第17話「万死に値する…よね」
目を覚ました少年の目に映るのは、妖精のような幼……少女。身体中が痛むけど、その少女の方がボロボロだった。少し青ざめていて、素肌には擦り傷や小さな切り傷が付き、手には青銀に光る弓の形状の装飾品のようなものを持っていた。
彼女は、膝枕をしていた。綺麗だった。綺麗な髪が少しだけ顔に当たってくすぐったい。
彼女は、心配していた。勇敢だった。あの熊に、短剣一本でも立ち向かう意志を見せた。
自分の身体はよく分からない葉っぱなどが貼られていて、手当を施されたのだと思う。この髪はエルフだろうか、きっとそうだろう。森の民というくらいだから、植物について詳しいんだ。
そろそろ起き上がれそうだった。お礼を言いたい。
「あ、りがとう……エルフさん」
私は突然聞こえた声にびくりと肩を震わせた後、下を見て目を開けている鬼人族の少年を視認すると思わず笑顔になった。おじい様から教えて貰った薬草が効いたのか、それとも種族的なものなのかは分からないが、あの二人につけられたらしき傷も、血が止まっていた。
私は起き上がった彼を見て「こちらこそ」と返す。すると彼は艶のある黒髪を揺らし首を捻り、倒れたままの赤眼熊を見て言った。
「エルフさん、これはどうする?」
赤眼熊は危険な魔物なので報酬は入手できると考えられるので、私は迷わずに報酬の分配を決めた。結構穴開けちゃったけど、それでも毛皮には価値があり、肉もそこそこの値段で売れるだろう。あと、食べてみたい。私は鬼人族の少年に向かって口を開いた。
「ギルドに証明部位だけでも渡して、後は売ってお金に替えて等分しようと思う。肉は少し貰うけど……」
その言葉を聞いた少年は頷き、了承したようだった。それから「肉はどうするの?」と聞かれたので「食べる……?」と答えれば、彼はしばし考え込んで、それから自分も食べたいと言った。食欲旺盛で宜しい。ガリガリなんだからもっと食べなさい。
今更私は血の匂いで魔物が集まってくることを恐れて、赤眼熊を異空間収納に放り込んだ。このままギルドに持って行って解体してもらおう。
その後、私達はこれからの事を話し合った。彼は捨て駒にされるということで主人を失ったがほぼ無傷で生き残った労働奴隷。たとえあの二人の屑冒険者との繋がりは切れても、それで普通の人になれる訳でもないらしい。よくわからないが、奴隷の証やらが身体に刻まれているとのことだった。
私はそれを聞いて首を傾げた。治療や怪我の確認のためにもはやボロ布でしかないようなTシャツを脱がせたが、その際にはそのようなものは見えなかったのだ。足も、ズボンを脱がせるまではいかないが限界までたくしあげて太ももまで見たのだが。
私はその事を告げて疑問をぶつけてみるか悩んだ結果、結局聞くことにした。いつかはおじい様から教わるだろうが、知っておいて損は無い。
「……えっと、怪我の確認でほぼ全身見たけど……無かったような……気が……」
言い終わって、私はそっと目を逸らした。言葉を理解して顔を更に赤く染め上げた彼を見て、いたたまれない気持ちになったからだった。
「……この下は見たのか?」
「見てない」
彼は股間やお尻の辺りを指差したので、私は間髪開けずに答える。見た目と違って中身はほぼ同年代(高校生)なのに、そんなところまで見れるわけがないだろう。お願いだからあんまり恥ずかしそうにしないでほしい、こっちまで恥ずかしくなる。
「……はぁ。そんなことより、どこに証なんてあるの?」
私は黙り込んでしまった少年に、詰め寄りながら問い掛けた。聞きたかったことはこれなのに、彼の反応のせいで忘れかけていた。
すると、黒髪を垂らし俯いた彼は動きを止める。何か問題でもあるのかと問うと「あるけど」とだけ言ってまた動作を停止させた。考え込むように押し黙って、それから小さく声を出した。
「見たい?」
いや、そう言ってるでしょ。心の中で突っ込んで、それから頷いた。すると彼は顔を上げて、それから思い切り口を開けた。彼は伸びて鋭利に尖っている爪で舌を引っ張り出し、それを見せた。
