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第161.5話「絶望と希望と幸運と不運と」

 酷い嵐だった。

 波はドラゴンをも飲み込むのではないかというほどにまで大きく荒ぶり、飛沫は船体を軋ませる。空の機嫌はすこぶる良いというのに、密輸品を積載したこの船を破壊するためだけかと思うくらいに、突然海だけが荒れたのだ。

 使い捨てとばかりに乗せられていた奴隷たちは命令に背くことも出来ずに、船にしがみつく。操縦も全て奴隷に任せられていて、たった一名の奴隷でも商品でもないオンナはさっさと逃げ出していた。

 元々そこまで頑丈でもなかった密輸船は荒波に耐えられるような設計でもなく、いくらしがみつこうと手摺りやドアが破損して奴隷が吹き飛んでいく。

 奴隷たちは船に留まるように命令されているので、船上から投げ出された途端に息を引き取っている。そのおかげで溺死のつらさを感じることはなかったようだが。

 実を言うとその荒波は正規の航路を外れているこの場所だからという理由でアルフレッドが作り出した文字通り神の御業で、偶然そこを通りがかった密輸船が悪い。

 しかしそれを知らない奴隷や商品たちは、不幸の上から積み重なる不幸に最早顔に絶望の色を浮かべていた。

 そんな中でも希望を見出したのは、水槽や檻に乱雑に監禁されている生き物のうち、元の住処が水中であるものたちだ。

 彼らはこれを好機と見た。淡水で暮らしてきた魔物なんかも、海を知らないため、水の音にただ歓喜していた。

 そのうちに船上から奴隷たちの悲鳴が消え、商品たちの囁き声や胃の中のものを吐き戻す音、小さな隙間から流れ込む水音が聞こえ始めると、荒波は消えた。

 既に船員は居らず、奥底の倉庫に押し込められていた商品以外は皆投げ出されているだろう。そう思えるほどの荒れだった。

 このまま漂流することになるかという人魚の危惧は、チョロチョロと流れ込んでいた海水の圧に耐えかねた船体に大きな穴が空いたことで消え去った。

 水が流れ込む。塩辛い水に、淡水で暮らしてきた魔物は面食らう。彼らにとってはここからが地獄だ。

 人魚は檻に何度も体当たりをして、逃げようと試みる。水かさが増してくるとその体当たりの威力も増した。

 無害だが希少な魚は、水槽の蓋が僅かに浮いた際にできた隙間に身を滑り込ませて脱走した。

 弱り切っていた蟹の魔物は海水を浴びて息を吹き返すと、籠を力づくで破壊しようとした。

 幼生の水竜は突然の水に驚いたが、他のどの檻よりも頑丈な拘束に疲れ果てていたため、目を瞑った。

 トカゲは海水に溶けるようにして姿を消し、再び現れたときには檻の外を泳いでいた。

 言葉を話す者は「助けろ」と叫び、暴れ、喚く。足掻いて、溺れて、苦しむ。足枷が重石となって、沈む。

 海に暮らしていたものでも、檻に囚われたままのものは逃げ出していく同胞たちを呆然と眺めている。

 船がほとんど全ての空気を吐き出した頃には、死体と死骸に溢れていた。眠っていたのか声を出すことを禁じられていたのか、まだ残っていた奴隷たちの死体が流れ出てきた。

 そんな中で冷静だったのは、やはり海で生きてきたものたちだ。彼らは檻から出られなくとも、短い期間共に生きた脱走に成功した仲間に協力してもらい、檻の破壊、または食料を分け与えてもらって生き延びようとした。

 途中まではそれでよかった。

 だが、故郷を目指すものが現れる。ひとりまたひとりと仲間は減っていく。仲間が減ると、食料も集まらない。次第に、囚われた者は衰弱していった。

 残されたのは、無数の死体とそこそこ多いが弱っている商品たち。

 彼らはどうにか油断した魚や死んだ陸上生物の死肉で食いつなぎ光を待った。それが来ないとしても、待つことに変わりはなかった。

 そんな、希望を捨てない無謀な者共に、悪魔だった神が目をつけた。それは酷く幸運で、しかし途轍も無く不幸なことだった。

 ここで気に入られたものは、神同士の(あらそ)いに巻き込まれることになるのだから。

船。とばっちりです。

でもアルフレッドは正義感の強い神様なので、おそらく船の存在を知っていたら、感情の昂りから波がもっと荒れていたかもしれません。

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