第14話「幸せの欠片」
早朝、私はまだ明るくなっていない空の下を駆けていた。バウも、お父様でさえ寝ているこの時間に何故外にいるかというと、無性に体を動かしたくなったとしか言えなかった。森を駆け抜けるセルカは銀色の風のように木々の間をすり抜けていった。
思い切り走ると爽快感に包まれる。昨日、久しぶりに体を激しく動かしたせいか、少し筋肉痛が痛かったけど魔力を巡らせた状態だと動きたくなってしまう。
「これを習慣にしたら……体力つくかなぁ」
私は呑気なことを呟きながら、速度を落とした。マラソンくらいの速度で森を彷徨くことにした。呼吸をリズム良く、足はしっかり上げて、魔力は薄く均一になるように細かく操作する。
魔力の操作技術も向上したい故に始めた調整だったが、これがまた難しかった。呼吸が乱れれば魔力が乱れ、意識が逸れて魔力が薄くなれば疲れが押し寄せてきて足が重くなる。かといって魔力にばかり気を取られていたら足元をすくわれる。
私は苦戦しながらも「これはいい」と思った。これは毎日やりたい。動くのは楽しいし良い汗をかける。
私は十数分ほどそれを続けたあと、千変万花のある花の広間に訪れて、その中央で倒れ込んだ。初めてなのにとばしすぎた、と反省して、胸を激しく上下させる。私は息が落ち着くまで暫くそこに横になっていた。
そして落ち着いた頃、私は体をほぐしてから竜種の揺り籠に向かった。あの美しい宝石のような竜種がまだいればそのまま帰り、いなければ環境を確かめてから帰ってこれからの訓練に使おうと思ったのだ。もし鱗が落ちていたらこっそり拾ってお守りにしたい……なんて。
ゆったりと歩きながら空気の変化を感じ取る。冷たく澄んだ空気が肺に流れ込んで、私は竜種の揺り籠に着く予感を感じた。霧が立ち込め、その先には……
「今日もいるみたい……あれ、起きてる……!?」
頭を垂れているその美しい竜種は、しかしながらその色とりどりにら煌めく瞳を開いていた。鼻先に集まった小鳥たちを見つめるその瞳は、同族を疑い騙す人々とは違って、とても純粋な輝きを放つ。
その美しい瞳が、私に向けられた。
『人間、子?』
優しいおじいちゃんみたいな声がして、私は固まった。この竜種、脳内に直接……!?頭の中で響く声に驚きながらも、その知性を感じさせる声音に落ち着きを取り戻していく。
『久、優し……綺、れぃ?』
竜種は鼻息で小鳥たちを追い払うと、頭をゆっくりと浮かせてこちらを向いた。ぱらぱらと古い竜鱗が地面に落ちて、星屑みたいにキラキラしていた。私がそれを目で追うと、竜種はそれに気付いて微笑んだ……ように見えた。
すると竜種は自らの鱗をパキリと折って、私の方に投げて寄越した。目の前に落ちたものをキョトンとして見ると、『贈呈、拾、ぇ』と楽しそうな声がしたので拾う。大きくて両手で抱えなければ持てないが、とても綺麗。
『それはやろう、儂の魔力が敵意のある魔力を弾き……魔法を遠ざけてくれる』
「えっ、あっ……ど、どうして急に渡したのですか?」
私はその声と効果を聞き、おずおずと疑問を口に出した。本来なら竜種は人間やエルフ、獣人に恐れられる存在。それがどうして初対面の子供に鱗を自ら折ってまで渡したのか。そしてなぜ急に流暢になったのかは気になったが訊くことはできなかった。
すぐに竜種は答えた。
『それはな、ここ以外であれば敵として対峙することになるだろうが、ここで出会えたのも何かの縁だろうと思ったんだよ。渡せば会話もしやすくなる。儂はそこそこ強い竜種だからなぁ、弱い竜種の吐く竜炎なんかは弱体化してくれるだろぉなぁ』
それだけ言うと、竜種はのそりと体を起こした。翼を広げてコリをほぐすように何度か体を捻ったりして動かした。私はそれを見ておぉ、と声を出し驚く。竜種の身体が昇り始めた朝日を受けて、神秘的な光景を作り出していた。
「凄い……綺麗……」
呟きながら、私は身構えた。すぐに竜種は翼をはためかせ、それによって強風が発生する。私は足を踏ん張ってその場に居続けた。
「ありがとうございましたー!また来てくださいねー!?」
『…………考えておこう』
跳ねとびながら叫ぶと、竜種は一言返してそのまま空に消えていった。私は腕に抱えた竜鱗を抱き締めて、意気揚々と家に向かったのだった。着いたらすぐに朝食だ。丁度良くお腹も空いたし、今日も沢山食べよう……!
