第61話「国境の川の街」
小さな村や町を過ぎて道なりに国境を目指していた私たちは、可能な限りの速度で馬車を走らせ、国境目前という所まで来ていた。それも疲れ知らずのコピーアントの馬ととにかく頑丈さを重視して購入した馬車あってこそ。
馬車の窓からは街の出入りの門と、街の中に流れていく幅の広い川が見えた。一応ここが魔法国家アズマの最西端の街で、この先は他国だ。そのまま真っ直ぐ西は小国群、南西部には商業の大国サーズがある。そこなら私の大好物も見つかると思うが……。
「運が良いのです。門が空いているのです」
ライライは嬉しそうに言うと、蟻の馬に指示を飛ばす。数台しか馬車が並んでいない、列ともいえないそれの最後尾にたどり着くと、全員降りたのを確認して馬車と蟻を片付けた。もちろん馬車は私が持つ。
すぐに私たちも門を通されて、街に入る。
そこでまず視界に入ったのは、とんでもなく幅の広いメインストリート。行商人や旅芸人らしき姿がチラホラと見られ、露店の準備などをしていた。商業の栄えるサーズからの旅人が多いのか、目にしたことの無い商品も並び、日用品から旅の便利グッズまで多岐に渡る品物が集まっていた。
そのなかに、私は見覚えのある姿を見つけるのだった。
「セルカお嬢さーん」
パラソルで陽の光を遮りながら控え目に手を振るのは、相も変わらず全身を黒で統一している不審者さんだ。以前より自然体で、少し巫山戯た歌うような調子の喋り方じゃなくなっていた。ヘラヘラしているのは変わらない。
「どこにでもいるね」
苦笑すると、彼は魔法人形に店の準備を任せてこちらに歩いてきた。そのままふわりと抱きついてきて、細い包帯巻きの腕で私を持ち上げた。
警戒を露わにするトーマだが不審者さんから敵意などは感じられないので、私は困ったように笑う。というかちょっと困る。周りの商人の視線をちらちらと感じる。
「元気だったかい?彼の剣も生き生きしているし、きっと悪いようにはならなかったんだろぉなぁ」
「ふふ、元気だよ。彼の剣って、トーマの魔剣?」
「もちろん」
不審者さんは屈託のない笑みを浮かべていて、つい悪魔だということを忘れてしまいそうになる。会えて嬉しい!という感情がダダ漏れになっていて、なんだかおじい様のことを思い出した。
トーマは警戒して手をかけていた自らの愛剣・イヴァをチラリと見遣ると「まぁ、悪いことはないな」と呟いた。
たかいたかい状態から下ろされた私はトーマに倣ってイヴァを見た。武器の整備はあんまり詳しくないけれど、たしかに生き生き……というかつやつやはしていると思う。生きてる魔剣もあるらしいけど、本当にこの無機物にしか見えないイヴァが生きているのか。
「ところで不審者さん」
私は疑問を一度忘れることにして話しかけた。
「結局あのあと、商人も経営者も続けてるの?」
契約は満了、もう店を営む必要はないはずなのだ。傀儡に仕事の大半をやらせているとはいえそれを操る魔力と細かい命令に対応させる技術は彼自身のもの。要は結局すべて彼が働いているということ。
しかし私の心配をはらんだ質問に、不審者さんは笑顔を見せる。商人は現時点では続けているようだが、彼は控え目な声量で告げた。
「楽しいんだよねぇ」
「楽しい?仕事が?」
「そうその通り。契約でなく自分の意志でやるって考えてるからかな、生き甲斐……なんて言葉が似合うなぁ」
悪魔が「生き甲斐」。私は面食らって、でも彼が本当に楽しそうに言うものだから突っ込むこともしないで「よかったね」と返す。悪魔だから硬貨の種類によってはあまり触れないものもあって収益を目的とした商売はしていない彼だが、仕事をするという行為が好きなのだろう。傀儡の接客用の改良などにも手を出しているとか。
そうこうして話しているうちに、商家の息子であるライライが少し興味を持ったふうに近寄ってくるので、さて、ここは彼にバトンタッチしよう。
