第155話「空の一部が欠けている」
それからというもの、神位を与えられた新たなる神族二人は、特にアルフレッドが苦戦しながら訓練を続けていた。二者の差として真っ先に挙げられるのは元の実力と経験。そして次に、与えられた位の権能が届く範囲である。
悪魔のイメージに合わせたのか暗く闇に覆い尽くされた深海の神となったアルステラは、自身の種族特性として持つ強大な闇属性と繋がる部分が多いため、そして大した移動もなしに領域に辿り着けるため、ウィーゼルの手解きを受けながら着々と力を蓄えている。
対してアルフレッドは、元々そこまで魔力量や属性との適性を持っていたわけでもなく、大悪魔でもない唯のヒトである。普段のオニイサン然とした物腰の柔らかさに秘められた激情と、他人の為に大きく感情を揺らすその性質に合わせて、荒波の力を与えられた。
深海よりも権能の範囲が狭く、どうしても天空神と近い場所に行く必要が出てくるので、アルフレッドは現在目立つウィーゼルは伴わずに独りで技を磨いていた。
私はというと、そんな彼らの訓練を観察することもあればマジムの消失により空いた穴を埋めるための神力づくりに全力を注ぐ日もある。あともう少しで魔力全てが神力に変換されるはずだが、それが完了した際に私は……セルカの身体はどうなるのだろう。
それが解明されていない現在、少しでもセルカ自身の魔力を残しておく必要があるので、ここ数日の神力変換は慎重に少しずつおこなっている。
「みーことちゃん!」
私の神力の増加が止まったことに目敏く気が付いたリリアが、羽音もなく飛び付く。肩にへばりついた彼女は、妖精となってから四六時中笑顔だ。私に対してもすぐ打ち解けた彼女は、身体こそ小さくなったが胸は大きいままだ。
「そろそろご飯の準備しようか?」
「少しなら手伝えますよー!」
セルカがたまぁに気にしていた自身の胸部に意識を向けるが、私には気にする理由がわからなかった。身体の成長自体が止まっている可能性もあるけれど、別に小さくてもスレンダー美女を目指せばいいのだ。
ふわりと浮き上がったリリアが私の目の前にホバリングして留まると、視界は可愛らしい妖精で埋め尽くされる。彼女の小さな手にスプーンを持たせると、私は異空間収納に意識を向けた。
アルフレッドは波の上に立っていた。
荒れに荒れ、渦を巻き、深い青緑と白が目まぐるしく蠢く大海のど真ん中。不安定そうな波を足場として直立している彼は、元々海に持ち込んでいなかった鎧はともかく、私服も着ていなかった。
代わりに身に着けるのはウィーゼルと似たような露出の多い衣服で、筋肉のついた傷だらけの腹部があらわになっている。両手に握られた小振りの双斧は、水でできているように揺らぐ蒼色ではあったが、アルフレッドの手によく馴染んだ相棒だ。
「引きずり込め」
彼の号令で海面から溢れ出した水の魔物たちは、一見すると何も無いように見える空間に喰らいつくと、不自然な位置で何かに噛み付いたように顎の動きが止まり、口が閉ざされないまま海へ落ちていく。
するりと海水にとけていく忠臣たちとは違って水と相容れないナニカが大きな水柱をつくりながら水底へ沈んでいくのは、途中からウィーゼルに引き渡されているため逃れようもないだろう。
アルフレッドはその空の一部が海色に染まるまでを見届けると、眼前に迫った鳥のような翼を持つ者に右手の斧を向けた。
「本当にその天使の姿がお好きなようで」
苦い表情で斧を一閃、すると天使擬きは空に消える。有形の天使は水に引きずり込もうにも叩き切ろうにも復活し続け、延々と送られてくる。
これが海面に出てくる度に毎日のように繰り返されて、アルフレッドは気が滅入っていた。
無形は海の力へと変換され、有形は煽るだけ煽って還る。細かな作業の訓練より先に実戦的……というより実戦に繰り出されるなんて、少しの気構えはあっても初日から天空神が邪魔をしてくると思っていなかったアルフレッドにとって、焦りを生むには十分だった。
ウィーゼルの神域からほぼ真上の海上に出た途端に襲いかかって来た天使……つまり、居場所ははなからバレている。
「喰っていい」
指令に従って動いた水の魔物たちには散り散りになった無形の空を食べさせてやり、直接力にしてやる。
大雑把な技量で荒々しく水を操作する彼は、その海に相応しい男だといえよう。
暗く美しく妖しい世界に身を委ねるのは、闇属性に近い神力を身に纏った悪魔擬き・アルステラだ。彼は長生きした結果神と近しい力を有していたが、それ故にもっていた神力との酷い反発に苦悩が尽きなかった。
未知の魔物が数え切れないほど潜んでいる海底付近に、幻想に近いとはいえ人型のものが流れているのだから、目立つ。朽ちた人工物の残骸とアルステラが接近すると、船の幽霊のようにも思えた。
深海が広範囲に拡がっているこの世界では、全てを把握し掌握するためには陽が五回昇ろうとも時間が足りない。そのため自身の神力を薄く広く広げながら模索している彼は、おそらくこれからしばらくは瞳を閉じているだろう。
そのうちに、彼はウィーゼルの手で勝手に神力と馴染まされていく。強がることが大の得意であるアルステラの体内では神力と魔力が大喧嘩しており、アルステラはそれを抑え制御しようと試みゆっくりとした回復にまでこぎ着けていたが、ウィーゼルにとっては
「遅いねぇ」
の一言で済まされるような技量だったらしい。
記憶だけ受け継がれて半端な操作力を得た新人の中でも類を見ない馬鹿だ、と評されるアルステラは、それでもアルフレッドよりは細やかな操作を可能としていた。
しかし半端な状態というものは稚拙であることよりも良くない。器用であるからこそ生まれた短所を、それ以上不要に癖付かせるわけにもいかなかったので、ウィーゼルは一日中深海を見ていた。
天空神が何度も手を出してくることは予想外で、こちらに付きっきりにならざるを得ない状況を先に作ってしまったことを悔やみながら、大海神は瞳を閉じる。
そしてすぐ近くで体をほっぽり出している新入りの力を制御し、その流れを導くのだった。