第184話「木々に語りかける」
トーマに連れられて次々と大量に溜め込んでいた様々な品を放出していると、いよいよガロフから「流石にもうやめておきなさい」と優しい口調で止められた。彼からすると私が騙している罪悪感からこの行動に出ているように見えただろうから、渋々従っておく。
すると今度は、そんな落ち込んだような顔と仕草をしてみせた私を喜ばせるためか、ガロフから話を切り出してきた。
「ミコトよ、そなたは未だエルフに伝わる森林言語を実際に聞いたことはなかったじゃろう」
元々祖父と孫の関係であったとはいえ、魔法に関しては師弟関係といっても過言でないため、その会話は自然に続けられた。
「今の木々たちの協力は……もしかして」
私がそう返すと、ガロフは鷹揚に頷いた。魔法の現人神としての能力が継がれているから詠唱の一種であるかのように聞き取ることができていたが、ただの植物魔法ではなかったというわけだ。
聞き取ることができているのなら、私はそれを真似することで同じ要請はできるのだろうけれど、できることならしっかりと知りたい。私が期待を込めてガロフを見上げると、彼は目尻のシワをより深く刻み、森の中へ入っていった。
魔の森は、エルヘイムと共存している。剛竜王とであった場所でもあり、濃密な魔力から自然発生した幻惑の術が竜などの巨大な魔物の姿すら隠し王都のすぐ近くにあるこの森にも呼び込むことができる。
そんな場所に生える樹は普通の植物魔法でどうこうするには頑固だ。ガロフはまずそのことを復習がてら説明し、実演してくれた。
「……このように、常人の魔力で繰り出される魔法では、魔法抵抗力に打ち負けて散る」
彼の本気とは程遠い魔法が森を構成するうちの一本、曲がりくねった木に跳ね返されて術式が霧散した。術式の精密さが常人のものとかけ離れているせいで、跳ね返されるまでの間があったことは見逃しておこう。
私が頷くのをみると、彼はそのまま次の魔法を使う。今度は本気に少しだけ近付いた、美しく強大な植物魔法だ。
「ここまでやれば」
曲がりくねった木は、あまりに強力な魔法を身に受けたために抵抗もままならない。僅かに抵抗の意志を見せた初めの一瞬を賞賛したくなるような、圧倒的な力。
あっという間にガロフの思い通りに形を変えられた木は、杉のように真っ直ぐ幹を伸ばしてその身を固めた。
「最早魔物になりかけているここの木は、力の差を感じると心が折れて従順になるのじゃ。しかし、森林言語は少ない魔力でさらに複雑な動きを命じることができる……動作中に魔力の糸を繋げておく必要も無い」
「たしかに」
周囲で木々を操っているエルフたちはどれだけ植物魔法に精通しているのかと思っていたが、彼らの集中力と持久力と魔力量の多さよりも、森林言語の有用性に起因していたようだ。
意志の弱い普通の木には効果が薄かったり、戦闘にはほとんど役に立たなかったりするため、ノータッチだったが……見てみるとなかなか興味深いものだ。
普通の木、といっても自然の木はほとんどが魔力を有しているため、効き目が薄いのは街路樹や植林場のものだ。住処には困っていないが、全てが終わったらガロフに教えを乞うのもやぶさかではない。
「『螺旋を描き、人が歩む道となれ』」
ガロフの語りかけた言葉に従って、木はガロフが通れるくらいの螺旋階段……というか、スロープを形作った。その滑らかで素早い変化は、木が木であることを忘れそうになるほどだ。
感心していると、その私の表情に安心したのか、ガロフは目尻を下げて緩んだ表情を見せた。それを見た私も少し嬉しくなって、笑う。きっと似たような、ふにゃりとした笑顔をしていただろう。
その夜、私はガロフとトーマ、アルステラの四人で集まって、盗聴防止等の結界をかさねて経緯を語った。経緯といっても、目立つことをしていたぶんは兄経由で情報が色々と回っていたようだけど。
そのお陰でより一層の心労をかけたようなので、私はたっぷりガロフに甘えておいた。防音と、人が近寄ると感知できる結界に問題がない限り、ガロフを「おじい様」と呼び、たくさんたくさん質問して、共に検証した。
少しだけセルカの意識に動きがあったことが、私にとっては何よりも重要で大切な収穫だった。
朝、いくらか拠点設営の作業を手伝った後に、私たちは森を出ていくことになった。あまり深く関わると他の派閥に属するエルフに魔力から知られてしまう可能性もある、という表向きの説明を終えて、元いた森に帰るために送還の魔道具を起動した。
しっかりと再充電用……出会った男女ペアのための魔石を渡してから、発動した魔法の効果範囲に足を踏み入れて、一礼。
頭を上げたときには森の中で、さらにいえば廃墟となった神殿の近く。すぐに一番近くの教会を目指して歩みを進めようかと思った、ところで
魔の森に滞在していた間は気にも留めなかった、ぎらぎらと真夏のような陽射しを降り注がせる太陽が、神力をじわりじわりと染み出させて、空がにわかに明るくなる。
それは何らかの魔法の発動を示していて、転移したばかりでも全方位を警戒していた私でも……魔法の現人神である私でも感知から発動までの間がほとんど無い精度の魔法は、ヒトの成せる技ではない。
「「全員影へ!!!!」」
私とアルステラの絶叫が重なり、トーマが血魔法で応戦しようとするより先に、アルステラの住まう影の世界へと身を投じることになる。悪魔の世界。暗く昏く深く黒い視界と意識。それでも神力を持ち、かつ影の主に導かれていたため自分を忘れることはなく。
私は自分の慢心を悔いて、悔いて、悔いて、悔いて、悔いて、悔いて、悔いて、悔いて、爪を噛んだ。
私たちを追っているエルフたちに居場所は示されることがなかったが、居場所は知られていたということか。それとも何か一瞬でも隠蔽効果が途切れる瞬間があったのか。考えても答えがわかることはないだろう。
そして、私とアルステラは、暗闇の中で、見えないはずの互いの顔を見合わせて、きっとそれぞれ血の気の引いた蒼白な、酷い顔をしているのだろうと感じた。
木陰に、その影に逃げ込んだ私たちだが、天空神の攻撃がそんなただの木に防がれるはずもない。木の影はすぐに抹消されるだろう。それでも石の影があれば良い。しかし道端の小さな石など粉微塵に砕かれるだろう。土の小さな影は。砂粒は。どこまで影を消されるかが、わからない。
「アルステラ、」
私が名前を呼ぶと、彼は私とトーマをまとめて抱え込み、影の世界を飛ぶように移動し始めた。
「僕は、影を伝って、安全地帯を、探すよ!」
抱えられた状態で後ろを見ると、影の世界の闇を食い破る閃光が、一寸先を白で塗りつぶしていた。