第133話「鬼の」
掴んでいたセルカ……ミコトの腕を放すと、すかさず異変がないかを聞く。過保護に過ぎるともいえたが、彼にはそれが最善に思えていた。自分の勝手で連れて来たわりには、酷く心配しているのがわかった。
トーマは目的を話そうとはしなかったが、離れるつもりはなかった。だからこそ連れて来たのに。
意識は半覚醒といったところか、あまり明瞭ではない視界に鬼火が煌めいているのを見て、トーマは自身の現状に気が付いた。
混濁した記憶にはミコトとの物理的接触を絶ったことと、その後に共に鬼火を辿るようにして通路を進み始めたところまでしか残っていなかった。周囲にミコトの存在は感知出来ず、狼狽する。
彷徨う視線の先には人影はなく、鬼火が点々と続く通路のみ。してやられたと歯軋りをさせて、それから歩みを再開した。
先程まで手をかけるだけであった魔剣を鞘から抜き、切っ先が地面に触れるか触れないかというところで脱力気味に構えたのは、この神殿へ向けていた注意と疑念が膨れ上がったからだろう。
しばらく歩き続けると、神殿の姿は変わる。抉り取られたような壁面と文字は穴あきになり、その奥には緻密で繊細な彫刻の施された、人工的な面を強く感じさせる壁が見え隠れする。
はじめは鬼火の心許ない明かりのおかげで認識が困難だったが、その穴が大きくなるにつれてその全容が明らかになっていく。
道が終わる頃には、そこは洞窟らしさなどなくなっていた。装飾品などは華美に過ぎず構造の所々に荒々しさが感じられるものの野性味はなりを潜めていた。完全にその広い空間に出たトーマは警戒心を顕に周囲を見渡すが、そこでわかった。そこは道の終わりではないようだ。
「……くそ」
自分は、半径三メートル程の円形に並んだ鬼火の外周をぐるぐると歩いていただけ。はじめからこの広間にいて、惑わされていたわけだ。
何故道を出られたのか。そう思ったとき、利き手に持った魔剣が哭いた。
それが合図だったのだろう。鬼火が神殿の至る所から湧き出てくると集結し、生き物のかたちをつくっていく。それを妨害しようにも速度で間に合わず、目の前には人間の何十倍もの巨躯をほこる鬼が完成しようとしていた。
それは神の系譜に名を連ねる者でないトーマにもわかった。この目の前にいる炎の鬼は、本体ではないにしろ鬼神であると。
魔剣イヴァがわかりやすく反応し、もう一度高く澄んだ音を響かせた。びりびりと強烈な振動が手のひらに伝わり、御しかねた剣先は床とかち合って不快な音を立てた。イヴァを見るトーマの目は、畏怖と信頼を帯びていた。
「まだだ」
限りなく抑えられた声が魔剣を抑止すると、音が病んだ。それによって訪れた奇妙な静寂を、炎の鬼が打ち破る。
『ようこそいらっしゃった。奪還しに、依代を伴ったか』
応える声は無く、ただトーマが鬼の顔にじっと視線を注ぐ。彼は、自身が鬼の眼中にはないことを察し、そして瞳を閉じる。剣は構えたままだった。
鬼もトーマもそこからは言葉を発さずに、互いの動向には見向きもせず、立っていた。しかし何を切っ掛けにしてか、炎の鬼が元に……数多の鬼火へと分解されたことで、広間を覆っていた威圧的な空気が弛む。
「……ここの主に伝わったか?」
瞳をゆっくりと開けながら、トーマは言う。返事はない。
「聞いた通り、本体以外にはこちらはよく見えないようだな」
ここに仲間がいれば、誰から聞いたのかと疑問を持つだろう。紅い鬼人は目を細めて、唇を引き結び足を前に出した。
あともう少し、短い話が続きます。