第203話「私の使い魔は恋をした」
泣き止んだウィーゼルを部屋の外に送り出したのはトーマだった。そのまま自室まで付き添うと言って去る背中から視線を外すと、マジムと二人きりになった。
部屋の外……大海神の神殿内には幾つもの気配があって、皆が私の容態を気にしていることはわかるが、一定以上は近寄って来ない。その理由は今からわかるのだろうかと、静かにマジムと目を合わせた。
使い魔の契約は確かにそこにある。一度途切れたその繋がりは、視線が交錯したと同時に強く感じ取られるようになった。元の、主神との契約も僅かに影響を与えているのか、眠る以前よりも確固たる繋がりがあるように思えた。
しばらく無言で見つめ合っていると、不意にマジムが照れたようにはにかんだ。
「セルカ様には、感謝しています」
その表情のまま、彼は礼を述べる。言葉の切り出し方がなんだか遺言か別れの挨拶のように思えて、私は無意識に身構えて身体が力むのを感じた。
「もしかしたら、貴女がフレイズ様の手で直々に転生先を選ばれたのは、僕が手を貸すことが予見されていたからかもしれません。巻き込んだ……最初の切っ掛けだったかもしれません」
主神フレイズ亡き今、彼の述べた可能性の話は可能性の域を出ることはない。それでも、彼がそれを気にしていることは、事実としてここにあるのだ。
真っ先にマジムの罪の意識を否定しようとしたのに、身勝手なのではないかと躊躇し、その間にも独白は続いた。
「属性を与えるまでもなく、魔法の現人神であったミコトと、結果的に大地神となった僕の助力がありましたね。それを少しでも予想していたなら、フレイズ様の行動もわかる気がします」
余りにも力を与え過ぎると、初めから先代大地神以外にも危険視され、狙われていたかもしれない。彼の説明には希望的観測も含まれていたが、私も思うところはあったので反論はしない。
「……僕たちに見ることのできる事実は多くないので、これが正しいのだとは思いませんが」
「そう、だね」
かろうじて返した肯定に、マジムが僅かに目を細めた。
僕は、セルカ様が言葉に迷っているさまを罪悪感と少しの喜びを秘めながら見ていた。
彼女と会えなかった期間は神にとっては短いものかもしれないが、決して埋められない過去であることを鑑みれば大き過ぎるものだと思った。彼女が自分のことを考えているのを感じ取るだけで喜ばしく思う己の精神構造は、この場に似合わない感情まで呼び起こしそうで恐ろしかった。
まばたきひとつほどの動作をつぶさに観察して頭に刻み込み、言葉を続けた。
「だから、罪の意識は、勝手に抱いています。尤も……セルカ様はそのような気持ちはいらないと思われるのでしょうが」
意識して眉尻を下げた微笑を浮かべると、セルカ様の瞳が分かりやすく揺れた。神力が体の枠を超えて滲み出た。それは本人も気が付かないような動揺の証。
「そうわかっていて何度も謝ったり、態度に出すようなことはしません。ただ一度だけ、言わせてほしいのです」
畳み掛ければ、彼女は慌てたように頷いた。僕は、笑みを隠して姿勢を正し、頭を下げる。
「今まで迷惑をおかけしました。それでも、助け出そうとしてくださり、ありがとうございます」
深く深く腰を折り、何秒かしてから顔を上げると、ほんの少しだけセルカ様の瞳に涙の膜が張られていることに気が付く。本当に、これは、別れの挨拶に聞こえるな。
「……マジム。もう、いつも通りで……」
「ええ、わかってますよ」
努めて冷静に振舞おうとするご主人様に笑いかけた僕は、無遠慮に彼女の隣……ベッドに腰掛けた。それでも微塵も異性として意識されないようなのは、彼女が自身の外見の幼さを自覚しているからか、僕をそういう対象にしていないからなのか。
「マンビーストだって自己紹介をしたのが、懐かしいです」
他愛ない、思い出話を口にし始める。
「あのときのクラスメイトは、のちの大地神と主神と同じ授業を受けたってことになるね」
セルカ様はごく自然に話を繋げる。あのときのことも覚えているのなら、きっと他にも覚えているだろう。
「スラントさんがこちらに突進してきたときは、セルカ様ももう少し小さかった……ですよね」
セルカ様の兄が勘違いして攻撃を当てそうになって、僕が獣形態の腕だけをその場に召喚して彼女を守ったとき。まだ魔力が天文学的な数値じゃなかった彼女は、成長する肉体をもっていた。
懐かしい。
「確かに……。少しは成長してたんだよなぁ。今の状態は、早いうちに家族に周知させないと、困るかも」
自身の手のひらを見つめて苦笑する彼女は、とても愛らしかった。
……彼女なら、きっと。
「ガロフ、お爺様なんかはもう察しているかもしれませんね。…………それで、えっと」
きっと。
「うん?」
僕は上体を捻って、セルカ様の方を向いた。顔だけこちらを見ていた彼女と目が合った。
「僕と出会ったときのこと、覚えていますか」
それは、転生する前の、雪音との最後の出会い。神域で、フレイズ様と口論していた僕との出会い。
「あのとき、ちゃんと伝えられなくて……」
ここまで口にすれば、察しの良い彼女には伝わっただろう。そう思って、その途端に恥ずかしさが込み上げてきて、僕は再び正面を向いてセルカ様を視界の外に出した。
「僕は、貴女が好きです」
絞り出すような声に、僅かに息を飲む音。
それが今、僕の世界の全てだった。
暫しの間。言動を振り返って、自分の眉根に皺が寄るのを感じながら、僕はさっと立ち上がる。セルカ様は僕を引き留めようとして口を開いたようだったけど、声にはならなかった。
「恋していたんです。ずっと。雪音に、セルカ様に」
顔は見たくなかった、というより、見られたくなかった。僕はそのまま数歩前に出て、彼女に背を向けるかたちとなった。
「……返事は要りません」
情けないとは思いつつ、語尾が震える。逃げ出すように足を動かせば、後ろから声をかけられた。
「っありがとう……!」
その声色から、何か言わなきゃ、という焦りを感じた僕はくしゃりと表情を崩した。……多分、僕の方が先に泣いていた。
足早に部屋を出た僕は曲がり角もろくに確認せず突っ切ろうとして、いつもなら見逃さないはずのトーマに肩がぶつかってしまう。彼がセルカ様のもとに向かうのだとわかって、少し安心しながら歩く速度を緩めた。
人と鉢合わせするのがあまりにも気まずかったので人気のない方へと突き進んだ結果、神殿の外に辿りついたのだが…………突然、肩を掴まれる。
弾かれるように振り返ると、そこには褐色の美丈夫……ブラオがいて、厚みのある艶やかな唇を三日月に歪めてたっていた。
彼の空いた手には酒瓶。あぁ、と察して目を擦ると、そのまま肩を抱かれた。押し付けられた酒瓶を無抵抗に受け取って、彼が何か言い出す前に愛神の神殿へと転移する。
……今日は、今日くらいはブラオに話を聞いてもらいたいと思った。