第62話「新天地とストーカー」
美味しい食事を終えた私は、心の底からの感謝と幸福感を味わってから眠りにつく。ちゃんと歯も磨いて身体も清めてから寝た。
その結果朝はいつもより清々しく、夢見も良く、私はさすがうなぎパワーだと感心してから、ようやくベッドから起き上がった。朝食もついているので早いうちに食べて国境を越えてしまいたい。
男女別の部屋なので自分で髪の毛をセットして、寝る前に外していた前種のカフスを着けてクォーターエルフに元通り、皆が起きる時間までは訓練だ。
今日はずっと先延ばしにしていた内容をやると決めていた。知らない魔法は使えないので自力で索敵をするために使った、魔力の細糸。遠くに広げようとすればするほど障害物を避けながらの散布になるため、操作には気力を使う。
アンネを助けるために使った時、私の脳がキャパオーバーしたのか鼻血を出してしまった。しかし今の私は仮にもハイエルフ。きっと鍛錬をしていけば満足に使えるようになるはずだ。
本物の索敵魔法の勝手は知らないが、無属性の初級魔法だから使えはするはず……だが、糸の方が「糸を通して魔法を放つ」といった応用などが期待出来る。そして早速魔力を練り始めた私はようやく気付いた。あれ、アンネがいない。
練習として広げた魔力糸からアンネの存在を確認した私は安堵して、そっと窓の外を見た。広くはないが彼女一人で剣舞の練習をするには十分な空間があり、そこを借りて鍛錬しているアンネの姿が見えた。
彼女の決意は余程高いのだろう。見たことない動きを交えながら舞い、空想敵を浮かべてか鋭い一閃を放った。細い刀身が大気中に満ちる魔力を分断し、彼女の表情が緩んだ。
いつからやっていたのか、汗だくになったアンネはそのまますぐ横の井戸で顔を洗うと軽く拭いて、何事も無かったかのように部屋に戻ってきた。
私はあらかじめ用意しておいた冷たい果実水を差し出して、驚いた様子のアンネに微笑みかける。
「お疲れ様、アンネ」
「……見ていましたのね」
恥ずかしげに頬を染める彼女はとても愛らしい。私はそっと涼しい風をアンネにおくると、自分のぶんの果実水に口をつけた。
それから皆起きるまで少しの雑談と鍛錬のために起きる時間を合わせることなどを話し合って、私たちは少し仲を深めた。知らないうちに親睦を深めていた私たちにリリアが口を尖らせるが、きっとみんな仲良くなれるから大丈夫。
朝食は流石に鰻ではなかったが、なんと鰹出汁の効いたスープが出てきて、お味噌汁じゃないことに少し拍子抜けしたが美味しいことには変わりない。獣人たちに食べられている堅いおやつが鰹節だと知ると、私はバウにジト目を向けた。
極小数の料理人の間では広まっているらしいが、もっと早く知りたかった。
仕入先については聞けなかったので、とりあえずコレも商業のサーズに行ったら探すしかない。探さないなんて選択肢はない。そっと買い物リストに鰹節をぶち込んだ。
朝食後すぐに出発した。国外は初めてだが、街の東西正反対に位置する門を抜けたとしても景色が大きく変わるわけでもなく。変わり映えのしない街道を、馬車で駆ける。とりあえず目指すのは商業国家サーズなので、小国群はなるべく素通りすることとする。
そうして駆けるうちに、すぐに国境の砦が見えた。そして馬車を停めると……
「セルカお嬢さぁん!!!!」
馬車の影からするりと黒いモヤが飛び出して、私の名前を叫んだ。驚いて目を向ければ、そこにはすでにモヤから形を整えた様子の不審者さんが立っていた。
悪魔であることを考えれば追いついても不思議ではないが、しかしわざわざ追いかけてくる理由も浮かばない。トーマと、マジムまでもが警戒して間に立ち塞がるが、不審者さんはひらひらとローブをはためかせながら告げる。
「お願いだ、セルカお嬢さん。同行を許可してほしいんだぁ……」
彼は頭を下げて、続ける。
「基本的には影に潜ませてもらうからぁ、きっと邪魔にはならないと思うんだぁ」
そこまで言うと、彼はマジムに寄った。何かと思えば彼らは何やら短く言葉を交わし、それからわかりあったのか頷き合うと、マジムが振り返った。
「セルカ様、僕からもお願いします」
「……まぁ、邪魔にならないなら」
私は許可を出して、みんなに少し謝る。特にトーマは警戒しっぱなしになるようで申し訳なかった。
国境の砦を越えたのち、再び馬車を走らせて最寄りの街を探した。商業国だからだろうか、街道はアズマよりも広く凹凸も少ない、商品を運びやすい道になっていた。
これまでになく快適な馬車の旅に、その乗り心地に、私は改めて「移動に使う馬車の乗り心地は大切」だということを実感した。近いうちに改良するか新しいものを買うことにしよう。
そのまま進むと、アズマや小国群に品物を売りに行くのかいくつかの商隊とすれ違い、その頻度が増してきた頃にようやく初めての街に行き着いた。
国境前の川の街よりも栄えた様子のその街の入り口は商人のための受付と冒険者のための受付に分かれていて、商人受付は案の定長蛇の列が成っている。分けられていることをありがたけ思いながら、数クランの並ぶ列に加わった。
途端に消える馬車と蟻馬に冒険者だけでなく商人も驚くが、何事も無かったように振る舞う。子供ばかりのクランだが、一見保護者にも見えるトーマとバウの組み合わせに、次第に興味を失ったのか視線が散った。
それをよしとして話しかけてくるのは、影に潜む不審者さん。
「セルカお嬢さん、頼みがあるんだぁ」
「…ん」
怪しまれないようにと小さく声を出すと、彼はつづける。
