第125話「精悍な従僕」
ためは長かったし全身全霊を注いだ一刀は乱戦など相手が動いている場面では使いにくいことこの上ないだろうが、その威力は申し分なかった。イヴァ単体では成し得ない、トーマという協力者があってこその斬れ味……後衛に余裕があって敵の拘束が可能ならば活用したいものだ。
トーマは刀身を軽く柔らかい紙で拭ってから鞘に納め、それごと異空間収納に入れる。私は鬼が完全に生命活動を停止させていることを確認してから解体用のナイフを手に取った。
解体後は、人型であったことから肉のほとんどは燃やしてしまう。数キロのブロック分は切り取ったが、それも何か魔法薬の材料になったりしないだろうかという推測のもとである。食べるのは気が進まない。
また、皮や牙、爪、そして鬼の象徴ともいえる角は綺麗に剥ぎ取ってあるので、生活費の足しにでもしようと考えている。売る前に一応全員に要らないかを訊く予定ではある。
結局全ての素材は容量的に余裕のある私が持つことになったが、この程度ならまだ余りそうだ。皆それぞれが荷物をできるだけ持っていることもあるし、私の持てる量も増えているのだから当然のことだった。
横倒しにされてしまった馬車は力持ちな虫とトーマが協力して立て直したし目立った傷は無かったので、再び蟻馬に繋いで引いてもらうとしよう。
ライライは私と一緒に御者台に座るが、彼は大量のクリーチャーを一気に扱いたおかげでそれらを体内に格納するには時間がかかるとのことで、半透明で僅かに緑がかった触手は御者台の大半を占領していた。
少しずつ体積を減らしているように思うけれど、それはいったいどういう仕組みでどのように収められていたのだろう。ライライ自身の見た目は普通の人間に見えるのに……。
それ以降は襲撃者もなく、私たちを乗せた馬車は夜に入りこんだ。日付が変わった頃に着くことは流石にもう無理だろうが、このまま走り続ければ大きめの遮蔽物のある地点で夜営ができそうなので、暗くなってからも少し進むことにする。
どこに先程のような鬼が潜んでいるとも知れないこの土地では不用意に目立ってはいけないので、松明などの灯りは使わずに各自暗視の魔法をかけることとなった。
暗視とはいっても視界はかなり狭められるため、速度は落とすしかない。それでもどうにか荒れた岩石地帯には足が届き、馬車での移動が難しくなったところでそれぞれが暗闇の中にテントを用意する。
その晩は鬼に襲われてはたまらないと匂いのする食事は憚られ、風魔法で匂いの拡散を防ごうかという提案も却下されてしまい簡単な携帯食で夕食を済ませた。
私も消耗しているだろうからと言われてしまったため押しきることはできなかったが、実際はバカスカ高威力魔法を放ったわけでもあるまいし現人神の頃よりも調子が良いので余力はあった。しかしどこかでセルカの体に無理をさせているかもしれないと思い直し、就寝前の訓練も半減させた。
一気に冷え込んだ夜、寝袋に入って毛布に包まれば、なるほど疲れきっていた身体は眠りに誘われるままに瞳を閉じていってしまう。仲間の言葉は素直に受け取るのが一番だと実感した。
翌朝、しっかりと睡眠をとり疲れも回復した私は今度こそと温かい食事を提案するが、それは意外にすんなりと許可された。
何故かと思わず訊いてしまったが、するとそれにはステラが答えてくれた。私を休ませようとはじめに言ったのは彼らしく、何やらどちらの魔力の調子もよく見てきた彼にはなんとなく無理していそうな雰囲気を感じ取れたようだ。
現在は快調だというのが見て取れる……そう言われるとそんな気がしてきて、私はいつになく張り切って料理を始めたのだった。
セルカより段取りが悪いのは自覚があるがそれはトーマが補助補完してくれて、教会で貰った食事を軽くリメイクして作られた豪勢で身体の温まる料理は、まだ気温の上がりきっていない朝には少し重いような気がするが、完食。
