第195話「私の声」
私が扱う『天使の声』は……
「『あ……ははっ』…………くそ」
マジムをピクリとも反応させることなく、虚しく響いただけだった。
空色の擬装が剥がれて白くしろく澄んだ空がやけに近く感じられた。爆音も水飛沫も、身体の痛みも遠のいた。絶望がじわりと思考を侵食し、進もうとしても自分の創り出せる足場じゃほんの少ししか跳べない。
背後に熱を、一度感じたことのある死を感じて……私の中にあった恐怖が視野を狭めるように錯覚した。
だが。
その『死』の感覚は、絶望じゃない。それを察したのは、意識を失うとほとんど同時のことだった。
そして、私は懐かしい場所で目が覚めた。そこには大きな画面……ゲームのウィンドウのような光のパネルが並んでいて、最も大きな画面には先程まで私がいた神域の空が映っていて、水飛沫が何度も視界を横切っていた。
しかしその画面以外はほとんど闇に包まれていて、幾つもある小さめの画面には私の記憶が断続的に映し出される。
……ここは、精神世界。私がずっとセルカを見ていた場所。要するに。
「私の魂に刻まれた力だから、失敗しても仕方ないよ。苦労させてごめん!……『あとは任せて』」
私は、目覚めて早々に全身の痛みで現実を悟る。目覚めたのは私が見ていた場面から数秒先の世界。覚醒までにラグがあったのだろう。
想定よりも体勢が崩れていたため咄嗟に風を起こして上体を起こし、そのまま再度マジムを視界に収めた。画面越しに見たのとは受ける衝撃に違いがあった。あまりにも非道い、大地神にするものとは到底思えない扱いに、そして仲間に対する仕打ちに腹の底が煮え滾るように感じる。
身体の見掛けは既に無傷だが、消耗はあるのだろう。それだけでなく久しぶりに肉体を得たことで、予想以上に伸びていた力に振り回されそうだ。それでも意地で神力を動かして、身体強化と風魔法を重ねて、空中に留まる。
天空神はウィーゼルがどうにかしてくれると信じて、操作を誤らぬように、私はマジムにぶつからないようにゆっくり前進する。
そして、光に負けぬように闇属性を帯びた神力を一気に放出した。その勢いが止まぬうちにマジムに接近した私は、白光の拘束に掴みかかるようにして身を寄せる。
「『マジム』」
これまで、ここまで多くの神力や魔力を込めたことのない『天使の声』。それは込められた力に相応しい効力を発揮する。
マジムが、こちらを見た。
「『マジム。起きて』」
私は彼を絡め取る光に対抗しようとするが、死ぬほど痛い。実体を持たせていない神力を介してさえ苦痛を感じさせるなんて、凄い。素直に感心した。
それと共に、眼前で深緑の睫毛が動き、瞬く。次に見えた瞳には光が宿り……
「せっ、ぁ!近あ!!!セルカっ……様っ!?」
拘束されたまま後方に飛び退ろうとして暴れたマジムが光に引き戻され、反動でこちらに突っ込んでくる。予想外の動きにも対処できると思っていたが、闇属性の神力を白光に繋いでいたせいで動きが鈍った。
その結果。
「「い゛っ……」」
額をぶつけ合った私たちは、呻き、一瞬で再会の喜びが痛みに切り替わった。
それでもここは未だ戦場。私はマジムが完全に覚醒したことを確信して、再び光に闇を侵食させていく。
「『大地神がこんなところ居ちゃだめでしょ。こんな拘束だって、マジムにとっては無意味』」
天使の声が効力を発現し、少しはマジムも動きやすくなっただろう。彼も縛られたままでいることは望まない。私と彼の抵抗が、光を薄める。
少しすると、マジムは私に「距離、あけて……ください」と囁き、その言葉に従うと彼は獣の姿に変貌していく。その際に肉体が肥大化し、変化に伴い拘束が歪められていく。
「どこにいるんです、バウ!!!」
最後に人らしさを失った口元から絞り出された絶叫は、彼に怒りを原動力として提供し、同時に光が弾け飛んだ。闇は役目を果たすと揺らめきながら私の元へと帰ってくる。
「来るよ」
私が振り向くと、丁度天空神と大海神の闘いに終止符が打たれるところだった。白光が二人を飲み込んで、影が見えなくなり、その気配が遠くに移動した。それは、避難が完了した合図。
白光の波を差し向けてきた張本人、天空神の光とは比べものにならない凶悪な聖なる光は、一人の女性……女神の武器。
光を集約させた不定形の長杖を構えた女神フレイズが、私に殺意を向けた。