第123話「指針、目標」
問題はトーマができるはずである血魔法の強化が、何にどのようにはたらくものなのか、である。例えば効率強化……回数や一度に顕現できる刃の数量の増加。純粋に斬れ味が向上するのかもしれないし、刃の長さや有効範囲が伸びるかもしれない。
しかし唯一知識を持ち合わせているイヴァは意志はありそうだが満足に言葉を話すことのできない物体だ。今のところは鑑定結果に思うように情報を表示させることで伝えきれているが、これ以上は難しいだろう。
あてがあるかと聞かれれば、思い浮かぶのはバウの故郷……だが、その場所はバウがいない今はあまり自分から関わりたいとは思えなかった。他に獣人で血魔法の知識がありそうな者は思い浮かばないが。
どうするのが最善かはわからないが、とりあえずトーマと二人でイヴァの血魔法の魔力の流れをじっくりと観察することにした。動かない刃に見えるが、よくよく見れば血液のように一定方向へ流れているのがわかり、それ以外はあまりわからない。
首を傾げる私と対称的にトーマは何か情報を拾うことができたようでこれまでに見ないほどの真剣な視線を注いでいた。しばらくして何か方法に思い至ったのか、トーマはイヴァを手に取った。
「トーマ?何か……」
話を聞いてみようと声をかけたとき、彼はなんでもないことのように自身の腕を魔剣で切りつけた。浅いが、炎のように揺らめく魔力を抱き込んだ血液が垂れる。
言葉を失ったものの、それが手段なのかと、私はどうにかその手を止めずに回復魔法で治してしまうこともしなかった。
そのまま眺めていると、トーマは傷口を睨みながら魔力を練り質を高めているようだった。そしてその魔力が一定以上の濃度に達したとき、彼の血液がとろりと……まるで一気に蜂蜜などの粘性の高い液体になったかのように流れを遅くする。その血はスライム系の魔物と見まごう動作で魔剣に向かって進み、魔力刃の部分に流れ込む。
すると魔力の刃が本来媒体とすべきだったもの……血液を手に入れたからか、妙に嬉しそうに煌めいた。トーマの血に込められていた魔力の分、硬度も上がっていそう。
何より大きい変化は、血の刃からトーマの腕の傷までが血の糸のようなもので繋がれていることだ。魔力の動きでわかることは、その糸を通して血液が巡っているということだけだった。
「魔剣が体外機関になってるの……?」
その構造を見る限り、きっとトーマは魔力を消費していない。魔力が少ない者の多い獣人が扱うにはちょうど良いであろう、身体強化魔法に通ずるところのある魔法に思えた。
しかしそれがわかっても私には使えないだろう。トーマがあれほど集中して魔力を込めてようやくできたことを、獣人や鬼人よりも血の魔力容量が少ない私にできるはずがないのだ。
それは正しく亜人族の秘術。
「トーマ、つらくはない?」
額に汗を滲ませ表情を顰めさせているのを見かねて声をかけると、彼は血液を魔力刃から分離させて自身に再び取り込んだ。一瞬病気にならないかと心配になって、傷を治すついでに浄化魔法をかけておいた。
礼を聞き流し、代わりに一連の実験で彼が得た情報を吐いてもらおうと、説明するように促した。彼は存外に抵抗無く秘術の詳細を語る。
「俺のは強化で、そのうえ主武器が血魔法を扱えるから良いものの……なるほど秘術としてまじないに近いものばかりが遺っているわけだ」
その言葉に続くのは、愚痴のようなもの。彼曰く、血魔法では魔力消費がないという私の予想は間違いであるらしい。彼の魔法は現状では循環させることが出来るが、例えばその刃を飛翔させたら。特に秘術として文献に載っている雨寄せや水探しなどは、儀式の途中に血を身体から完全に離す必要のある動作があったりする。
そうなれば血に込められた大きな力は体を離れ、消費されることであろう。トーマが刃の強化に使うぶんには問題無しだが、亜人種の確実・強力な手札にはなりきらない。トーマでも苦しむような魔法を、そこらの村民に扱えるとも思えない。
私は最後に
「冒険者として活動してる獣人や鬼人には良いかもね」