「ライライ、不審者さんと話してみる?」
「え、良いのです?」
「不審者さん、いいでしょ?傀儡のはなし、してあげてよ」
喜色を滲ませる彼を見て、すかさず不審者さんに声をかける。するとすぐに了承されたので、私は一歩引いてトーマのもとへ歩いた。
それにしても……街を大きな川が二分しているとは、これまた特殊な。船の上に屋台をくっつけたような店が停泊していたり、商品を載せた中型船がゆっくり流れている。
食べ物ももちろんだが可愛らしいポーチや多少の収納能力のある財布などが並ぶ店もあり、興味をそそられた私はマジムをライライの護衛兼案内役に任命すると、トーマたちを引き連れて屋台を覗きに行った。
「これかわいい……」
その中でも一番目につくのは、抱き締めるのに丁度よさそうなうさぎのぬいぐるみだった。お気に入りのぬいぐるみたちの殆どを家に置いてきたというのと、サイズ的にも目立つので、すぐに視線が釘付けになった。
色はシンプルに白、手足が短めで愛らしい。値段は意外と高価だが見たところ縫製もしっかりしているようなので、私は躊躇いなく異空間収納内の金貨に手を伸ばした。
「ちょ、セルカ様。あれを買うのか?」
驚いた様子のトーマだが、いいじゃないか別に。年齢的にはアウトかもしれないが見た目にはピッタリでしょう。可愛いからいいじゃない。と心の中で反抗したものの、次に彼が告げた言葉は予想とかけ離れていた。
「俺が買うからセルカ様はもっとこう……魔道具とか杖みたいなものを」
本気で心配している様子で、訴えてきた。魔弓士という一応魔法職に位置する私だが、戦力の底上げに繋がる触媒などを一切持っていないため、彼は不安に思ったのだろう。
しかしこれまで不便に思ったことは……索敵しようとして魔力の糸を広げたときに私のスペックが耐えきれなかった時くらい。それを改善する並列思考なんかの効果を持つ魔道具なんて滅多に発見されないし、製法なんて以ての外。お金は貯めているけど足りる気がしなかった。
他には何か必要な物は……そう考えて油断していた私の横を通り抜けたトーマが、がっしりとぬいぐるみを掴んで店主に告げた。
「俺が買う」
私が現実に戻ってきたときには既に会計を終えていて、うさぎのぬいぐるみをだき抱えた彼は愕然としている私に歩み寄る。結構高いのに、なんてことを。だけど当の本人は私にぬいぐるみを差し出しながらも、なんだか嬉しそう。そうか、犬か。執事教育じゃなくて忠犬教育をされたんだね。
礼をいいつつ受け取ると、私はまたすぐに悩み始めた。プレゼントは嬉しい、嬉しいのだが……。若干の罪悪感をおぼえた私は数度感触を確かめるようにぬいぐるみを抱き締めると、異空間収納に入れた。抱き枕だからね。
そのまま屋台の料理を堪能した私たちは、未だに話し込んでいるライライをおいて宿探しに向かう。様々川魚や輸入された特殊な加工品などをたっぷり使用した美味しいものをたくさん食べたので、宿にも期待して食事付きの場所を探すことにした。
国境だということもあってか宿屋の数は多く、だからこそ選び甲斐があるというものだ。冒険者ギルドにお邪魔して貰った宿の資料とにらめっこして、ようやく決まったのは珍しい魚を仕入れるということとお代わり半額というアピールポイントが記入された資料だった。
珍しい魚、ってなれば。もしかしたら私の愛する鰻がいるかもしれない。引かれる覚悟でその店を推すと、一緒に話し合っていたメンバーはみんな賛成してくれた。
宿に着くと、たちまち香る焦げた何かのタレの匂い。宿の一階全体が食堂なので、出迎えてくれたのは受付でなく給仕の女性と美味しそうな匂いだった。
「らっしゃーい」
服の袖をかなり上まで捲りあげたその女性は、そのまま前を通り過ぎて客の待つテーブルに近付く。高まる期待のなか、私は宿泊受付のカウンタにたどりつく。そこで受付の気の強そうなお姉さんに宿泊する旨を伝えて部屋を借りた。そして待ち切れずに質問した。