腹ごなしの運動も終えると馬車は異空間収納にしまい込み、そのまま岩だらけの荒れた地を進むことになる。
これまでは殆ど最後尾にいたライライが前衛として動くようになったため陣営はかなり変化しており、唯一の完全魔法職であるベルが無理をしそうな空気がある。
最初に蟻馬に乗って移動してもらおうという案は出たが、彼女にそこまで乗馬能力がないことや本人の「アリは……ちょっと」という声と青ざめた表情からそれは廃案となる。
そうなると何が……と迷いを見せるが、そこでベルが自らこちらに寄ってくる。
「み、ミコト。すまないが、セルカの従魔は君にも扱えるだろうか……」
そこでようやく従魔のことを思い出し、全くといって良いほどに喚び出していなかったと気付く。すぐさま召喚すると、黒助は何事も無かったように頬にすり寄ってくるがアルトの様子は少し違った。
獣人形態の彼は耳をひくりと震わせるとこちらを凝視して、何か得られる情報でもあったのか「ふぅーん」と全身を確認するように見てきた。その後に出てきた言葉は、これである。
「まぁ、ご主人様が認めたなら」
なかなか偉そうな態度に思えるが、今は私は見定められているような状況なのだからと視線も言葉も甘んじて受け入れた。どのような印象を持たれているかはわからないが悪くはなさそうだ。
渋々といった風ではあるものの彼の目にはこちらを好意的に捉えているような節がある。そこまでセルカが信頼されていたともいえる。
数拍置いて、私はまだアルトの羊形態の姿を見ていないことを告げる。すると彼は瞬きほどの時間で本来の姿に戻り、軽く体当たりを仕掛けてきた。じゃれているようなものなのだろう、もこもことした羊毛が私の腕をすっぽりと覆い隠す。
「これならベルも乗れそう?アルトはそれでいい?」
耳を触ればくすぐったいようで払われるが、彼は首を上下に振った。途端に毛量が増していくが、これは永遠に生み出し続けられるのだろうか。比例してからだ自体もおおきくなっているのは、ベルが乗りやすいようにという配慮だ。
あっという間に、馬には及ばないものの成獣サイズまで育ったアルトは膝を折るとベルを背中に促す。癖なのか一瞬ブーツを脱ごうとしたベルだったが、アルトはそれを止めて『魔物がいるのに?』と言う。失敗に思い至ったベルはいそいそと居佇まいを直すと思い切って飛び込むように羊の背に乗った。
彼女の体勢が安定してから立ち上がったアルトは、私の周りを数周すると騎乗者を気遣うように後方に視線を遣る。そしてベルが恐怖よりむしろ興味の勝っている様子でいつもと違う視点を楽しんでいるさまを確認すると再び頷いた。
『ミコトさん、おれはこれでついていけるよ』
それは柔らかい声色で、理屈は不明だが成獣形態でもつらくはなさそう。後ろでライライが蟻馬の活躍が少なくて不満そうにしているけれど、撫で回されて少しずつ解体・ローブの裏に消えていく蟻たちは躊躇も後ろ髪引かれる様子もない。一糸乱れぬ隊列を組んでいるのは見事だった。
アルトの上は見た目よりも揺れがないようで、初めは両腕をめいっぱい広げて彼の背に掴まり乗っていたベルも、少し経つ頃には自前の魔法発動用の杖を抱えるようになっている。
だがその様子を見て安心しない者もいるらしく、アンネなんかはベルが落ちやしないかと近くに寄っていつでも支えられる距離を保っている。二人は相当仲が良いのだろう、これは放っておいて、まずは慣れない道や隊形なので速度を落として進んでみよう。
最終目的地である鬼の獄は程遠いが一応その手前にある岩槍地帯はもう見えていた。そびえ立つ岩の隙間はそこそこ広く凹凸も少ないそうなので、そこからはまた馬車が使えるから……このデタラメに砕いたような岩地を抜けるまでの辛抱だ。
こんな足場を自在に動くとなれば巨躯は邪魔になるから大型の魔物には出逢わないと思うが、小さくてもこの土地での戦闘はほぼ確実に魔物に地の利がある。最大限に警戒して進もう。