第122話「魔女も知らぬ」
全力で魔法を試す予定だったが想定外の威力に気が引けて、私は教会本部に戻ってきていた。落ち着くまで神殿攻略はしばらく進ませる予定も無く、その間に大海神と愛神、獣神の三者に配下にあたる神々の説得を頼んだ。
そもそも下界への関与……つまり私の排除も反対派の方が多かったようなので、細々したものの神、例えば鮫や鮪などの種族の神たちは庇護の大元であるウィーゼルには従うと考えて良いだろう。
ヴァッハはともかくブラオに配下神は存在するのかという疑問はあるが、自信に満ちていた彼を疑うのは失礼だ。
そしてようやくすることが無くなった私は、ぐぐっと伸びをすると大きくふかふかなベッドに倒れ込んだ。
「セルカとマジムの見込みでは、そろそろ天空神が何か仕掛けてきそうって話なんだけど」
二人ともが雲隠れしてしまった現在、何故そうなっていたかもわからないしこの話を伝えられたものが一人としていないので誰にまでなら相談して良いのか見当もつかなかった。
それに、マジムがいなくなったこちらの陣営は天空神にとって襲いやすい狩場なのか、興味も薄く襲撃する価値のない一団なのか、判断がつかなかった。例えば目的がマジムを引き離すことだとすれば、もう理由は無くなるわけで。
一番力があるのはウィーゼルではあるが、完全にセルカの下にいたマジムという柱の神。その為に割ける戦力はあれど、ただ邪魔をするためだけの戦力はまだないはずだ。
とりあえず、何があっても私ひとりで対処出来るだけの力があればどうにかなる。私はセルカが実家からそのまま持ってきたうさぎのぬいぐるみを異空間収納から引っ張り出して抱き締めた。
私は主人公じゃないと理解して、やっと落ち着いて思考する余裕も出来た。そうすると、唐突に日本に残された家族のことが頭に浮かぶのだから、いくらこちらで何百も生きてきた魔女だとはいえ根はガキなのだと思えた。
ほとんど無駄に過ごしてきたような、こちらの世界での生。その想いの軽さは、まだ日本での十数年に届かない。いつか帰ることを夢みて、ジンの隣に在り続ける幻想を抱いて、そんな私がセルカの身体を狙ったから…………今の状況に繋がる。
魂の折り重なるイレギュラー。私の生み出した神話のような物語は、巡り巡って私にバトンが託された。
今一度、セルカに忠誠を誓おう。私を表舞台に立たせてくれた、後輩に。私はうさぎに顔を(うず)埋めて、一度だけすんと鼻をすすった。
「……ふぅ」
どれほどか、音のないような時間が流れた。吐いた息が空気と音を流れさせた。それでもまだ起き上がるような気にはなれず、ぬいぐるみを放りだして四肢をだらりと広げた。
そして深呼吸をしているタイミングで、部屋の戸が叩かれる。
「あ、ちょっと待って」
急いで居佇まいを直すと、私は入室を促した。扉が傾いた途端に主張の激しい真っ赤な肌が視界に入って、来訪者を察することができた。足音を立てることなく目の前にやってきたトーマに椅子を寄せれば、軽く頭を下げた彼は私の正面に座った。
警戒などの悪感情が全くない彼の視線は顔に向けられていて、彼の微笑みをたたえた表情はどこか不安そうに映った。私が黙っているのを見て、トーマは遂に瞳を閉じて口を開いた。
「ミコト。セルカ様のこと、ありがとう」
それだけか、と思ったが、彼の深々と下げられた頭を見ていると何だか安心した。相手の魔力の気配も落ち着いている。敵意をぶつけられるとばかり思って身構えていた私が馬鹿みたいで、変な笑顔になっていると思う。
「当然のことをしただけだし」
照れ隠しに口を尖らせると、いつの間にか顔を上げていたトーマが歪みのない表情を浮かべていた。喜色の滲むそれは、悲観してばかりではいられないという気持ちが溢れたもののように見えた。
私とトーマはその後、しばらく話し込んだ。彼はきっと一番セルカに近くて、そして現在残されたクランメンバーの中で最も実力があると予想されるので、できないことをまず先に把握しておきたかったのだ。