「すみません、今日の夕食には何の魚を使いますか?」
「うなぎという……蛇に似ている魚だよ」
私は言葉を失った。
こんなすぐに出逢えるとは。私はなんて運がいいのだろう。商業国に行く動機が激減してしまう。私の反応にはじめは戸惑っていた受付の人だが、私が次第に喜び始めると、何を察したのか笑顔になった。
「商業国の方では蒲焼きとかっていうのが食べられているらしいね。それを食べて惚れたクチかい?」
少し違うけど、近い。私はめちゃくちゃ頷いて、その反応を見た受付のお姉さんはほんのりと表情を崩した。貿易が盛んだからといっても、ほかの店では鰻は見かけなかった。きっと努力して仕入先に認めてもらったんだろう。
私があまりの嬉しさにぴょんぴょん飛び跳ねていると、お姉さんが口を開いた。
「ほら、一応部屋を見に行ってきなよ。食事の時間になったら呼びに行くから、それまでに帰ってきなさいね」
「はい!」
元気に返事をして、二階の宿泊スペースに向かう。鰻、楽しみだ。
お姉さんに呼ばれて食堂を訪れると、宿泊客用として席が用意してあった。私は迷わず魚定食のおすすめ欄にあるいっちばん値段の高いものを注文し、クラン全員が注文していくのを眺めた。
魚定食に鰻が使われているのはリサーチ済み!高いのは量も質も変わるらしいので、ここで使わなければどこに使う。食費は惜しまない。
程なくして運ばれてきたのは、夢にまで見た鰻。裕福でない家庭で過ごした一生のなかで、一度だけ口にした至高の食材。蒲焼きではないけれど、こちらもなかなか良さそうな雰囲気がする。いい匂い。
「今日も、我々に生きる糧を与えてくださったことに感謝します……はぐっ」
早口気味に食前の祈りを捧げると、待ち切れずに箸を動かした。箸先で触れると柔らかく崩れる身には、たっぷりと飴色のソースがかかっている。そのまま一口食べると、甘めの濃口タレがガツンとくる。山椒ではないけれど独特な刺激の強い香辛料が使われているようで、不思議感じがした。
でもこれは鰻だ。美味しい。ふわふわで脂がとろとろで、語彙力が消え去ってしまいそうだった。フレイズ様がこの世界を選んで転生させてくれたおかげで口にできるのだと思うと、感謝と感動のあまり、目尻に涙が滲んだ。
動物も植物も、地球と同じようなものが多い……それならきっと、近いうちに蒲焼き、それも山椒付きのものと出逢えるだろう。なんて素晴らしい世界なの!
感動から自分の世界に入り込んでいた私だが、不意に視線を感じて意識を戻す。するとトーマと目が合った。
同時に自分の表情が非常にだらしない幸福な表情になっていたために、少し羞恥心をおぼえて照れ笑いを返す。何故かトーマは幸せそうに微笑み返すと自身の頼んだ料理を食べるのを再開した。
うーん、最高。私はこの瞬間を心待ちにしていた!フレイズ様、ありがとう!
『フレイズ様は地球の植生を真似たり参考にした……それがこんなに大きな影響を与えるなんて』
自身の空間に閉じ篭るマジムは、心底悔しそうに、壁に拳を打ち付けた。最愛の人、セルカの中での主神フレイズ様への好感度はまさにうなぎのぼりだろう。羨ましいことこの上ない。
『それにしても』
マジムはそっと意識を切り替えると、青白い悪魔を思い浮かべた。
『あいつ、セルカ様のなかを視ていましたよね。それもかなり大事そうに』
そのことはあまりいい予感はしなかったが、彼がセルカに危害を加える素振りなどを全く見せていない。いざとなっても自分が助けられるという安心もあったが、どちらにせよ現状は監視しかできない。
神になっても中身が変わる訳では無い。知識も想いも変わらずに持つマジムは、神となっても知り得ない悪魔の視線の意味を考えて、大きな不安と絶対に守るという意志を強固にしていった。
『僕が絶対に、守ります』
この命、彼女に捧げよう。