今日から、食事のためにダイニングルームに集う者が一人増えた。もちろんそれは住み込みで私の指導をしてくれるバウなので、私は少し緊張している様子のバウに笑いかけた。
バウはここで用意された男性用の部屋着を着ている。身長が高めで胸も……ので、一瞬見れば男に見える。しかし赤茶の髪の隙間に覗く顔は長いまつ毛に薄く染まる頬、桃色の唇などから女性らしさが滲み出ていた。
「今日も、我々に生きる糧を与えてくださり感謝します」
運ばれてきた食事に、声を揃えて神様……フレイズに祈りを捧げた。こればかりはバウの住まう地の「食前の祈り」と同じだったようで、彼女も慣れた様子で祈りを捧げる。それから彼女はおずおずとフォークに手を伸ばした。
この国では、貴族の食事は汚さず食べやすく上品にが基本。それにより大体の貴族は一口サイズに揃えているのでナイフは無くても良い。そのため我が家ではナイフを使わないことが多いのでそこまで緊張する必要も無いと思うが。
それよりも、と私は意識を目の前の皿に向けた。夜以外で魔法国家貴族式の料理が出されるなんて、珍しい。私は一口サイズの方が好きなので嬉しいが、調理が面倒だとかの理由で夜だけになっていたはずだったので違和感を拭えない。ひとり眉をひそめる私に気づいていないのか、父グラスが口を開いた。
「この間竜種の揺り籠を覗いたのですが、なんと脅威度未指定の討伐禁止とされている珍しい竜種がいたんですよ」
その言葉にシルリアおかあ様が頷くと、おとう様は話を続けた。
「魔力から脅威度SSは超えるだろうと言われているが、今のところ野生の個体が人に危害を加えたことは一切無く……」
……とりあえずその竜種のおかげで収入が増えるのだろうな、と結論づけて、私はおとう様から意識を逸らす。多分あの綺麗な竜種の事だろう、優しかったし綺麗で高そうだった。でも私は貰った竜鱗を売ろうとは思わなかった。
ちらりとバウを見ると、彼女は少し身を乗り出すようにしておとうの話に聞き入っていた。なんだなんだと耳を傾けるが、聞こえるのは先程の続き。それを聞いてから、彼女は魔物の素材で生計を立てていたことを思い出して「なるほどな」と頷く。
バウは瞳をキラキラと輝かせてしきりに相槌を打ち、自ら訊きに行くことは無かったが訊きたそうにしていることはわかる。
「……それでですね、生え変わりの時期と重なっていたのか量が多くて。後で集めるのが楽しみです」
おとう様がのほほんとした笑顔で話を締めると、バウの喉が上下したのが目に入る。あ、これは一緒に拾いに行きたいけど言えないのかな……。
私は食べ終えたために食器を置いて、口元を拭きながら観察する。とても興味津々といった様子で、おとう様を見つめていた。直接言えばいいのにわざわざ拾いに行きたいなんていえないのか、彼女は目だけで訴える。だけどおとう様は鈍いから多分このままだと一生気が付かない。
そんな微妙な空気の中で、私は空気を読まないように無邪気な笑みを浮かべて言った。
「おとう様!私も行きたい!!」
それからバウに視線を向ける。彼女は私とおとう様を交互に見てから「大丈夫」だと判断したのか、口を開いた。
「ボクも……セルカちゃんと一緒に行きたいね」
おとう様はそれを聞いて笑顔で頷き、食事の最後の一口を口に放り込んだ。何とも上品さが欠けた行動だったが、この中で一番貴族として努めているのはおとう様。変なの。
許可が下ったバウは、私に向けて満面の笑みを見せた。こんなこと異性にしたら絶対惚れちゃうから、あまりしないようにって伝えておこう。
今日も勉強の時間。おなかいっぱいで眠いけど、真剣に受けよう。なんたっておじい様の授業だし、何よりそのまま魔法の勉強もするのだから!
