第198話「力を合わせて」
互いの顔を見合わせた私と女神フレイズは、今度こそ外部からの妨害もない完全なる個人戦に意識を向けていた。
私は、私とミコトのせいでここまで大事に発展してしまったことを悔やんでいたが、女神の感情的な様子を見てからはあまりにも恨まれ過ぎていると感じた。
彼女が何を思い、どのような過程を経て私を恨むに至ったのか……それはこの場では本人の口から伝えられる他に知る術のないことで、私はただその憎悪に応えることもできずに生きるために闘う。
結界も魔道具に生成されたものなので、女神も余計な消耗はしていないはず。言い訳はできないし、きっと彼女もするつもりはない。手加減も、同様だ。
だから私は、殺すつもりでかかる。
「マジム」
私はバウの気配が遠くに去ったことを確認してから、使い魔を呼び寄せた。
深緑の獣は、四つ足の獣のシルエットではあるが、私の足場となっている一対の腕の存在を考えると腕が多いようだった。手足にはそれぞれ五指、顔も人らしさが残る。マンビースト。今も種族は変わっていないのだろうか。毛皮は深緑に明るい黄緑の模様が入っていて……そんな彼は私の横に来ると、直立した。
「女神様、流石に不利だとは思いませんか」
最後の確認だったのだろうが、女神は返答をせずに距離を置く。そしてその口を開く。
「時間が惜しい。決着をつけましょう」
言い終わるのと同時に、私たちは魔術を構築する。互いに全ての属性を扱うことができるため、打ち消しにくいように属性を揃えずに大きな術式をいくつも描いた。
流石にミコトから継がれた技量でも女神には敵わないが、隣にいる頼もしい仲間はほとんど遅れずに魔法を完成させる。それぞれの構築時間は一秒にも満たない。
私は数瞬遅れてその撃ち合いに参加するが、驚くべきことに女神はそれでもほとんど無駄なく相殺しつづけていた。ただ限界はあるようで、複雑な操作性を必要とする……迎え撃つのが困難な魔法の数は大幅に減少した。
そんな応酬をいくらか繰り返して、埒が明かないと次の手に移ったのは女神だった。神力の内包量では私たち二人の合計に劣っているため、同じことを続ける意味もないのだ。
魔法の手数が明らかに減ったのを感じる。
私とて女神がこのまま持久戦に持ち込むとは思っていなかったので、即座に応用性の高い魔術を待機させ、残ったリソースからは続けて攻撃する。マジムは私を支えて移動しながら、防御に長けた地面属性の神力で障壁を何重にも構築していた。
その私たちの行動の変化には数秒もかかっていないが、対策が完璧に終わるより早く女神の神力が攻撃性を増した。神力にただ在るのではなく触れたものの侵食と破壊の役を与えるそれは……まさしくミコトがアルステラと共に逃げた攻撃と同種のもの。
神力をただ消費する魔術行使では勝てない。ならば、神力を手放さず操れば良い。
……そんな思いが透けるような、ギラギラと輝く女神の瞳。不機嫌そうに歪められていた口元がぴくりと震え、微かに笑みがつくられる。
質量で広い範囲を攻めていたこれまでの方法とは少し異なるようで、女神の神力は白い槍……いや、それよりも柔軟性が高く長さもある白蛇のように見えた。
それは、いつぞやの攻撃より、速い。
完全に相手の魔法が止まる。わざわざ練って属性を与え複雑な現象を起こす必要もないからだ。何よりこれは、ヒトにはできない芸当である。私にはできない。
当然代わりに対抗するのはマジムで、彼は自身の神力をわずかに放出するがすぐに駆け出さねばならなくなった。白蛇は素早く、マジムが干渉できる神力は大地神としてのもの。女神がどのような権能を持ちそれを行使しているのかは不明だが、大地から遠いこの空では時間がかかりそうだ。
私はマジムが走ることと神力に役を与えることに集中しているのを感じると、それを邪魔することもないだろうと自らのすべきことを定める。
先ず、『女神の天弓』で殺意を込めた矢が、どれだけ白蛇に通じるのか。
私は短剣と天弓を持ち替えて、魔法でも魔力でもなく神力を浸透させた。いつものように弦が現れ、私はそこに矢型の神力をつがえて、弓を引いた。
手を離すと、空を切り裂く鋭い音が耳に届き、ほとんど同時に白蛇の頭が小さく爆ぜる。わずかに速度が落ちたのはほんの一瞬で、穿たれた場所を補うように神力が満たしていく様は蛇が口を閉じるように見えた。
それを見届けながら、手を動かし続ける。
神力の矢をいくつも放つ。そうして動きを鈍らせていくと、女神は蛇を数体に分けた。それでも元々マジムに追いつけなかったのは変わらず、マジムの作業にも余裕が出る。
そして、私がさらに白蛇を射続けようとすると、マジムに小さく名前を呼ばれる。もうそろそろ逃げるのも終わりなのだと察し、私は最後に思い切り神力を込めた矢を女神に向けた。
「『逃さず、貫け』」
『天使の声』で補強された矢は、真っ直ぐに女神を目指す。実際、届きはしないだろう。それでも、少しでも女神が焦れば満点なのだ。
白蛇が二体、矢の軌道に重なっていた胴を吹き飛ばされて動きに精彩がなくなる。
それに気付いた女神がいくつもの白蛇を呼び戻し、瞬時に女神に吸収され周囲に再構築されていくが、矢はそれらを貫通した。
減速しながらも軌道と目標は変わらぬ矢に、女神は神殺しの能力と共に私の固有技能を垣間見たのだろう、守護の役を与えた神力の壁を無数に作り上げて念入りな対処をしていた。
それは意外にも、勢いが弱まっている矢をほとんど素通りさせるような見た目で貫かれる。爆ぜはしなかった。
そして回避のために移動しているはずの女神の頭部……私が狙った場所を寸分たりとも違わずに射抜こうとして、その額に吸い込まれるようにして当たる。
その矢の力が減衰されていたこともあり、貫通には至らず、それどころか女神の肌には傷をつけていないように見えた。しかし衝撃はあったのだろう、女神は数秒耐えたもののすぐに弾かれるようにして首を後ろに傾け、長い髪は強い風に煽られたように広がった。
同時に白蛇が荒々しくのたうち、マジムは法則性のなくなった動きに対応しきれず毛先を刈り取られる。私は続けて矢を構えようとするが、狙うどころじゃなくなった。
そして白蛇の暴走をやり過ごした私が女神に目を向けると、彼女は感情の抜け落ちたような表情でこちらを見ていた。
湧き上がる本能的な恐怖。
女神が操る白蛇が再び増殖し、女神は人形のように動かなくなった。身体を操作するぶんの意識を、攻撃に充てたらしい。
だが、間に合った。
マジムは空中ではなく地面に立っていた。そこには色があった。上下もわからぬ白い空間でなく、鮮明な緑とわずかに覗く土色があった。
『セルカ様。ここからは、僕も』
よくよく見れば、その地面は神力の塊だった。そしてそこから植物が生えるように伸びてきた神力は、明確な物のかたちを持たない……女神の白蛇モドキと同じような攻撃性を持つ。
外部からの干渉を止めるために女神は魔道具を用いて結界を張った。それ故に、ここには空がある。限界がある。いくら広くても、それぞれの射程外にはたどり着けない。
「勝とうね」
私は弓を構えた。




