第120話「切っ掛けと交代」
ウィーゼルは陸地で起きたことはほとんど感知できないと前置きして、言葉を続けた。
「知ってる範囲で、教えてよ。何があった?」
有無を言わさぬ気迫を感じてたじろぐが、それを察知して尚威圧を緩めない彼女は、柱の神の一人だということを嫌でも意識してしまうような風格を纏っていた。口調や声音なんて、相手をはかる基準になりやしないのだ。
きっと眼前の少女はマジムが使い魔でなくなっていることをなんとなくでも感じ取っているだろう。そもそも立ち位置は仲間なので嘘を吐く必要はないのだから、そこは気にすべきことではない。
ただ、私たちの持つ情報程度では、大まかな経緯しかわからない。消える原理はわからないのではないか。
それでも頼り共に考える他ない私は、岩石を飲み込んだように重くなった腹から、絞り出すように声を出した。
「内通者に検討がついて、決定的な証拠を掴むために追跡したのが事の発端。はじめに追いついた私が、現場を発見した後に存在を勘付かれて襲われ──」
「セルカちゃんの代わりに相討ちにでもなったの?両者ともに休眠に入ったならわかるし」
私の言葉に重ねられたウィーゼルの声は、怒気をはらんでいた。責め立てるように続ける彼女とその勢いに押されて、私は言葉に詰まってしまった。それをどう捉えたのか、彼女の勢いは増す。
私はただ唇を震わせてそれを聞いていた。
ウィーゼルが焦っているのは、当然だ。それで思い違いをしてしまうのもわかる。私が原因なのは変わらないと思っている。
だから、もっと強くなろうと決めたんだ。
だから、これから努力を重ねて、いこうと。
……だから、これからもっと、きを、つ
『アホらし。交代してよ、グズ』
その時に頭に響いた声はそれこそ悪意の塊だったけれど、その中に小さく灯っていた『これ以上お前にこの言葉を聞かせたくない』という感情が私の心を揺さぶった。
もう、視界は真っ暗になっていた。現実にある体が倒れたかどうかはわからない。
マジムは最後、私のことなど眼中になかった。他のみんなは、本当はどうなんだろう。私、すごく、情けない失敗を重ねて、逃げ帰ってきて、逃がしてくれた仲間は犠牲になった。
セルカが私じゃなければ、違っていたかな。本来のセルカや、それこそ稀代の魔女ならもっと違う結果があったんじゃない?
『あんたになってから、あんなに気まずそうにしてた家族が積極的に関わるようになったよね』
そうだね。そりゃ、強さばっかり求めてる妹とか怖いでしょ。
『少なくとも良いことはあったよね』
まあ。
『ステラは私より、綺麗なあんたを選んだ』
そりゃ、あんなアプローチの仕方は引かれるよ。
『ジンも、私を見たときよくないカオしてた』
そりゃ、ボディタッチが原因でしょ。
『……ともかく!私だけが特別なわけじゃなくて、私が沢山間違えたことはわかったの!あのときは媚び過ぎたと思ってるし』
それは、よかった。
『で、提案よ。私が悪いことをしたら即身体を奪い返していいって条件で、貸してくれない?』
……なんで。
『私が強くなってあげる』
なんで。
『もちろん、私の才能と膨大な魔法知識を役立てて、女神フレイズにぎゃふんと言わせるためよ!』
………………。
『私が脇役としてあんたを強くしてあげる。主人公が世代交代だってのは、ちゃーんとわかったんだから!!!』
……。
『なんとか言いなさいよ!』
うん。お願い。
『……案外早い決断ね。私はこれでもあんたの何百倍も生きてるんだから、任せなさい』
はい、わかりました、ミコト先輩。
『じゃあ、耳を塞いでいなさい』
────ごめんね。
あたいはセルカが虚ろな表情で俯いたのを見ても、責めるのを止めなかった。当たり前だ。柱の神の代わりにちょっと神力を持つだけのエルフが生き残っただなんて、信じたくないものだ。言い訳などさせるわけもないし、そこまで愚かだとは思わなかった。
新参だとしてもれっきとした柱の仲間だったマジムと相討ちになるような使い魔と考えると恐ろしいが、状態異常耐性が最大値まで育っていないマジムには相性によっては弱くても勝てる。女神の側近なら弱点を知って行動していたとみて良い。
「非力を嘆くのはいいけど。何、セルカちゃんは近いうちに二人分の神力を補えるようになれる自信でもあんの?」
問題は、あたいやセルカ、ここにいる者の間で終結するようなものではないのだ。大地の加護は弱まり、災害が増える可能性だってある……あとはどれだけイレギュラーが起こらないかにかかっている。
運任せで世界均衡を保つなんて、冗談じゃない。そう考えて頭に血が上ってしまう。殺さないだけマシだと思え、と歯軋りをした。
仲間としての好意はあったが、それ以上はない。当たりがきつくなって、悪いか。
ぼうっとして話を聞いていないようなセルカの様子から、最早反省も何もしていないように感じられて、もう一度はじめから丁寧に説明して心を折ってやろうかと息を吸った時、変化は訪れた。
セルカの特有の柔らかい魔力が一瞬にして消え失せ、代わりに表面上は滑らかなれど凶悪なまでの攻撃性を内包した魔力が彼女の周囲を満たしたのだ。魔力総量はセルカのものよりも大きく、こちらに殺意を向けているのもわかった。
