第141話「強引なひと」
私はトーマが読み上げた鑑定結果を耳にして、ぼんやりと前世で関わったゲームを思い出していた。一度だけ短い間……だなんて、知り合いがそんな制約に縛られている状況は不思議な感覚を呼び起こしていた。
感じているものに若干違いはあるだろうが、トーマも少し意味を飲み込めない様子を見せていた。いつから関わっていたかは知らないが、少なくとも、今日突然というわけではないはずだ。
目の前の鬼神は目に見えて狼狽しているトーマをじっと見詰めている。その美しい蒼の肌を見て、私は妙に納得していた。神から堕ちたことで黒色を失ったかと思えば、そもそも魔剣の効果によって生み出されただけの希薄な存在になっていたとは。
残念ながら私はイスカと深く関わったわけでもなく大した感情は湧いてこないが、静かにトーマの心の整理がつくのを待っていた。
幸い、イスカが時間制限について口に出すより前にトーマは顔を上げた。理解はできたが落ち着きを取り戻すまではいっていないようで、彼の目線は私とイスカの間で彷徨っていた。
「俺は……どうすれば」
一応騙されていたとも考えられるのに、彼の声色・表情共に怒りは微塵も含まれていなかった。むしろ縋るような色を見せていたが、イスカはそんなトーマの反応を見てにんまりと笑みを見せると、自信に満ちた表情になる。
そしてそれに希望を見出し顔を明るくしたトーマに向かって、イスカは剣を差し出した。
『私は亡霊以下の存在だが、約束は違えん。受け取れ』
私はその剣を見て、眉を顰めた。正直に言うと、なにをしてんの、と思った。トーマが今ちゃんと冷静に周りを見ることができないことをわかっていて差し出されたとしたら、止めるべきかも知れない。
「……待っ」
声をかけようと口を開くが、それほど余裕が無かったのだろう、トーマは脇目を振らずに魔剣イヴァと瓜二つの剣を手に取ろうとして、イスカの間合いに入った。その剣はイスカが持つ神力の大半の発生源で、どう考えても今渡すものではない。
トーマの手がそれに向けて伸ばされると、彼は無防備な体勢になる。それを見計らっていたのかはわからないが、イスカはそのまま剣を力任せに振るい、トーマの角を片方、切り落とした。
痛みが無かったのか、何が起きたか把握出来ていないトーマは固まる。呆然とした彼の伸ばされたままの手に、イスカが剣を持たせた。その頃ようやく床に落ちた自身の角に気が付いたトーマは、偽剣を受け取りながらも引きつった表情でイスカを見た。
反対の手に持っていた本物の魔剣が僅かに光を纏うと同時に偽剣は崩れた。彼は目に魔力を込めていないため見えていないだろうが……神気が雪崩込むようにしてトーマに吸い込まれていく。
当然、二人の視線がイスカに集約される。彼はこれまで見たことのないような邪悪な笑みを浮かべて、消えた。
…………あれ?