「時間が出来たら僕の店に来てほしいからねぇ、案内するからさぁ」
断る理由もなく、私は了承した。鰻と調味料探しくらいしかすることもなかったので、すぐに行くことになるだろう。
流石に客層に商人が多いのかしっかりした宿が多かったので、私たちはすぐに自由行動に移ることができた。宿探しの際に既に魚屋のはしっこに並ぶ鰻を見つけていたので、あんまり嬉しかったものだから走りだした。
だからといってぶつかったりはしない。すぐに鰻を買い求めた私は魚屋の店主に調味料の売っている場所を訊ねると、そのまま教えられた通りに道を進む。すぐに見つかった。
用事を終えた私は宿に帰ると異空間収納からどさどさと調理器具と食材を用意して、時間に余裕があることを確認してからチョシーを作り始めた。
じゃがいもはたくさん備蓄があるので、たくさん作れる。具材もそこまで厳密に決まっているわけでもないので、色々な具を作れば飽きないし、量も補える。
早速お肉と野菜を小さく切り刻んで、炒めたり茹でてソースに和えたり、様々な組み合わせを作った。オーソドックスなお肉+チーズ+酸味と辛味の強いソースを具材に使うチョシーももちろん作る。
そうして百を超えるチョシーのかたちを作り終えてあとは揚げるだけの段階になると、私はそっとそのチョシーたちを異空間収納にしまった。好きなときに揚げて食べる用なのだ。特にバウは大食らいなので、彼のためでもある。
オーソドックスなチョシーをひとつだけ残しておいた私は、それを調理し揚げたてを頬張りながら自由行動時間の終わりを待った。
全員集まった。そこでようやく不審者さんが姿を現し、妙にさまになった礼をしてみせる。
「紹介が遅れたねぇ。僕は悪魔のアルステラ。これからだーいじな話をするために僕の店に案内するつもりだよぉ」
初めて名を聞くことに気付いてピクリと肩を震わせた私だが、呼び名を今さら変えようとは思わないのでそれ以上の反応はしない。他の皆が「僕も私も」と自己紹介をしようとするが、不審者さんは「みんな知ってるから大丈夫だよぉ」と笑うので、すぐに店に向かうことになった。
陽が傾いて長く濃く影のできた街に繰り出し、その細い路地を縫うように進んだ。同じところをぐるぐると回っている気になっていると、突然影の中に『闇』が現れた。長方形、これが入口だと言わんばかりのその闇に、私たちは飛び込んだ。
視界がフェードイン。ぼんやり薄暗い場所にいた。その場を照らすのはどこからが差し込む不気味な光と、鬼灯を模した怪しいランプ。トレードマークといってもいいその鬼灯を、私は少し、見つめた。
「いらっしゃぁい」
全員が揃ったところでカランカランとベルを鳴らす不審者さん。ローブが暗い色なので、まるで半身が闇に溶けているようだった。……いや、実際にとけている。
武器や防具、なんだか分からないガラクタの類が並ぶ中、突然現れた椅子に座るように促された私たちは、輪になって座った。
「じゃあ、話そうかあ。マジム、頼むよ」
「……はいはい。セルカ様、よく聞いてくださいね」
マジムは私の向かいに座っていた。
「セルカ様は、自身が特殊なことはわかっていると思います。それに関することです」
雪音じゃなかったセルカは、いずれ神々によって排除されるであろう存在だった。あることを境に排除理由であった危険性を失った私だが、その際にバグのようなものを抱えている。あること……濁されたが転生のことだろう。そしてバグとは、セルカだ。
詳しいことはわからないが、私にはふたりぶんの命の輝きが秘められているらしく。それは起きてはならぬイレギュラー、フレイズ様が見逃しているのかはわからないが、普通ならそれが定着してしまう前に修正する。
今回はそれが行われなかったのだろうか。
「そしてその命の輝き。ふたつめは、僕の前の契約者の老婆なんだよねぇ」
アルステラが悪魔らしくいやらしい笑みを浮かべ、私はひゅっと息を呑む。生まれたことから監視されていた可能性が高いことに思い至ったのだ。彼はその老魔女の転生を確認したと言っていたから……。
私の反応を見た不審者さんは考えを察したのか、くくくと笑った。
……そういえば、私になる前のセルカは危険な知識を多く持っていたっけ。それもやはり老魔女の意識が受け継がれていたゆえなのか。
マジムとアルステラは話の口裏を合わせたのか、特に違和感もなく『私は転生者である』という点を隠して話し終えた。話の印象的には、私は『老魔女に誕生時に乗っ取られたが事故をキッカケに復活した』といったところだ。
「大体、理解できた。魔力も彼女のぶんがあるから多かった……のかもね」
私はマジムに目配せしてから言葉を選びながら話す。後でしっかり聞かせてもらおう。
「そうですね」
笑みを深めるマジム。
「では、セルカ様。もうひとつ聞いてほしいことがあります」
「どうぞ話して」
「はい。……神々のネットワークが崩壊しました。これから新参者で不確定要素の大地神などを除いたほぼ全ての神族が、主神か貴方の命を狙います」
ぴりりと空気が変わる。リリアが私の頬に抱き着いて、トーマの目がギラリと光る。アンネもベルも、ライライもバウも、みーんな真剣な表情に変わった。なんだか、不謹慎かもしれないけれど、うれしい。
「覚悟はありますか、皆さん。神に立ち向かいますか」
マジムの低い声に、声が揃った。
「「「「「「もちろん」」」」」」
「……覚悟は、できてるよ」
私が続けると、みんな頷く。
鬼灯の緋がゆらめいて、私たちを照らした。