第145話「帰還と休息と、ある日」
間に合いませんでした。
最近、遅れてばかりで申し訳ありません。
皆がトーマの事情を聞き終え疑問を解消した頃には、空はほんのりと赤みがかっていた。テントも用意はしてあったし今から行動して神殿から離れ、姿を消す鬼なんかに襲われては堪らないためそのまま大幕の下で並んで眠った。
戦闘と、特にトーマは馴れない神力の感覚に疲弊し、地上に取り残された面々は心労が募っていたのだろう。私は皆に先に寝るようにと言付けると灯りを消し、外に出る。
鬼神の領域内であるこの場所で魔物が遅い来る可能性は限りなく低いが、賊がいないとも限らない。化物の跋扈する地で暮らせる者がいれば賊に堕ちる必要も無いとは思うが警戒するに越したことはないので、少し大幕から離れた位置にソファを置くと魔法で保護し、腰を下ろした。
両脇に従魔たちを呼び出して神力を与えれば、どっと疲れたような気がしてきた。地の底で随分と眠ったはずなのに。
「あの頃もちゃんとした振る舞いをしていれば、スラントほどでは無いにせよトーマみたいな整った顔の夫でも作って、幸せに暮らせたのかな」
闇夜に呟けば、目の前に黒々とした靄が噴出した。それは足元の影から溢れるようにして現れた、黒歴史の塊……ステラだった。
静かにしているようだったが話は聞こえていたのか、と脱力すると、彼は空中を漂いながら黙ってこちらに視線を向ける。だから私はつい、愚痴だか後悔だかわからない言葉を続けた。
残りの魔力は極僅か。私の仕事が終わるのも、近いのかもしれない。
「セルカの魔法でも、取り返した後のマジムの魔法でも良い。私から与えられた力を奪って、普通の人生をくれないかな」
最後にそう締め括ると、僅かにセルカの意識が浮上するような感覚に陥りドキリと心臓が鳴る。それが彼女の心遣いなのか、それとも禁忌に反応して身体を奪還しようとしたのか、私には知る由もなかった。
翌朝、幼女守護団は来た道を引き返した。
鬼人族の集落に戻ったときにはトーマの変化によって多少警戒されたものの、眷属化について仄めかすようにして伝えるや否や「確かに神々しさを感じる」と尊敬の念を向けられた。
トーマは心底気まずいような表情をしていたが実際は眷属どころか崇められるべき鬼神本人であるのだから、これ以上の崇拝を想像して現状を振り返り安堵していた。
そこから野営を挟みながら足を進めて数日、辺境の地にある教会に帰着した私たちは、食べきったばかりの郷土料理を再度大量に振る舞われ、困惑しながら旅を終えたのだった。
私の神力と得体の知れない神気を持つ人物に驚愕して慌てて私たちを迎えに来たジンは、鬼神となったトーマを見ると呆れたように溜め息を吐き、眉を下げる。
「本当に運が良い」
そう言った彼に、借り物の身体で無茶はしないようにとデコピンをくらった私は、欠伸をしてそのことを記憶の隅に追いやった。
トーマの頼みも聞いてやったし大きなお出掛けはしばらくなくなるだろうから。そんな風に気を抜いた私はまた元の訓練と料理と魔法研究の日々へと意識を向けた。
…………が、中央教会に滞在している私たちにはそんな平穏な日常が貴重だったのだと、思い知ることになる。魔国アズマの首都におかれた支部に、巨額のお布施、寄付金とは名ばかりの賄賂が引き渡され、依頼が入ったのである。
ジンにその件で真っ先に呼び出しをくらったのはベルで、彼女は呼び出された当初は検討もつかないようで不思議そうに首を傾げていた。しかし数時間後にジンの説明を終えて戻ってきた彼女は、すっかり青褪めていた。
休憩時間、セルカの知識で調理した揚げたてのチョシーを皿に盛っていたときにそんな表情で現れるから、何事かと慌てて皿の熱い部分に触れてしまい軽く火傷してしまった。
軽い火傷程度はすぐに治療できるからどうでもいいが、ベルのことは放置できない。私はチョシーを鍋や揚げ油ごと異空間収納に放り込むと彼女に何があったかを訊ねる。
彼女は彼女自身を除いて唯一事情を知るというアンネを待ち、彼女が駆けつけると震える唇を開いた。
「ベルリカ嬢が、重い病に臥せっていると」
私はベルリカと聞いて眼前の少女に目を向けるが、彼女は首を横に振る。しかも彼女の言によれば臥せっているのはティルベル・ベルリカ嬢だという。
彼女のことはティルベル・ベルリカと記憶していたが、そういえば彼女は「ティルベルではなく、ベルと呼べ」と強く言っていた。
「簡潔に述べると、ベルリカ嬢は私の腹違いの妹だ。私は代理で、力関係を変えないために彼女の代わりに学院に通っていた」
ベルは「だから貴族ではなかったし、唐突な交代でボロを出さないために高慢でも良いから独りを目指せと指示された」という。ティルベルの回復の予兆が見えていたためベルは代理役を降り、私たちと共に来ることができたというわけだ。
今回の用件は重症化したティルベルが治らなかったら、彼女に与えられる予定だった魔道具の数々もベルに譲渡され、ベルは代理役として引き戻される可能性が高い。
それを前もって伝えるために呼び出されたというのだから、先に教えてくれるだけ優しいだろう。ある程度は地位関係無く接するというベルリカ公爵でなければ……まぁ、そんな公爵の要請だからこそ教会が受理したとも言えるが。
「ベルリカ公爵閣下は一応娘である私にも優しいが、連れ戻されてはかなわん……」
項垂れるベルは、折角貴族位を持たないアンネと共に行動できる状況にあるのに再び離れる羽目になるのかと恨み言のような呟きを落とした。
要は、病気を治す手段があれば戻らなくて良いということだろうか。
私は部屋の戸に意識を向けて、心配そうにこちらの様子を窺っていたジンを呼びつける。ベルの顔色も悪かったし、広めて良いような話でも無いためずっと盗聴防止の結界や人払いをしていてくれたようだった。
アンネの腕の中で茫然としているベルはそのまま落ち着くまでそっとしておいてジンに寄れば、彼は回復魔法などが得意なわけではないが、私たち以外の現人神に専門家は存在したので書物や治療薬の現物がないか探そうかと耳打ちした。
幸いここは教会本部。そういう遺物がかき集められた書庫や宝物庫なんかも存在する。同じものが大量にあっても現人神の一存で使用が決められる危険物と見なされていて、現状はジンがいれば持ち出せる。
但し、一部は鑑定技能でも効果の程が不確定な魔法薬や魔道具であった。そんなものを公爵令嬢に使用することを許してくれるかは……わからない。