同時に彼女の従魔だったと思われる羊と毛玉が弾き出されるようにして床に転がると、あたいはそいつの正体に思い至る。
「……亡き現人神か」
セルカよりも強大な魔力は、失われた神力の半分に届きそうなほどの神力を含有している。それが彼女の答えだとしても、この女を世に解き放つのは危険過ぎる。睨めば、相手は盛大に溜息を吐いた。
「はぁ、こんな愚かな者たちに主人公たる私が弄ばれていたと思うと、呆れてくる」
その途端に霧散した殺気に拍子抜けしたあたいは、それでも女神の殺意に手を伸ばす。しかしそうするまでもなく、先に部屋に二名が飛び込んできた。悪魔と現代の現人神は女の魔力に気付いたのだろう。
それぞれが臨戦態勢をとる中、渦中の人物はどうだろう、椅子に腰掛けたままティーカップを取り出して紅茶をひと口含んでわかりやすく寛ぎはじめた。魔力は練られることもなく、戦う意志がないことを示されたようだった。
それを裏付けるように、彼女は穏やかに口を開いた。
「かわいそうに。あの子は内面はほとんどそこらの高校生と変わらないのに。話を聞くことぐらいは覚えたらどうなの、神様」
むっとした顔をしてはいるが、戦闘はご所望ではないようだ。渋々腰を下ろすと、彼女は続けた。
「ジンとステラは知ってるでしょ、経緯を。説明してあげなさいよ、この愚物に」
二人は不思議そうにしている。
「説明。愚物に」
女があたいを指差してもう一度繰り返すと、あまりの扱いに乾いた笑いが漏れた。私怨で報復や天誅なんてことをする神はいないが、普通はそれを恐れるだろう。
あたいの反応をどうとったか、悪魔……アルステラが真っ先に口を開いた。現代の現人神の方は悪魔が語り始めたのを止めはしないが、所々の情報を補完する。練習したのかと思うくらいの連携で、事の顛末が語られることとなる。
「…………そして、今の状況はぼくらにも理解できない。なんでミコトがいる?」
「そう、それ。なんでみこっちゃん?」
最後にその言葉で締めくくられると、いよいよあたいは表情が歪むのを抑えきれなくなっていた。なんだ、そんなの、……。
言葉を失ったあたいをどう思ったかはわからないが、滲み出た後悔の色に目敏く気が付いた現人神は、すうと目を細めた。肘をついてやり取りを眺めているミコトとやらが、とても恐ろしく思えた。
それから無言の時が過ぎ、耐えようもなく誤魔化すわけにもいかず、あたいは意を決して頭を下げた。思い切りテーブルにぶつけてやったから、きっと驚かせただろうと思いながら。
「すまなかった……セルカちゃんを、傷付けた。すごく、すごく……」
久し振りに泣くような気持ちになって、声が震えて消えていくのがわかった。姉のような、親のような、そんな心持ちで見守っていたから、だからこそ裏切られたと思って何度も何度も言い返す間も与えずに責め立ててしまった。神は長生きだけど、神の間でしか関係が広がらない。嬉しくて、羽目を外して、あろうことか、勘違いで、あたしらよりずっと若い子を、傷付けた。
永く生きるぶん知識や価値観が地上の者と違うが神は全能じゃない。特にあたいはわりと新参だから、正直年齢自体はマジムよりも数桁は若かった。だからこそ、感情に呑まれないように気を付けていたのに、やってしまった。
いくらかそうしていると、頭の天頂の側で動く気配がした。ミコトだろう。セルカとは少し違った女の声が、小さく響いた。
「神のくせに、態度はいいんじゃない。そんなことしてもあの子は出てこないけどね」
悪びる様子もなくすらすらと出てくる声は、嫌味に聞こえた。口振りからするに、やはりセルカは自ら体を受け渡したのだろう。条件は今はミコトしか知らないだろうが。
「いい?私は主人公代理!あの子に任された。目的は一緒!優しいあの子は私に神力の強化を願った。意味はわかるよね」
……つまり、あたいの言葉を受け取ってから隠れたのか。
「ジン、ステラ。私はかわいそうにそこの愚物に一方的に傷付けられたセルカに強くなることを任されたの。というか、あんまりかわいそうだから、傷付いて綻んだ隙間から声を届けて提案したのよ。神力は私が私の魂から引き出して、セルカに渡す。それで一人分はギリ補える!これから私が訓練すれば、もっと増えるし、大地神と駄犬も捜し出すつもり」
壮大な目的だった。
「女神の方のフレイズは、私が改心したのが分かれば良いんでしょ。やることやったら別に、死んでやってもいい」
そう付け足した彼女は、どうしてここまで変われたのかと思うほどに輝いていた。練りに練られた神力は、あたいよりも大きい。才能を与えられていたとしても、それをたゆまぬ努力で作り上げてきたことは想像にかたくない。
「頭上げな」
ミコトの噛み付くような声がして、あたいが顔を上げると
「帰ってくるから安心して」
睨むような目で、眉根は僅かに寄っていて、相変わらず敵意は剥き出しだけど……彼女は笑っていた。
改めて、新章スタートです。
これからもよろしくお願いします!