」
咄嗟にベルが魔法を放とうとするが何かに阻害され不発、私も試したが不発だった。迫る岩に、足が疲れた状態で座ったせいでなかなか立ち上がれないライライ。交互に見る。
すると彼が浮き上がる。トーマが比較的華奢なライライを小脇に抱えて走り出したのだ。
「セルカ様!」
トーマの声にハッとして、私も駆ける。砂の覆う地面は走りにくかったけれど、そうするしかない。せっかく進んだ道を逆戻りしながら、一応、使える魔法がないか心の中で詠唱を繰り返した。結局そんなものはなく、ただひたすら岩の脅威がなくなるまで走るハメになったのだった。