舌の上に魔法陣が捺されていた。そして私は、それに書いてある言葉を心の中で読み上げ、案外普通の詞なんだなぁと思いながら頷いた。しかしその次の瞬間、私は悲鳴をあげることとなった。
「えっ、ひゃ!?なにこれっ」
僅かに魔力を奪い取られる感覚がした。同時に私のものじゃない魔力が身体に入り込んだ……というより、無理やり侵入してきた。今までに感じたことのない不思議な感覚に、私は顔を歪めた。
魔力の流れを見ればどうやらこの現象は鬼人族の少年にも襲い掛かっているようだが、彼は然程気にしていないようだ。次第に馴染んでゆく魔力は、ついに余程のことでなければ切り離せないほどに絡み付いていた。なんだこれ。
私が疑問に思っていると、少年は眉尻を下げて申し訳なさそうな表情を作り、そのまま口だけいやらしい笑みを浮かべて告げた。
「……貴族だろ?騙したようで申し訳ないけど、これで主従契約は成立した」
「え?」
私は彼の言葉を聞いて硬直する。主従契約が成立?さっぱり何のことだかわからないが、彼に何かをさせられたことは理解出来た。後で説明してもらわなければ。……いや、今すぐに説明を求めなくては!半ば睨みつけるように彼を見つめると、私は思わず彼を非難するような声色で訊いた。
「……王都に向かう間に、何をしたのか話して。誤魔化さないでね」
どうやら私には混乱していてもまだ冷静さが欠片ほど残っていたようで、この危ない小道を早く抜けるために歩き出した。逃げたら即飾り弓で脳天を射抜いてやる、と思いながら、私は彼の手を引いてつかつかと歩いた。
「主従契約って、つまり奴隷の契約?」
「そうだ」
「なんでんなこと……っそれより、その手順を話して」
私は予想を口にし、彼はそれを肯定する。私は彼にわかりやすいように、あからさまに顔を顰めて心の中で「意味わかんない」とぼやいた。
「また奴隷商館に戻されるのが嫌だった……手順は簡単だけど、商館に行ってからの方が説明しやすいけど?」
鬼人族の少年はあまり罪悪感の感じられない声で告げる。私と主従契約結んだって言っているのに、この態度。私が優しくなかったらぼこぼこに殴られて棄てられていそう。あの屑冒険者二人はこれでよくこんな奴隷を買ったと思ったが、やはり鬼人族の労働奴隷はいいものなのだろう。こんなに性格悪くても買う程の価値があるのだ。
「……じゃあ後でいい」
私は今すぐに契約方法を教えてもらうのを諦めて、さっさと用事を済ませようと歩く速度を早めた。これから竜鱗をりぼんおねえさんの店で盾にしてもらうように依頼して、赤眼熊をギルドに渡して、こいつの話通りに奴隷商館を訪ねなくてはならない。
案外キツキツなスケジュールに少し機嫌を悪くして、それでも私は彼を置いていこうとはしない。まあ私は優しいから、用事を済ませる前にご飯でも食べに行こうかな。奴隷だしお金なんて持ってないだろうから、特別に奢ってあげよう。
王都に着いた私達は私のギルド証と彼の奴隷の証を見せることで門を通り、真っ先にある店へ向かった。王都に着くやいなや路地裏に連れ込まれた鬼人族の少年は「いくらかっこいいからって」と冗談を言ったので、飾り弓で一発叩いた。
その店とは当然あの店だ。指示語が多くてわかりにくいだろうが、そこは私が王都で初めて訪れた食事をするお店で、とにかく肉が美味しい……筋骨隆々なドワーフのおじいさんのお店。
店内に入ると、相変わらずの居酒屋のような内装に、染み付いた肉の焼ける香り。微妙な時間ではあったが客が意外と居て、少し酒臭いけど高級な店なんかよりずっと落ち着く。
「今回は奢り。……店主さん、また来たよ!いつもの二人前お願い!」
私はおにい様を真似るように大声で注文し、奥の厨房から「うっせーな!聴こえてるよ!!」という返しがくるとニコニコと笑みを浮かべる。この雰囲気が好きだった。このやりとり、やりたかったからやれてよかった。