私は次にトーマを見た。彼は真っ青になって焦りを見せていたが、突然苦しみだした。前準備も何もなしに入り込んできた多量の神力が彼の身体中を巡り、本来の魔力を半ば上書きするように混ざる。
歯を食いしばって膝をついた彼に駆け寄れば、足元に落ちていたはずの角は既に無く、トーマは滝のように汗を流しながら虚ろな目で床を探し回る。
でも、探す必要はないように思えた。
「と、トーマ……それ。その、ツノは」
私はトーマの額に生え揃っている二つの角を見て、その片方が蒼色になっていることに驚いた。思わず指を差して指摘すると、彼は角が二本あることを繰り返し触れて確認する。その間も呼吸は荒く、安堵からか更に力が抜けたトーマは体を起こしておくことさえできなくなった。
彼が床に倒れ込むのをすんでの所で止めると、私はアルトを喚び出して、トーマを支えるように言い付けた。ただならぬ様子のトーマを見て、アルトは文句一つ洩らさずにもふもふの獣形態をとり、最早意識も残っていないトーマを包み込んだ。
改めて彼を見ると、新しく生えたと思われる蒼い角が鬼神の位に関する何らかの役割を持っているようで、神力を取りまとめていたり神殿に繋がる微弱な神気の帯を伸ばしていた。
それを見れば、流石にわかる。イスカは強引な手段ではあったが、約束を果たすためにトーマを後継と定めて角を与えたのだ。
「トーマは、誰にも言わずに独りで、鬼神を味方につけようとしたんだよね」
それが誰のためかなんて、聞くまでもない。ただ、セルカを早く取り戻したい一心での行動だろう。
しかしその無謀な作戦はセルカにとって望ましいものではなかっただろう。結果として彼が生還したから良かったものの、イスカが悪者である可能性だってあったのだから。
「……とりあえず、起きるまでは待つか」
私はひとつ伸びをすると、トーマが埋もれているのとは反対側の毛皮に背中を預けて座り込んだ。ふんわりとしてやわらかい感触を堪能しようとするとすぐにほんのりと甘い香りが漂ってきて、私を眠りに誘う。
最後に必要ないとは思いつつ結界を張り巡らせると、私はついに眠りにつく。アルトの魔法に包まれて、穏やかな気持ちだった。
目を覚ますと、魚の焼ける香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。そろそろ食べ頃だと訴えかけてくるように思える魅力的な香りだった。
相当深く眠っていたのだろう、傍にアルトはいない代わりに、トーマのものと思われる大きな寝袋の上に寝かせられていた。しっかり毛布がかけられていて、時間が経っているのか毛布もほかほかだ。
起き上がると少し離れた位置でトーマが魚を焼いていた。
「起きたか、ミコト」
程よい焦げ目のついた焼き魚は、寝惚け眼では鮎に見えた。串に貫かれて何本もまとめて火にかけられている様子は、一瞬ここが屋外であると錯覚するほどである。というか竹串を床に突き刺すって、何をしているんだ。
私が立ち上がり彼のもとに寄ると、彼は脂がのった焼き魚をひとつ寄越してくれた。おはよう、と小さく告げると私はトーマと焚き火を挟むような位置に腰を下ろしてかぶりついた。
すっかり体調が良くなっているトーマは、適当に取り出した味噌ダレを焼いている最中の魚に塗り、普段と変わらない淀みない動作で作業をこなす。
味噌の香りが広がる頃には私は魚を食べきってしまい、ごくりと唾を飲む。トーマが水筒を投げ渡してきて、確認せずに口をつけると中身は教会のスープの余りで少し温められていた。
周囲に広がっていたけばけばしい輝きを放っていた宝の山は跡形もなく、シンプルな造りの祭壇のような物があった。そこには大きな平たい皿と、その上にすっぽり収まるようにしてイスカが身にまとっていた大幕が畳んで置かれて、燃やされていた。燃やされてはいたが、焦げているようにも見えないのが不思議だった。
「……どうだったの」
私はトーマに目を向けずに、問いかけた。
「まぁ、色々と。約束通りに知識は受け継いだし」
私が足元に水筒を置くと「焼けたぞ」と声をかけられたので魚に手を伸ばした。どのくらい眠ったか検討もつかないが、彼が気持ちを整えるのに充分なくらいには寝ていたんだろう。そう思えるほどに落ち着いた声色だった。
焼き魚の腹に食らいつくと、溢れた脂が串を伝って指に絡む。ほくほくとした食感と仄かな甘みが口に広がり、美味い。
「教会の料理、まだまだあるのに」
ちょっとした背徳の味だ。夢中になって頬張ると、トーマの笑い声が聞こえた。
それからしばらく二人で焼き魚を堪能し、ぽつりぽつりと言葉を交わした。想像した倍以上にいつもと変わらない笑顔を見せたトーマに、今は深く聞くべきではないかもしれない……と、私は山程の疑問を飲み込んだ。
すっかり馴染んで違和感を感じさせないまでになったトーマの神力が、祭壇を見て少し揺らいだように見えた。
あつまれどうぶつの森に時間を割くため、木曜日に急いで書き終えました。確認はしましたが誤字が多く、修正しきれていないかもしれません。