第193話「道を」
私はゆっくりと空らしく澄んだ空色に染め上げられていく天を見上げて、念の為に仲間に報告してからから全方位に等しく伸ばしていた探索魔法を一度解除し、先程の報告にあった方角へゆっくり伸ばした。
様々な神力が入り乱れある種の天地創造が繰り広げられる中では私の神力が一筋伸びているくらいで目立つわけもなく、さらに私の行動を知った味方が隠蔽も施してくれたはずなので、見咎められることはない。
真っ直ぐ、範囲はごく狭く、しかし正確に伸ばされた魔法はしばらくすると目標を捉えた。
マジムは恐ろしいほどの白、それも大地神を侵食するほどの白い神力に手足を蝕まれ、動きを封じられているようだった。そのうえ、彼は幻でも見ているのかうわ言のように何か呟いていた。
その反応はバウが魅了を仕掛けた際の様子と似ていて、今まで一度も、思考すら自由を取り戻していないのではないかと思われる。
「……流石に、見覚えあるなぁ」
私がそう呟いたのは、マジムを束縛する白に向けてだった。私はそれを知っていて、それの持ち主も知っていた。たとえ私でなくとも、これまでの経緯から大半の味方は察しているだろう。
女神フレイズ。私が世界間を転移してきたのは、彼女が呼んだからであり、その圧倒的な力はいくら歳を重ねたって忘れられないものだ。敵を取り纏める者でもある。
この戦いに一切手を貸さない、そして姿も表さない主神様は、私もセルカの記憶から知るのみ。同一の名を持つ未知数の敵・女神フレイズは、きっとマジムの近くにいるのだろう。一生に一度も目にかかれるかというほどの、そこにある他の物質を全て押し潰して塗り替えてしまいそうな光が、そこにあった。
そして、全員が目標を定めた頃。陣営ごとに分かれて、それぞれの姿が視認できない状態になるまで、皆が待った。嗅覚や聴覚で捉えられていたとしても、問題はないので、壁一枚隔てた空間に待機している敵同士さえいた。
そんな中私は、数秒間でも良いから敵に捕捉されない場所、且つ敵陣にできるだけ近い位置に陣取っていた。従魔も周囲に待機させ、何重にもなった隠蔽魔法と結界が存在をくらます。
その神々が手伝ってくれた魔法でも、同じ神相手には長時間は通用しない。
開戦の合図は、一度の暗転。
視界がプツリと途切れ、ブラックアウト。少しの光も見い出せないが、『闇』というよりはただの『無』であり『黒』だった。本来は真っ白い神域が、まさに反転したような光景だ。
その黒い世界が終わり、目が光に慣れるだとかそういうラグもなく元の世界に戻ってきたと知覚した時には、周囲を神力が満たしている。
私は風を纏い顔を上げ、そして敵の視線が……意識がこちらに向くギリギリまで助走をつけて、跳躍。強化された身体能力と風の魔法による補助で、隠蔽魔法が追いつかない速度を記録する。
そして私の跳ぶ速度が落ち、それでも何度か一瞬だけ足場を構築しつつ跳ぶが、やはり強度が足りない。神域の床に合わせた高出力によって稼いだ距離に届かない。故に。
私は目の前に現れた味方を見て、目を合わせて、そしてその神が伸ばした手の平に足をつく。彼に半ば放り投げられるようにして再度大きく跳躍した私は、追い縋りつつあった敵を引き離す。
敵の怒号が遠くに聞こえる。目の前には次々と、予定通りに味方が転移魔法によって現れる。
きっと離れた戦場では次々にセルカ陣営が減っていることだろう。しかしそれでも、防衛に長けた者を残しているのですぐには突破できまい。
そして私は、私が死ねば終わりだとわかっていても引っ込んでいるつもりはない。
あっという間に集結した『道』役の神々は、私に踏みつけられるのが仕事だ。中には人型でない者もいるので、先程のように手を使ったりもせず、文字通り踏みつけられるしかないだろうが、それでも大地神を取り戻したい者だけが名乗り出た。
私は巨大な両腕を持つ獣人姿の神の肩を蹴り、不定形の神が丁寧に造り上げた強固な足場を利用し、跳ぶ。目の前に準備もなく飛び込んできた天空神の配下は倒し切らずに距離を離すことを考えてすれ違いざまに斬りつけるだけにとどめ、ついでに妨害……所謂デバフをかけた。
そこを足場候補の神に袋叩きにされてしまえば、すぐに限界を迎え戦場の外へ転送される。神位をもつトーマやアルステラ、アルフレッドはこの仕組みの恩恵にあずかれるため、最前線にいるはずだ。
段々と集まり始めた味方と、少しずつこちらに向かい始めた敵。私は神々による強化を一身に受けながら、光にも迫る速度で宙を切り裂いていく。敵味方関係なく足場にして、ときに飛来する魔法の渦を切り開き、女神の天弓と女神の短剣を最大限利用し、翔ける。
女神の短剣で喉笛を裂いた敵が転送されずに悶えながら生命力を失っていくのも、女神の天弓で穿かれた敵がそのまま落ちていくのも、私が気にするべきことではない。私の代わりに悩む者がいて、私はただ一人、托された。
ひとつの魂では成し得ない、武器の銘に似合わぬ神殺し。私はセルカと共にある限り、神を殺すことが出来る。それ故に、すべての歪みの根源であり神でさえ満足に知識を得られていない女神フレイズの討伐を、それによる大地神の解放を托された。
私は何体目かもわからない敵神を討つ。それらがもつ権能は味方が受け取り、新たな管理者となってくれているはずだ。神位だけは神を倒した対象に継がれるため、空っぽで意味の無い神位がステータスに刻まれていく。
不意に聞こえた、感情を押し殺したような、この世界で『天啓』と呼ばれる声は、よく知った相手の声だった。
『称号:神に仇なすもの、を与えます』
憎しみを腹に押し留めて絞り出したような声。私は妙に納得した。
天啓。神の言葉。フレイズの名で語られるものの、助言を投げているとされた主神フレイズは世界に必要以上に関与しようとはしない性質の神だった。
だからこそ代わりに、この世界に厳しくルールを敷き、異世界からの転移者を呼び込み、文明を進化させ、天啓を下し、主神として動いたのだ。
私とジンが、仁が、他の現人神が、この世界の輪廻に引き込まれた要因。女にしては低い声だが、感情が乗れば女性特有の色をもつ。
私は、思う。セルカは主神フレイズ様が女神フレイズを止めるためにわざと見逃されたのではないかと。だって、流石に主神なのだから、自分で決めた魂の規律は厳しく守るものだろう。
それは私の願望かもしれない。でも、やっぱりセルカは主人公なのだと、思った。