その様子を見てぽかーんと放心気味の鬼人族の少年は、私に引っ張られてカウンター席についた。私が食事が出されるまでの間をどう使おうかと思考を巡らせ、魔力操作を鍛えようと気合を入れた時、少年が口を開いた。
「名前、教えろ。それともエルフさんって呼ばれたい?」
「セルカ・エルヘイム。そっちこそ名乗りなさいよ」
私は頬を膨らませて返した。本当に、最初の礼儀正しい少年はどこへ消えたのやら。鬼人族の少年は答えた。
「トーマ。奴隷として生まれたから、家名は存在しないけどな」
トーマはふんと鼻を鳴らす。身体中にあった古傷は、やはり幼い頃から労働などで酷使された結果なのだろうか。今は細いし頼りない印象すらあるけれど、もっと食べさせれば戦士奴隷や護衛奴隷にもできそうなのに……奴隷商館とやらの管理人は見る目が無いな。
私はぷいと顔をそむけたトーマを見てため息を吐くと、呟いた。
「でも残念ね。エルフ、貴族なんていうキーワードは揃ってたのに気付かないなんて」
「はぁ?」
私の言葉に意味がわからない、と声を出すトーマ。私はそんなトーマに向かって皮肉たっぷりに言う。
「私の家はエルヘイム……当代から始まった新興貴族で厄介な魔の森を押し付けられた魔法国の捨て駒貴族。ついでに貴族一と言っても過言ではない貧乏よ」
あながち間違ってはいないが、悪い部分を誇張した「世に出回っている噂」を話した。別にもっと貧乏な貴族なんているだろうけれど、これで彼が大人しくなればいいなんていう考えだった。
到底喜べないような真実を聞いた彼は、神妙な表情で硬直し、それから笑う。ちょっとだけ交えた嘘が分かったのか、それとも他に嘲笑うポイントでもあったのだろうか。不安になる私の前で、彼は堂々と告げた。
「まぁそんなのどうでもいいけどさ、セルカ様の奴隷ならなんでもいい。……甘っちょろいガキんちょのが楽だし、何より一緒にいたら長生きできそうだ」
彼は申し訳程度に様付けしてくれたようだが、それでむしろタメ口で話していることが目立つという結果になっていた。そして奇妙なことに、トーマは私を主人にしたいらしい。
……それなら、もっと食わせて一緒に訓練も受けて、強くなってもらわないといけない。強い味方が居れば生存率は上がるし、一人で出来ないこともできる。ゴリゴリの前衛タイプに仕上げて後悔するくらいまで……寿命で死ぬまで連れ回してやろう。
そんな私の計画、それを思い浮かべた私の笑みを見てトーマは何故か苦笑いになった。キツくて苦しい訓練が待っているからな!後悔してね!
私は食事が出されると人目を気にせず食らいつき、トーマも滅多に食べられないであろう豪勢な食事に舌鼓を打った。彼の方が食べ方が綺麗なのは、人目を気にしているのかそれとも奴隷商館での教育かだが、そんなこと気にするほどでもない。
やっぱりここのお肉は美味しい。美味し過ぎて食べ過ぎてしまうので、自分の胃がブラックホールになってしまったのではないかと錯覚してしまうほどだった。
「セルカ様、この後は依頼でもあるのか?」
「ん」
私は鬱陶しく思いながらも返事をし、頷いた。近いうちにトーマにも装備を与えないといけないな、なんて思いながら。時間が限られているから早く食べなきゃ。
僕は静かに怒っていた。目の前にはいつか見たような傀儡が蠢いていた。こいつらには罪は無いが、こいつらの主人に罪がある。それは極刑を免れぬような大罪だと認識していた。
物言わぬ傀儡だが、彼等は以前より強力な素材と魔力を使われているようで、ひと味違う。べつに僕からすれば雑魚なのに変わりはないし、まだセルカ様でもぶっ潰せるレベルだと思う。それでもこの怒りを吐き出すために、全力で壊そう。
あの場面で、あの時に、あのタイミングで!大地を統べるガイアとかいう神は、神の持つ権限を行使してセルカ様と僕の繋がり……加護を遮断した。しかもセルカ様の全力の魔法……クエイクの発動まで阻害して威力を半減させた。何をしたいんだ?くそ、くそっ!
傀儡は殴れば鉄屑に変わる。砕け散ってバラバラになる。それを見ても一向にこのイラつきは収まらず、延々と現れる傀儡を壊していく。
いつか絶対、殺してやる。