椅子に座って机に向かい、私はひたすらおじい様を待った。勉強は楽しいので、待ちきれない思いだ。そんな時に、ドアが開いた。
「遅れてすまないねぇ」
私はその声を聞きつけると弾かれたように振り向いた。待ちに待った勉強の時。私は用意された教科書の前回の続きのページを開いておじい様に「いらっしゃい」と声をかけた。くしゃりとシワを深くして優しげな笑みを浮かべるおじい様は、両手で抱えた紙の山を机に置いてから、私の隣に用意しておいた椅子にいつものように座る。
「じゃあ、始めようか」
「はーい!」
開かれたページには、この世界の共通言語で我が国アズマの歴史が記されていた。このページには、特に権力や政治の中心の変化が多かった魔法改革の時代のことが書かれている。
この時代には様々な勢力から様々な新技術や技法、強力な魔法が開発されたことによって、実力主義の気色が強かったアズマの王や大貴族がコロコロ変わっていた。結局圧政を敷いた王族と権力を振りかざした貴族が反乱によって倒され、当時の善良かつ弱小であった貴族が王族になり、力をつけて今に至るという。なので現在の王族はアズマの歴史の中では新しいものなのだ。しかしこれまで一度も揺らいだことのない権力、信頼、実力は他国家の由緒正しい王族にも負けない。
平民はこの国ではとても重要視され、軽蔑してはならないもの。他国家から見れば何ともおかしな常識だろう。私は「よくこんな結論に至ったなぁ、この国は」と感心していた。ラノベでも前世の歴史にも、こんなへんてこななんちゃって王政は見なかったと思う。私は高校一年の最初までしか生きていないから、知らないだけかもしれないけど。
革命を起こした平民の名前や似顔絵、使えた魔法。そんな生活に必要そうじゃなくてどうでもいいけど学んでいて楽しい内容が載った教科書は、日本とは全く違った。
「おじい様、私は学校には行けないの?」
私はふと思ったことを口に出した。だって、あるらしいのに私はここで学んでいる。もしかしたら年齢的な問題があるのかもしれないが、それでももう十六歳。普通なら学校教育が始まっていてもおかしくない年齢だ。
するとおじい様は「あぁ」と気付いたように声を出した。それから少し恥ずかしそうに頬をかくと笑顔を見せる。
「それはな、言い忘れておった」
「え?」
私は首を傾げる。何の話かサッパリ分からないのだが、……いや、学校の話なのか。パタリと教科書を閉じておじい様は私に向き直る。持ってきた紙の山から一枚の紙を取り出した。
「ギルドにお願いしてセルカの魔法適性や能力値を開示してもらって、申請したんだよ。少し早いけど、入学おめでとう」
私は差し出された紙を見て、目をぱちくりとさせる。なんか急すぎて実感も湧かないけど、目の前の書類にはしっかりと国の印がおされている。偽物だったら捕まるのでその線はない。
私は震える手で紙を受け取り、目を通す。
そこには「国立総合学院ルーン」の文字が光り、私は笑顔を一層深めたのだった。
次話は遅れるかもしれません( ̄▽ ̄;)
頑張って間に合わせたい…!