第186話「外は」
私は、迷宮内に無数に置かれた中々いやらしい罠と、それらを見抜いて分解していく神二人にほとんどついていくだけになりながら、定期的に異常の有無を索敵魔法で確認していた。
流石蟲皇庭園というべきか、階層全体が深い森林、密林とでも呼ぶべき様相を呈しているが、先程まではやたら背が高いだけで密度は低い林にいたはず。それだけ変化が大きく、気温や環境、魔物の種類まで毎度変わってしまう。
密林には魔物未満である虫がうじゃうじゃといて、かつその虫たちは罠にかかると浴びせられる蜜に引き寄せられて際限なく集まってくるので、ここの罠は地獄だ。
深層でないため、ここで仕掛けられている蜜には魔物が集まって来ない……それだけが救いといえよう。
「結構蜜袋は集まったけど、この程度の品質でもライライにあげたら喜ぶかなぁ」
私は先行する二人からぽんぽんと受け渡され続け相当の量が溜まった蜜袋を数えながら、呟くような声量で問いかけた。
寮にいた頃の度々餌やりに協力していた記憶から、ここで従魔たる虫たちの食料を罠から直接採ったり、商会経由で取り寄せているとわかってはいるが、彼の従魔たちは戦闘中は魔物形態が多いが、普段はただの虫に変身させられているので、この蜜でも事足りそうなものだが。
トーマは「普通に俺らも食えるから持っておけばいい」と言いながら新たな蜜袋を投げ渡し、私はひとつ頷いた。使い道があるなら、いい。それに最近異空間収納に大量にあった古いものを整理したばかりなので、多少蜜袋が増えるくらいなら余裕だろう。
とはいえ、ひとつ階層を上がればまた品質の落ちた蜜袋が手に入ることになる。それは要らないので、罠を破壊しながら速度を上げて移動しようと提案した。
そうして階層の境目、上層との行き来を可能としている転移陣が刻まれた大木にたどり着いた私たちは、最後に索敵魔法を使用してから転移陣を踏もうとした。
すると、その魔法が見知った男女の魔力を感知して、私は足を止める。合わせて足を止めたトーマとステラも索敵魔法を真似するが、彼らの感知範囲にはまだ侵入していないようだ。
「多分アンネとライライ」
私が要点だけ伝えると、トーマが殺気を鎮めた。進行速度は私たちよりも圧倒的に速く、どうせ後で合流することになるのなら待っておいて早く合流した方が良いだろう。
そのまま大木の横で水分補給などをしながら二人を待つこと数分、彼らにとってここら辺の罠は解除するまでもない……要するにここの蜜袋は急いでいるときに採るようなものでもないらしく、それら全てを破壊してやって来たことが、二人を守る炎を纏った触手の盾からわかる。
蜜とそれに群がろうとする虫たちを防ぎ焼き尽くす盾は、ライライの触手が武器の判定を受けて、アンネの付与魔法で炎属性を与えられたものだ。
私が彼らの周囲に水流を生み出して蜜を洗い流すと、触手の護りをしゅるしゅるとローブの中に収めながらライライが駆けてくる。
「やっぱり、ここに居たのですか!アンネが索敵魔法に気付いて、急ごうって……言ったのです」
思ったより到着が早かったのも、彼女の言葉で特攻を始めたからか。すっかり前衛に染まったライライは首筋に滲んだわずかな汗を拭いとる。その後を追うように落ち着いた足取りで寄ってくるアンネは、剣を鞘に収めていたので支援に集中していたようだ。
「待っていてくれたのよね。ありがとう」
彼女は浅く礼をすると、目を細めた。
「ここ、ライライ以外が来てるのを見たことがないのだけど……」
私たちが何故ここにいるのか、という疑問だろうが、それは歩きながらでも説明できるし、二人が休憩している間にでも話せる。
「今は休憩してて」
私が二人の身体の汚れを落としながらそう告げると、二人は大木の根に腰掛けて休息をとる。急いで来たのなら、魔力も体力も必要以上に消耗しているだろう……私は彼らの呼吸が落ち着いてきた頃に、説明を始めた。
そして、説明した内容は彼らとしても想像にかたくないもので、悪い予感もあったようで、最後までことの経緯を話した頃には疑問は解消されたようだった。
また、逆に新たな疑問は生じたようだ。
「ライライの虫たちが迷宮の外にもいくらかいるのですが……彼らには何も、異常はないのです」
ステラは迷宮の外でも危険だったため内部に降りてきたが、従魔は平気だった。もしかするとここまで広く侵食されたのは影の世界だけだったのかとも思うが、そこまで都合良く収まるものか。
私たちは疑問に答えを見出すより前に、足を進めることになった。
そのまま何事もなく蟲皇庭園を脱出した私たちは、何事も無かったかのように過ごす他の冒険者を見て、真っ先に地上の無事を喜んだ。閃光に関する話題も聞こえる限りでは無いので、あれはきっと私たちにだけ関与する魔法だったのだ。
そうすると今度は教会本部にいたであろう待機組が逃げ延びたかどうかが気になるが、影響範囲外にいて尚なにか嫌な感覚をおぼえたというライライたちの話から考えると、神力を持つアルフレッドやジンに連れられて転移の間経由で遠くに逃げることはできただろう。
非常事態に備えて神力を持つ者は最低一人は常駐するようにと団員には伝えてあるので、きっと大丈夫だ。
蟲皇庭園を出て町中に至った私たちは、肌に馴染む空気が流れる冒険者向けの店が立ち並ぶ通りを過ぎて、その町の教会に一直線に向かった。教会はどこもわかりやすく、転移の間からほんの少しだけ神力が感じられる。
冒険者風の四人と貴族風の一人という、まとまって教会に入るには少し目立つ集団ではあったが、神官はライライたちを覚えていたようで、動揺を顔に浮かべて声をかけてきた。
「まだ現人神様は来ていませんが……」
ジンに送り迎えを頼んでいたのだろう、神官は彼の不在を二人に伝える。しかしそれを安心させるようにアンネが微笑んだ。
「問題ないわ、他の仲間と合流したのよ」
そう言って私たちに目配せするアンネだが、何故だろう、神官は私が特別な人だと思ったようで、彼の視線は私に向けられていた。貴族……身分なんかは関係ないと思うのだが。
「耳」
私が不思議そうにしていると、トーマからひと言。要するに魔法といえばエルフというイメージから来た先入観だろうということだ。魔道具のイヤーカフスでクォーターエルフを装っているが、それでも目に付いたのだろう。
実のところ私もトーマもステラも、全員が転移の間を起動できるうえに、トーマとステラに関しては神官たちが崇める神の一柱なのだが、ここの神官は教会本部の者ほど道を極めていないのか、神威は感じ取っていないようだった。
私はアンネと神官の話が終わるとすぐに「行こうか」と声をかけた。実際神力も一番多いので、どのみち私が起動することになるのだ。
私たちが転移の間に消えていく様は、神官からすると姿が空気に溶けるように消えていったと認識できるだろうが、その光景について他言することはできない。それは、出来事を整理してようやく現人神のみが扱えた魔法を同様に使いこなす存在の正体に思い至った故。
「……祈りを」
誰もいなくなった教会で一人、神官は跪いた。
彼の予想に反して、幼女でなく彼女の付き人のように立っていた男二人が神だということは、余程の奇跡でも起こらない限りは一生知り得ない事実だ。