そこで判明したのは、思った以上に彼が有能だということと、魔剣イヴァの秘めたる実力だった。トーマ自身は殆ど炎属性に特化したような能力値でそれを発揮しきることはできていないというが、イヴァの真価は血魔法だというのだ。
鑑定技能を育てていくうちにまるで魔剣側から許可されたかのように突然見えるようになったイヴァの鑑定結果によれば、血魔法の補助という文字があったらしい。
これには私も驚いた。何せ魔法ばかりを極めて究めていた魔女が知らない魔法属性だったのだから。新時代の魔法というわけでもないそうで、トーマが出来る限り自由時間に調べたもののどの文献にも記述は見つからなかった。
つまりこれはまったくの新魔法か、文献の残らない超古代の遺物か、はたまた魔物たちが扱う未解読の能力か……なんにせよ、浪漫の塊なのであった。
セルカにも話さなかったソレは、彼女なら絶対に止めたであろう使用法だった。
「へぇ、魔力媒体として優秀な生きた血液で無数の刃を……」
通常、生き物の血液には生物の保有する魔力が総量の半分に僅かに満たない程度に入っている。個体ごとに比率は変わるが、血液は最も大きい割合を食っていることが多い。高級品の魔杖なんかは、血の結晶を用いているものがあるくらい。ただ保管瓶が特殊過ぎて滅多に流通せず、魔物の血は冒険者の間では要らないに等しいものとなっている。
その場で解体して素材にしてから持ち込むほうが査定金額が上がり、血などは最初に抜いて地面に掘った穴に埋めて匂いを消す。それが常識だ。
魔剣イヴァの場合はどうやら元になった鬼が血魔法を扱うものだったらしく、魔剣本人が私にまで情報を開示してきたので血魔法の詳細もしっかり伝わった。イヴァは刃だけだが、他の者ならまたできることが違うという。
トーマはイヴァを机の上に置くと、目を細めた。
「予想だが、これは亜人の秘術のように思える」
「どうして?」
彼の発言に純粋に興味が湧いて、私は身を乗り出すようにして詰めた。彼はとても言葉に悩んでいるようだったが、少し考え込むと僅かに声量を落として言った。
「刃に固定されないなら、だ。立ち寄った一族が健在だった頃、長老のまじないで血が使われているのは見たことがある。……俺が人間から逃げていたはじめの頃には、確か獣人の村でも、長とされた者がなにか」
それは、意外な説だった。効果の実証されていない伝統的な呪術として誰もが注目してこなかった、もしくはしても秘匿されているおかげで研究の進まなかったものが、魔法のひとつだなんて。
この国は差別がほとんどないから良いのだけれど、差別の酷い国での「亜人の前世は深い罪を犯した極悪人だったため魔力が少ない」という貴族の取ってつけたような言葉が覆されそうな内容である。
「トーマは何か使えそうな感じはする?」
聞けば、首は横に振られた。そして助けを求めるような視線がイヴァに集まった。不可解なことに魔剣は笑っているような音を出して、鑑定画面を文字化けさせて、最終的に全く別の文字を表示させた。
『持ち主:トーマ。持ち主の属性:血魔法強化』
ということは、魔剣イヴァはトーマの秘めたるものを見抜き、自身の刃を強化してもらったうえで活用してもらおうという算段なのだろう。意図を察したトーマは机で寛ぐ魔剣に向かって小さく頭を下げた。
「俺に血魔法について、教えてくれ」
血を求める魔剣は教えを乞う主に対して、刃を鈍く紅に輝かせるだけで何も言わなかった。しかしすぐに、その魔剣は血のように濃い赤の魔力を溢れさせるとそれを身に纏わせた。血の通わぬ剣の扱う血魔法は、そういうものらしい。
「……血の刃」
トーマがため息と共に言葉を落とした。魔力刃である筈なのに艶のある液体のように見えるそれは、強化されればどれほどに高まるのか……そのままの状態でも鋭い殺しの道具であった。




