第53話「何もかもが違うなんて」
私は対価として最高級の魔力回復薬を受け取ってから、それぞれに声援を送る。相応の魔力の込められた声は、身体に無理が生じない程度の強化と回復の促進、それから勇気を与える。充分すぎる対価に私は喜び、そのうちのひとつでぱぱっと魔力を回復させた。
一応、二度目の探索では進行速度が早い者から順に、数分おきに入っていくことになっている。簡単なことで、あまり広いといえないチューブが人で詰まるのを防ぐためだ。
最初に入るのはヴァイセン率いる老竜の継承者。彼等は一番に帰還したうえに。水中呼吸をかけた後に触手に乗じて水中を探索すると言っていたので妥当だろう。ヴァイセンによると水中にも宝箱が見受けられ、カナヅチがいない彼のクランならスイスイ進めるはずだ。
私は背を向けて穴に飛び込んでいく竜人たちを見送って、彼らの無事を祈る。ま、ヴァイセンたちはベテランAランクでこの迷宮の魔物よりも断然強い。強いていうなら迷宮の主の存在が気になるくらい。
自分自身の緊張をほぐすために、大丈夫だと心の中で呟いた。マジムの力は極限まで封印し、私の力で戦う。そう決めていた。でなければ強くなんてなれない。でもちょっと頼り過ぎている節もある。主に精神面で、彼が常に一緒に居るのだということが良く作用していた。
だからといってそれに甘えているのは良くない。気合いを入れて拳を握り締めると、そろそろ第二陣……私たちが入る時間になった。
私は先に待っていたメンバーの中心に飛び込むと、元気いっぱい、
「ヴァイセンたちに負けないくらい頑張ろ!ライライは、従魔をたくさん作ろうね!前回の深度まで、一気に駆け抜けるよ」
と声を上げ、トーマたちはそれぞれやる気を露わに笑顔を見せる。特にトーマ、アンネの二人はやる気に満ちていて、私はクスリと笑った。
前衛のトーマとアンネに盾役のリリア、後衛のベルとライライ、自由行動の私とバウ。すっかり馴染んだ陣営を確認して、私から飛び込んだ。中で全員揃えばすぐに進もう。宝箱を探しつつ、従魔を探しつつ、なるべく早いうちに迷宮主の間に着くように。
そうして迷宮に踏み入れた私たちはまず、アンネに舞ってもらった。次のグループが来るまでそこまで時間はないが、ここで剣舞姫としてのスキルによる、移動速度の強化を頼んだ。
まずはじめに出迎えてくれる触手から逃れなければならない。ヴァイセンたちが減らしているだろうとは思うが、万一ライライが捕まったら面倒だから。ミミックがいるからといって安心はできない。
強化を終えた私たちは改めて出発する。一番に敏捷性が低いのはライライなので、彼の最高速度に合わせて走った。
前回と違う道を通ったため、新たな宝箱を二つ見つけた。宝箱から入手した不思議な装備をとりあえず収納にしまった私は、その後も進行速度を落とさずに前回の中断地点へと無事にたどり着いたのだった。
その地点からはおおよそ一本道で、ヴァイセンたちもここを通ったのか戦闘痕があった。普通は魔物の死骸は処理するか分けて収納するが、魔物の蔓延る水中を進んできた彼等の持ち物はいっぱいいっぱいだっただろう。死骸のうちひとつは盾で殴られたような跡があり、私はヴァイセンの姿を思い浮かべて苦笑した。
「先、越されちゃったかぁ」
そう呟くと、不安と尊敬を込めた視線を迷宮の奥に向ける。追いつけると思っていたが、彼らは私の予想の上を行く。ヴァイセンは私の方が強いと思っていそうだったが、実際の戦闘勘などは彼の方が上だ。
だが、チューブ内を反響して聴こえてくる戦闘音と昨日感じた迷宮主を思うと、心配でならないのだ。
とはいえ、戦闘中に乱入するのは良くない。助けたい気持ちで一杯だが、それはするとしても救援要請があってから。たとえばヴァイセンのハウリングがこちらに放たれるとか……。
そう考えながらも「きっとないだろう」という思いを心の奥に抱きながら、私たちは少しずつ進むことにした。邪魔はしないけど、出来るだけ早くゴールしたい。
