第171話「ミコトは失念している」
ひと通り急を要する忠告を終えたガロフは、私の表情を見てつられたように柔らかく微笑んだ。私は内心では苦々しい気持ちに包まれていたが、態度や言動に違和感を覚えられてしまっては中身の違いがバレるかもしれないので、無闇に会話を繋げようとはしなかった。
ガロフの用は状況を伝えることで八割方済んだそうで、彼はスラントに命じて何処まで銀の氏族が迫っているかの確認をさせる。それからジンに人払いを頼んでいたが、ジンの結界が増やされると周囲に人の気配があっても平気だとわかったのだろう、ガロフは私にやわらかい笑みを向けるのを止めた。
「……して、セルカよ」
彼の面には先程までと毛色の違う笑顔が浮かべられていた。私はその笑みを貴族らしいと感じる。彼は祖父の顔をすっかり隠して、ひとりのエルフとしてそこにいた。
「クォーターなど、といってこれまで放置していた小娘を突然欲するその気まぐれで我儘な性分の手綱を握ろうともしない氏族の若造どもは気に食わないのじゃが……」
純血のエルフであるにもかかわらず老いた容姿をしているのは、当然それほどに永く生きてきたからだ。その経験の多さ故に、彼は何かに気付いたのだろう。
何を追及されるのだろうかと警戒した私が、動揺を見せてなるものかと身構えると、ガロフは口を開いた。
「従いて居った緑の獣は何処へ行ったか……わかるのかね?」
その質問が口から出てくる時点で、以前まで私の身に纏わりついていたマジムの神力が、その残り香すら知覚可能な濃度を下回ったのだろう。それほど時間が経ったことに思い至り、さらに下手に取り繕うことは下策だと察した。
私はジンが岩の如く身体を硬直させたのを背中に感じながら、嘘をつかぬように言葉を選びながらガロフの問いかけにこたえる。
「……いえ、行方はまだ、はっきりとは。…………彼は重要そうな立ち位置にいる敵を追って、姿を消したから……後日」
後日、取り返しに行く予定だ……とは言えずに、言葉を切った。この先に続く言葉をどのように予想し、解釈してもらっても構わない。私は兎に角この場を乗り切りたかった。
私の言葉を受け取ったガロフは、回答に少しは満足したのだろう、小さく頷くと立ち上がった。
「スラントが魔道具間の通信を傍受し終えて、戻ってくるようじゃな」
彼がそう言って出入口の扉に向かえば、丁度良いタイミングで道が開かれる。スラントは、扉を開け進もうとした先に既に立っていた祖父を視界に収めるとともに歩みを止め、ガロフに道を譲った。
スラントは一度私に左手を振ってからそのままその手で扉を閉めて、見えなくなる。まだまだ追手は遠くにいるようで、彼の表情に焦りはなかった。
彼らの足音が聞こえなくなると、私は応接室のふかふかソファから一息に飛び降りて、狼狽えたままのジンを小突く。
同時に結界魔法が解除されて彼は恐る恐るといったふうに私の耳に口を寄せる。
「あのひとは、知っていたのですか」
「まぁ、うん」
私は曖昧に答えると、歩き出す。とりあえず、トーマのところに戻って……あとは他の仲間を待とう。
見慣れない色が不安を煽る。
ガロフは背後に付き従うスラントと、応接室に残してきたもう一人の孫の赤子だった頃の姿を思い浮かべて、感慨深く思い、また畏れに近いものを感じていた。
スラントは力量確かな冒険者として名を馳せ、度々ガロフの耳に活躍劇を届けてきた。そしてセルカは嘘か真か俄に信じ難いような噂話を残していった。そもそも神聖なる獣に護られていることを知っていたガロフには、その噂話も真実に聞こえたことだろう。
実のところ、噂の中には大して虚偽は含まれていなかったので彼の感じたものは正しいが、その噂こそ問題だった。
神に近い者。現人神の深き友。ガロフの知る限りの情報全てが、セルカの存在が特別であると訴えかけているようだった。若くして進化したという事実も、マジムの護りも、そして何より……
「魔力は、神力は、本来ならば変質しない」
そう呟いたスラントの声が、ガロフの鼓膜と心を揺さぶった。元々彼がここに訪れたのは忠告のためだが、彼がエルフの都を訪れていたのには理由があった。スラントの言葉がガロフを動かしていた。
「結局どうだったんです、ガロフ様」
「……ああ」
ガロフは遠くに視線を向けた。
スラントはその視線を追いかける。
「……エルフは、たとえハイエルフへと進化を遂げても魔力の色が変化することはないそうじゃ」
それはたとえ神力を得たとしても同様だと、彼は続ける。その情報はわざわざ彼が銀の都にまで赴いて得てきたものである。スラントが息を飲むのも、その瞳に妖しげな輝きを宿すのも、ガロフは気付かないふりをした。
スラントには、セルカを神聖視するような兆候があった。ガロフは、セルカがただ心配だった。そのふたつの想いの差は、エルフとしてはまだまだ赤子であるスラントには感じ取れない。
スラントの唇が「せるか」と音無く動くのを、「かみがおりた」と動くのを、ガロフは無心で意識の外にはじき飛ばす。彼が、孫には厳しい特訓をさせて拗れたブラコンを矯正してやろう、と密かに決意した内容は、その日のうちに実行されることとなる。