第188話「再会と苦笑い」
後ろから聞こえてきた少し低めの女性の声に振り返れば、気配なく立っているのは予想通りの人物だった。
「ウィーゼル!今回のでこっち側についた神も多かったんじゃない?」
私は中立であった神々と交渉をしてくれていた彼女に、明るい笑顔を向けた。今回の、というのは天空神からの直接の干渉のことである。
エルフを煽動して私たちの行動を制限し、お告げという形で居場所を伝える等の行為……それだけならば、神殿荒らしや邪教徒などへの対応として過去に記録があっただろう。しかし、今回、神はヒトを助けることはあっても直接手を下すことはないという決まりを、天空神から破った。
それを言えば大海神の神殿に向けて空の怪物が侵攻してきた件もグレーではあるが、まだ神同士のちょっとした諍いだとか、勢力争いと片付ける者が多かった。
今回の攻撃は決め手になった筈だ。
私の期待を込めた視線に少しだけ不快感を覗かせるウィーゼルの表情を見て、笑みを深める。私がセルカの顔をしてセルカの声で話すのが……純粋さなど欠片程も持ち合わせていない中身が気に食わないのか。
少しはその表情を抑えようという気持ちはあったのだろうが、すぐに彼女はそれを諦めて大きくため息をついた。
「はぁ。アンタの言う通り、主神フレイズ様が手出しさえしなければ、神族の力は拮抗しているんじゃないかな」
青の髪がぴょこりと跳ねて、彼女が少し頭を傾けたのがわかった。
「提案者があたいだから…………結構偏りもあるんだけど。ま、敵対勢力から離脱して中立になった先輩方もいるから、アンタらの力を合わせたら勝機はあるよ」
彼女の言葉は心強いものであったが、私はこっそりと心の中で「どうだか」と薄く笑った。
……私たちは奪還目的で、なるべく世界を荒らしたくない。故に無力化が望まれる。対して天空神と『女神フレイズ』とやらは私たちを抹殺したい。手加減など考えていられる戦場ではないので条件は変わらないかもしれないが、殺意の有無は意外に大きく場を左右するものだ。
神力の供給が止まっていることからマジムが無力化されて囚われていると予想しているが、もし敵対していたら。主神フレイズが敵対していたら。女神フレイズの実力が予想を超えていたら。……敗北の色は濃くなるだろう。
不安はあった。しかし、私はそれよりも、ここまで綺麗に整った舞台で主人公が負けるわけがないという思いが強かった。わざわざこちらに大義名分を与えた天空神の攻撃。地上を荒らしているのは最早相手側。主人公が命を救ったトーマは神となり、人を辞めて常識から片足を踏み出してしまったような力を手に入れた仲間もいる。何より、神に愛され、彼を助け出しに行くというシチュエーション。
物語ではない、私たちにとっては現実であるこの世界。それでも思ってしまうのだ。セルカが勝つのだと。
そしてそれ故に私は主人公であるセルカのために代理を務めている。……あわよくば、セルカに全てを返した後、消滅でなく封印でもなく、ちゃんと輪廻の輪に加えてほしいとも思ってはいるが。
「そう……そう。私たちは負けていられない。そもそも、神の直接的な干渉を許したという前例も作るべきじゃないし」
私が頷きながら呟いた言葉はウィーゼルにも聞こえたのだろう。首肯が見えた。そして、仲間たちも静かに頷いている。
「じゃ、今までは神殿に色々と招いてて危険だから封鎖してたけど……今は協力者しかいないし、行くよ。作戦会議!」
ウィーゼルによる高らかな宣言と同時に景色が揺らぎ、混ざり、いつの間にか見覚えのある砂丘の上に立っていた。鼻腔を満たす潮の香り、そして周囲に樹のように立ち並ぶ珊瑚や海藻の群れ。奥にそびえる神殿は、リフォームされたのか、白亜の外壁にはシミひとつなく見覚えのない形となっていた。
何よりも大きな違いは、いくつか、大きな神力を内包した存在があること。おそらく協力者のまとめ役が集まっているのだろう、そのどれもがウィーゼルには届かないが獣神や鬼神といった種に根ざした名のある神と同等の力を持っていた。
その中に見覚えのある力を感じ取って身構えたトーマに反応して魔剣が黒い装甲を生成していくが、むしろそれが、相手からすると見覚えのある魔力の動きだったようで、ひとつの神気が風のような速さで目の前に移動してきた。
「久し振りだねッ!君たちッッ」
ヒールの音はなく、代わりに砂が散る音がした。目の前には刈り上げた短髪を指先でなぞり上げて腰を反らせた男……トーマを羞恥の地獄に突き落とした愛の神ブラオが立っていた。
「そうですね、ブラオさん」
珍しく敬語で返したのは、トーマ。ブラオは私の中身が別人だということを知っているので、そのままトーマに礼をした後、私に初対面の挨拶をした。
ウィーゼル経由で多少私のことを知ってはいるだろうから、簡単な挨拶で済ませた。私は彼のことをしっかり知っているので、本当に短い挨拶だった。
トーマが緊張しているのが伝わったので、無駄に近付けることはやめよう……とは思ったが、私への自己紹介を終えたブラオは自身の厚い唇を指の腹で撫でるように投げキスをすると……そのまま真っ直ぐにトーマに向かっていった。
申し訳なく思いつつも誰も止めないので私もそのままにしていると、ウィーゼルが神殿に入るように促してくる。私は大袈裟に眉尻を下げてトーマに一瞬目を向けるが、記憶が正しければ私が関わらない方が良さそうなので、大人しくウィーゼルについて行った。