第168話「揺らいだ、」
雲間から差し込む陽光が、視界を遮る。自身の頭髪が光を吸い込んできらきらと輝いていた。肌に幾つも浮かび上がった魔石たちは、体内に蓄えきれなかった神力を豊富に含んで自ら淡い光を放っていた。
そう、私は今、外にいる。結界も使用せず、太陽の光と熱を直に浴びている。海中の神殿では感じることのなかった熱に、懐かしさを覚えた。
私が立っている場所は、大海神の庇護が及ぶ海の小島でもなく砂浜でもない。靴底と擦り合うのはきっちりと整えられた石畳。広々と敷かれた石畳の道路脇には、そこそこ繁盛している様子の露店が並ぶ。建物には統一感がなく、石煉瓦や木造、明るい色の土壁なんかがごちゃ混ぜになって視界を賑やかしている。時間は朝と昼の間。私は、街にいた。
私は通行人の邪魔にならないように、そそくさと小さな露店の前まで移動して道全体を見渡してから、そこからゆっくりとした足取りで人の流れに乗ってみる。特に目的もない街歩きは、それだけで私の心を満たすようだった。
「……あ、チョシー」
そうして歩いているうちに、チョシーを販売している露店が目についた。自分たちで調理したものは手元に大量にストックされているが、芋の生地に具を包んだ揚げ物であればチョシーを名乗っているような節があるため、味の種類は無限大。
私はふと、チョシーに鰻は合うのかな、と思案する。私はそこまで鰻が好きなわけではないが、セルカのためにいつか試そうと思いながら、足は露店に向かって動いていた。あまりに一直線に向かうものだから、店主と目が合った。
「すみませーん!全種類、ひとつずつくださーい」
いくつか種類があるようでカウンタにはメニュー札がぶら下がっていた。私はそれを読む前に、店主に声をかける。私と目が合った時からトングをカチカチと鳴らして注文を待っていた店主は、ニカッとはにかんで「気前良いね」と言った。
「そんな嬢ちゃんには、今から揚げたてをこしらえてやろうと思うんだが。待てるかい?」
店主はまたトングを鳴らして、私が肯定するのを待っているようだった。首肯すれば、彼は仕込みが済んでいるチョシーが入っている金属製の箱を出して、中身を慣れた手つきで油に放り込んだ。
少ししてチョシーが完成したようなので、私はすかさず持参していた大きな木製のボウルを差し出した。店主はチョシーの表面の油を軽く落としてから、ごろごろとボウルに落とす。
「ありがとう!」
「ありがとよ」
お金を払った後、チョシーが冷める前に異空間収納を開いた。その中にボウルごと放り込むと、歩き出す。揚げたてのチョシーのかおりが露店の前に漂っていてお腹が鳴りそうだったが、一人で食べるのは味気ないので早く誰かと合流したかった。
自然と早足になる。早く、行こう。
次に私が立ち止まったのは、教会前。教会本部ではなく、唯の、ある程度発展した街であればどこでも見られるような中規模の教会だった。
ここの街の教会は屋根が非常に高いが、一階建て。白い壁は表通りに面している部分は綺麗に保たれているが、裏の壁は芸術的なまでに蔦がはっている。窓は少なく、大きな窓はない。
閉ざされた扉に手を伸ばして少しだけ押し開けると、外と同じくらい中は明るかった。そのまま音もなく内部に滑り込めば、規則正しく並べられた椅子と最奥に座す神像が目に入る。何人かの街人がたむろしており、神という存在がどれだけ身近であるかがわかる。
私はその光景を横目に、教会の壁に向かって歩みを進める。すると、風景が揺らいでいつの間に転移門の間にたどり着いていた。
転移先に選んだのは、バウやマジムとわかれることになった田舎にある、小さな教会。森に囲まれた村。
「……トーマ」
そこにいたのは、トーマだ。彼は、過去の戦闘で凸凹と歪に変形した地形の中央に座っていた。マジムの暴走は巨大な魔獣が暴れたとされており、その結果この場所には誰も寄り付かなくなったため、マジムとバウの魔法の残り香が淡く残っているような気がした。
「チョシー買ったんだけど、食べない?」
私は、瞳を閉じているトーマに声をかける。彼の神力は魔剣に集中しているので、あまり外に意識を向けていないのかもしれない。私はさらに足を進めた。
だけど、それ以降、声はかけなかった。彼の神力はあまりにも淀みが少なく、邪魔をしてはならないと感じさせたからだ。
……この場所で訓練して、胸が苦しくはならないのかと、今すぐに問いたかった。いつも何の反応もしないセルカが、胸の内でそわりと小さく身動ぎしたような感覚があった。
トーマがこの場所にいるとわかっていなければ、そもそも訪れるつもりはなかったが、彼はまあ、バウと親しかったので文句は言うまい。それに、セルカの意識がここに来るだけで僅かに浮上することは、これまでの訓練の中で最も有益な情報であるといえるので、黙る。
結果として、私はただ落ち着かない気分で立ち尽くし、無意識に胸に手をやりながらトーマを眺めていた。
ここに私ひとりで訪れた際には、これほどまでに胸がざわつくことはなかった。きっと、トーマがいるから……だからセルカが反応しているのだ。それでも表に出てこないのは、何故だろう。
視界が揺れたような気がした。風ではない。そういう揺れではなかった。一瞬だけ、視界が奪われかけたような感覚だった。
神力の色が揺らいだ。形が揺らいだ。私の、攻撃性の高い波長をもつ神力が、一瞬だけやわらかい動きを見せた。それはセルカの神力のように感じられて、私は喉の奥で唸るように「セルカ」と呟いた。
同時に、トーマが瞼を開く。彼は真っ直ぐにこちらを見据えており、私は思わず身じろぎする。しかし直ぐにその瞳が私に向けられたものではないと察して、ほっと息を吐いた。
「チョシー、食べる?」
改めて問うと、トーマは手のひらを見せる。小皿を用意するのが面倒だったのでその手に熱々のチョシーを直置きすると「あっち」と声を上げながらも、トーマは両手でそれを受け取った。
夜、私たちは教会の本部に集まることになっていた。焦らされて焦らされて、ようやく相手方に動きがあったのか。それとも、こちらから動くのか。こちらが能力を高める間に、敵は力を蓄えていただろう。きっと、ひどいたたかいになる。
「おいしー」
私が選んだチョシーは、蜂蜜とチーズが入っているあまじょっぱい味付けのものだった。トーマの横に腰を下ろして、共に頬張る。
自身の影を見下ろし、アルステラがいないことに寂しさをおぼえる。そして、そのことに苦笑した。
セルカに魅せられて、皆変わった。流石、主人公。
出てきてよ。
私の呼び掛けなんか嬉しくないのだろう、トーマの声には揺れるというのに、今回は胸のざわつきは感じられない。サクサクとした衣に歯を突き立てて、齧りとり、咀嚼する。トーマはちらりとこちらを見た後、ふいと顔を逸らしてしまった。
ちょうどそのとき、視界が薄く暗くなる。雲が陽を隠したようだ。
私はため息を飲み込んで空を見た。先程まで遠くにも見えなかった分厚い雨雲が、青空をすっかり隠してしまっていた。