まだ魔物も出るので警戒を怠ることなく、私たちは足を進めた。
「ぐぅ……いけると思ったが」
ヴァイセンはその手に持つ巨大な盾を斜めに構え、どうにか魔物の攻撃を受け流す。魔法すら受け、流すことの出来る最上級の盾だったが、その魔物の攻撃は一撃一撃が重く受け流すのもギリギリだった。
現にヴァイセンは数秒前の攻撃を受けきれずに肩口に傷を負っている。老竜から継いだ守りの盾は傷一つ負わないが、使い手が怪我をしてしまってはその力も十全には発揮しきれないというものだ。
そのうえに眼前の魔物の種類は竜種で、老竜の継承者の大きなアドバンテージのひとつである竜人という種族特性が生きない。加えてその竜種は迷宮主なので、通常よりも強い。ヴァイセンはその種を倒した経験があるにもかかわらず、倒すどころか自らが傷を受けていることに驚愕していた。
彼らはこの水竜を倒すだけの実力は備えているつもりだった。先日も迷宮主が水竜だと確認して、やれると思ったから挑戦したはずだった。
「おかしい……戦法も何もかもが違うなんて」
魔法を展開しながら、ヴァイセンの仲間が嘆いた。長たるヴァイセンの守りのおかげで傷は浅い者が殆どだが、そのヴァイセンが血を流したことで戦意が明らかに下がっていた。
「今ならまだ誰も死なないうちに引き返せますよ」
残り少なくなった後衛のMPと魔力回復薬に、不安は増す。
「あの女の子のクランもそろそろ来てんじゃない?」
そわそわとしながら、じわじわと思考が「敗者」に染まる。確かにヴァイセンは高速で近付いてくるセルカの魔力と彼女に宿る得体の知れない力の気配を感じてはいたが、だからといって逃げるのは最終手段である。
「お前ら!気張れよ……じゃねえと、じいさんに顔向け出来なくなるぞ!」
ヴァイセンは仲間に喝を入れて、それから二度目のドラゴンブレスを一身に受ける。残酷なことに、ヴァイセンの発動させた技能『盾技・挑発』は確りと効果をあらわし、ドラゴンブレスは彼へ一直線に放たれていた。
熱湯と水蒸気の混じったブレスは盾で受けても受けきれない種類のもので、体表を覆う強固な竜の鱗があってしてもヴァイセンに火傷を負わせる。小さく漏れた呻きは、激流の音に掻き消された。
しかし身を挺して彼が作り出した「ブレス中の無防備な身体」という隙は、仲間たちに希望を見せる。前衛はそれぞれの使える最上級の技を、中後衛はそれぞれの得意な「ハウリング」を即座に叩き込む。強力なハウリングは確実にダメージを与える。
身じろぎする水竜だが、僅かにブレスの軌道がズレるのみで反撃は無い。竜にとっても最も厄介である強大な守り、ヴァイセンを確実に殺しきることを優先したのだろう。
だが水蒸気と白い煙が晴れた後に見えたのは無惨な姿で倒れる竜人ではなく、火傷を負いながらも地面に両足をぴったりとつけて仁王立ちする竜人だった。これには流石に水竜も驚き、同時に狼狽える。竜が受けたダメージはなかなかに深刻で、余裕も少なかった。
見事耐えきったヴァイセンは、動きを止めている竜種を前に盾を収納する。それから重量級の斧を取り出して、地面に打ち付けた。
「畳み掛けろ!」
老竜の継承者たちの鱗の大半は軽傷。そして彼らの身体を覆うのはクラン名の由来となる、老竜の『生きた竜鱗鎧』……生まれたばかりの迷宮とその主には役不足だろう。
水竜の怯んだ様子を見た彼らは武器を持つ手に力を入れ直して、攻勢に出る。
その瞬間、一人が息絶えた。
そのことは気付かれぬかと思ったが、攻撃に夢中になる仲間をよそにヴァイセンだけが気付いて手を止める。倒れた者は後衛で魔法手、一番HPが少なく完全なる魔導士タイプの者だった。だからといっても鍛えられた竜の一族の命は簡単に潰えるものではない。確かにそこでは何かが起こっていた。