と呟いてその話をやめにした。あとはトーマとイヴァで活用するか否かを決めて訓練に励んでほしいのもあるが、何より私は疲れてベッドに寝転んだときに訪問者があったから起きてきただけだ。眠い。
必要な情報は引き出せたからと話を切り上げようとしているのを察してか、トーマはそれ以上の実験をすることなく頭を下げて部屋を出ていった。彼が居なくなると再び訪れた静寂に、私の吐息とベッドの軋む音が割り込んだ。
「……やっぱ、変」
ごろりと寝転んで、大量に神力を消費した代償だとは思いつつも心身を満たす虚無感と脱力感に身を任せた。魔法の次に時間があれば確かめたかったことがあったが、その余裕は残されていないようだ。
眠ってしまう前に自身のステータスを詳細表示させると、いつかセルカが見た数値から変動のないものがある。
「進化したら……」
仮説が正しければ、有利でもあるし不利でもある。有利なのは成長面、不利なのは……。
「セルカちゃんは、見た目で侮られた経験があったっけね」
進化した頃から成長した様子のない体、そして伸びてもいない爪や髪の毛を眺める。エルフの爪の伸びる早さなんて誰も研究していないから知識の中にはないけれど、彼女は気付かなかったのだろうか。
疑問はすぐに睡魔に呑まれて消えていく。時が経てばやがてわかることだと、最後に言い訳をして問題を投げた。どのみち、この体は私のじゃない。
夢も見ない深い眠りが待っていた。
翌週、私が身体と神力の扱いに慣れてきた頃、朝食を食べ終えて皿を片付けようと立ち上がった私の横でトーマが勢い良く腰を折り、頭を深々と下げて懇願してきた。
「ミコト、頼む。鬼神の神殿に行くのを手伝ってくれないか」
それはあまり考えていなかった、神殿攻略の再開の打診。他のメンバーにはミコトに一任すると言われたらしく、言葉を重ねてお願いされた。そこには彼の個人的な理由もありそうだが、それは聞かないことにして頷いた。
模擬戦ばかりでも成長がわかりにくいし、ちょうど良いタイミングでの提案だったといえよう。
「いいよ。実践訓練を兼ねて、みんなで行こう」
そうなると皆の行動は早い。それぞれバラバラに受けていた冒険者ギルドの依頼を片付けると、武器の手入れや食材の買い出しに向かう。私にばかり物資を集中させるのではなく、非常時に備えての用意もするようだ。
今回の向かう神殿は岩の槍が無数に立つような地形の先らしく、その手前までは久し振りの蟻馬の出番ということで、ライライも張り切っていた。向かう先は鬼の獄。鬼人はその地を畏れ、生息する鬼の姿をした魔物達は鬼を好んで喰らうという。
私は、セルカのお気に入りであるトーマが食べられないようにどこまで手助けをするべきか、寝台でまぶたを下ろして考えた。
充分考えのまとまった翌朝、髪をまとめに訪れたトーマを制して銀髪を指先で弄び、近接戦闘でも動きやすいように、ひとつ結びにしてから三つ編み、そのままそれをくるりと丸めてお団子をつくった。私の一番気合いの入る髪型である。
行き場の無くなったトーマの手は空を切って、私の手先が器用なのが意外だったのだろう、彼の顔は鳩が豆鉄砲を食らったようで私はじわりと笑んだ。
「セルカちゃんにはこんな髪型も似合う」
そう言って、自分らしくない柔らかい笑みを浮かべてみせると、目の前の男はわかりやすく顔色を変えた。私のセルカの真似はなかなか上手かったようで満足だった。
私は今日は遅起きだったらしく、他の部屋はカラになっていた。ジンがいないため彼が先に団員を最寄りの教会に転移させたのだろうと予想をつけ、トーマと二人で転移門へ向かうと、そこでジンとすれ違った。
「おはよう。向こうの教会が張り切って朝食を用意しているよ」
それだけ言って去るジンは、見れば見るほど昔から変わっていないのだとわかる。適当に相槌を打って門を作動させれば、神の面識者たるセルカを出迎える神官たちが眼前に群がっていた。
門のある空間は神力の無い者単体では視認もできないはずなので現在こちらを直接見ているわけではなさそうだが、一歩足を踏み入れたところで反応が変わる。元々ザワついていた神官たちは感極まって泣き出したり無言で何かを噛み締めるようにしていたり、どちらにせよ静かになった。