一人攻撃を止め倒れた魔法手に視線を送る。確実な死。魔力が感じられず、竜鱗の輝きも失われつつあった。しかしソレはゆらりと、関節の可動域を無視した動きで立ち上がる。同時に再び煌めき出した魔法手の竜鱗に、ヴァイセンははっとして水竜を見た。
「壁際に離れろ!!!」
咄嗟に口をついた叫びは仲間に届き、一人巻き込まれたが無事そうだ。水竜はまだ倒れるほどの攻撃は受けていないのに、突然に倒れたのだった。
目に見えて困惑する仲間に呆れつつヴァイセンは魔法手の竜人に斧を向け、止めに入ろうとした仲間を無視して襲いかかる。それを見た竜人の一人が、セルカの助けを求めて暴風の咆哮を通路に撃ち込んだ。
「一人死ん……」
突如として消滅した大きな魔力に私が声を上げたとき、それを遮るかのように魔力を纏った咆哮と暴風が通路を駆け抜けた。明らかなる異常事態に、私は迷うことなく駆け出した。トーマたちも臨戦態勢で私を追う。途中で私は全力疾走のリリアに追い抜かされ「あたしは盾役なので、先頭を行きます」と笑いかけられた。
彼女のやる気に呼応してか剛竜王の賜盾はその輝きを強め、煌々と燃えるような魔力を纏う。高純度高密度の魔力は、いつの間にやらリリアを持ち主と認めたのか、彼女にまで移る。一瞬眉をひそめるリリアだが、魔力は焦るように彼女に注ぎ込まれた。
しかし止まる暇もなく、余裕もなく、私たちはついに迷宮主の間の目の前へたどり着く。そこにはひとつの杖を持った死体とそれに対峙するヴァイセン、そしてヴァイセンを取り囲む竜人たちの姿があった。
構図だけ見ればヴァイセンが仲間に襲いかかっているかのようだが、明らかに違うだろう。わかるだろう。どう見たって死んでいる魔導士とリーダー、どちらが護るべきか、どちらを倒すべきかなんて……!
私は主の間に飛び込むとともに植物の種を投げつけ、即座に発芽させた。植物は瞬時に檻を形取り、魔導士とヴァイセンをそれぞれ隔離する。捕らえるための檻と守るための檻だ。私は着地すると、竜人たちを睨みつける。
「なにやってるの」
私はハウリングで救援要請した竜人に詰め寄った。しかしまだわからないのか、彼は私に向けて武器を構えた。殺気立つトーマだが、彼もこの竜人たちよりは冷静なようで攻撃には至らない。
戦闘直後で気が立っているのだろうとは思うが、仮にもAランククランが状況を把握しきれていないなんて、心底呆れた。私は場を一旦纏めるために声を上げる。
「魔導士は死んでるよ!動いているのは呪いか何かだと思うけど」
冷静になれ、と心の中で叫ぶ。よく見て。魔導士の手脚はあらぬ方向へ曲がり、目も生気が感じられない。魔力も濁り魔物のように常に放出している状態だ。意識がもしあっても、苦しんでいるだろう。
言われて気付いたのか老竜の継承者のメンバーは一人また一人と武器を下ろす。だけどちゃんと警戒は解いていないようで、魔導士から目を離さない。息荒くその場で身体を上下させている魔導士は、こちらを見返していた。
「ありがとうセルカさん、リーダーも、ごめん」
ハウリングで私を呼んだ竜人の男がそっと口にした。私は頷いて、それから返す。
「それよりこれ、どうするの」
アンデッドに状態は近いが死亡直後にすぐに変質することはまず無いので、あり得るとすれば水竜の最後の抵抗としての『呪い』。呪いなら解除は難しい。高位の聖職者はこの場には一人として存在せず、私たちは、悩む。
その時突然、その場に神気が満ちた。いうまでもない、大地の神……マジムが降り立ったのだ。
「セルカ様」
彼は私とアンデッドの間に立ちはだかるようにして、私の名を呼んだ。しかしその理由がわからない。守ることもないだろう、まだアンデッドは苦しむような声を漏らすのみで檻から出ようともしないのだから。
神気にあてられて微妙に顔を顰める老竜の継承者メンバー、そして唐突なマジムの登場に、その一瞬、全員の視線が檻から外れた。
そのとき何かが檻の隙間から飛び出した。