聴覚は静かだと判断しているのに視界に映るすべてが混沌としていて、浮かべた微笑が崩れそうになった。
神官の中には黒い鬼なんかも混ざっていて、私の隣に同じ鬼人族が立っているのを見て、彼に向かって畏怖と尊敬の目を向けている。
髪を上げたことによって目立っている身体中の魔宝石にも視線は注がれていてむず痒い気持ちになったが、すぐに神官たちは仕事モードに切り替わったようで食事の席へ通された。
旅に出ると事前に聞いていたのか用意されたものは腹持ちが良く力がつき尚且つ美味である食材を多用した景気付けのような料理だった。量が物凄く多く見えて後ろの神官を振り返ると、彼が言うには「御使い殿の異空間収納魔法はまだまだ空きがあると聞き及んでおります」。つまり持って行けと。
それはまあ良いだろうと席について、料理たちを見る。ひとくちピザのようなもの、魔物から採れるじゃがいもに似た実をふんだんに使ったスープ、保存食にもなりそうなクラッカーとそれにのせる用の具材やどろりとしたソースたち。次々に紹介される料理だが、私は半分もわからなかった。
とりあえず全てが美味しそうなのはわかるし、母国の貴族が好んでいたひとくちメニューを多く揃えているあたり気遣いがうかがえる。あんまり嬉しいものだから取り繕うのも忘れて喜色満面、瞳を輝かせて見ていると、トーマに小突かれた。
「食べんぞ」
「うん。では……今日も、我々に生きる糧を与えてくださったことに感謝します」
手のひらを合わせ、私は箸を取りだした。セルカの記憶と被る品もあれば、初見の料理もある。セルカが食べたことのある料理でも私は豪勢な食事自体が久しぶりなので、気分が一気に高揚した。
なるべく野営で温め直しやすいものや冷めても美味しいものには手をつけずに、温かい出来立てが良さそうなものから取り皿によそう。少し待たせたはずだが温かいのは誰かの魔法だろうか、体温の上がりきっていない指先がじんわりとした感覚をおぼえる。
はじめに手をつけたのは彩り野菜のピクルスだった。生のサラダ系は無くて、その代わりに酢漬けや味噌のようなものに漬けられた野菜、炊いた芋類にチーズソースをかけたものなんかが用意されている。ピクルスを選んだのは単に可愛らしかったから。
地球と共通のものから順に口に入れる。人参など根菜は特に素材の甘みが強く出ていて好みだが、胡瓜や小茄子の独特の食感も楽しくて沢山食べたくなってしまう。
見たことのない野菜もあったが、奇抜な色彩とは裏腹に美味の範疇から飛び出るようなものはなかったので皿に載せた分はあっという間に食べきった。
背後に控えた神官の浄化魔法でまっさらになった取り皿に、バスケットに詰められたパンからシンプルな丸いものを選び取り、半分に切り、間に味付けの濃いような雰囲気のある牛ヒレ肉の煮込み、先程食べた中で美味しかった野菜ピクルス、チョシーと似た芋の生地を薄く広げてパリパリになるまで焼いたものなどを次々に挟んでいった。
少し行儀は悪いかもしれないけれど、トーマは止めるどころか真似し始めているし神官たちはにこやかな表情でこちらを見ているくらい。それでもセルカの評判にも関わるだろうかと一瞬考えた末に、小さな口でも食べやすいように四等分にしてからフォークで口に運ぶ。
もちろん、美味しい!ジューシーさは足りない気もするけれどスパイスの効いた辛いタレで煮込まれた牛肉は柔らかく、ピクルスはその強い味付けにも負けずにまろやかな酸味を加えている。芋の生地は少しソースを吸って柔らかい部分もあるが、食感はまだまだ生きている。クセのないパンと共にバーガーの味をまとめてくれた。
香辛料イコール日持ちするという考えがあったのか思ったよりパンチのある料理だったけれど、これくらいの方がガッツリ食べたいときには良いかもしれない。
教会本部でまだ私と団員たちの距離感がわからない状態では緊張感もあって感じられなかったけれど……食事行為で得ることの出来る幸福感、それは二度と忘れたくないと思うくらいに心が満たされるものだった。一度忘れていただけに、尚更そう思えた。