第118話「敵だった」
帰宅後すぐに寝てしまい、更新予約も忘れていました。遅れて申し訳ございません。。
咄嗟に防御しようにも相手の圧が強すぎて強力な防壁を構築することがままならず、生成したそばから触れるだけで破壊され、魔法が近づいてくるのを止められない。
師匠の指は、躊躇いがない。ここで記憶を消されれば、折角の情報と機会を失う。真っ青になっているだろう私の顔とそれを照らすバウの魔法の光が、時が止まっているような錯覚をおぼえさせた。
「まじ、む」
たすけて。
たちまち私の周囲に圧倒的な神力の渦が立ち上がり、バウの腕が弾かれるように私から離れ指先の輝きも四散した。彼の剥き出しの敵意が向けられているのは、今は私ではない。
呼べば、来るのだ。彼は……私の使い魔。
「大丈夫ですか!!」
ふわりと抱きかかえられた私は、顔を見る前にその神気の力強さと獣のしなやかさを思い起こさせる流れを体感して、その持ち主を察していた。安心のあまり、脱力する。
彼は、神だ。その事実と、彼が無条件で私を護ってくれるようなヒトだと知っていることが、そうさせた。
「セルカ様。呼んでくださって、助かりました」
そう言ったマジムは私を背に隠すような位置に下ろして、低い姿勢でバウに威嚇するように小さく唸った。私は転移門にもう一度触れると、ちゃんと魔力が通ることを確かめてから振り返る。
「呼んでくる……伝えなきゃ」
独り言か、マジムに向けた言葉か、それが夜の冴えた空気に打ち消されたときには、私はそこにいない。
目の前には、見慣れた教会本部の大きな転移門……。
誰かが戻ってきたら、すぐに伝えるつもりでそこに立つ。先に戻ってきたのはトーマとアルステラだった。
表情から何を読み取ったのか、トーマが真っ先に心配そうに声をかけてきた。彼は、いちばんバウを知っている。
ついに、堪えていた涙が溢れ出す。怖さよりも、やっぱり悲しみが大きいんだ。師匠が、仲間が向けてくる敵意というものは……。
泣きだした私は嗚咽混じりにもどうにか語り出す。最初に伝えるのがこの二人で良かった。二人にはぐちゃぐちゃの頭で思考・構築した説明でもゆっくり噛み砕いて理解するだけの対人スキルがあった。
話し終えた頃には、真っ赤な鬼が歯を軋ませる音があった。悪魔はワカメみたいな黒髪を呼気で揺らした。
「そうかぁ」
アルステラがため息混じりに苦笑したさまは、美しかった。私は赤くなった目を擦り、鼻をかみ、気丈に振る舞うことにした。
リーダーだから。
「今はマジムが止めてくれてるから、助けに行くかは自由だけど……」
そう言って転移先を教えると、二人は顔を見合わせて何か目で語り合っているようだった。結果、二人は首を振った。
鬼曰く、「また泣かれても、ジンに読み解けるとは思えないからな」。
悪魔曰く、「悪魔は神力に弱いしなぁ、弱った女の子を守りたいのは男の性なんだよ」。
そうして二人にベッタベタに甘やかされながらジンを出迎えたときには、滅茶苦茶怪訝な顔で見られたけど、代わりに説明してくれたおかげで事はスムーズに進むこととなる。
全員揃ったので、なるべく戦力の分散を控えつつマジムの元を一度訪れるということに決まり、ジンが先導する。彼の方が、今は神力が安定しているからだ。
「一応、どんな戦闘が繰り広げられているかわからないから結界を先に転送しておくよ」
結界魔法のスペシャリストが言う通り、向こうには不確定な危険が多くある。人の域を超えた者同士の争いからその他を守るには、現人神でも完全に防げるかがわからないが……ジンが適任なのは確かなのだ。
そして、転移。一瞬で切り替わる視界にすぐ慣れると、その場の異様な静けさに面食らう。私はここまで進入されていたことをしっかり覚えているので、わざわざ移動したことは理解に苦しむ。バウは私を追おうとしていたはずなのに……。
先に外へ出てしまった仲間の後を遅れて追えば、教会の周囲にあった村のような小さな木造建造物群はひとつとして傷付けられた形跡が無く、戦闘が行われたのがここではないのだとわかる。一応どちらも神の系譜……無用な人死を嫌ったのであろうか。
その時点で魔法が得意な者はそれぞれ一方向に向けて索敵魔法を発動させ、魔力の動きが激しい箇所を探す。私も誰も見ていない方向を探るが、僅かに小型の魔物と思われる反応があるだけだ。
先に見つけたのは、アルステラだった。彼は神力に人一倍敏感だったからこそ、勘に頼って魔力を向けた範囲に巨大な神力のぶつかり合いがあったのだ。
「ゴホッ……ッ」
一気に流れ込んだ神気に毒されたか彼は咳き込むが、直ちに声を上げる。
「こっちだ!セルカちゃん!!」
そこからは、速い。ジンの防御に頼りながら神の方向に突っ走るだけだ。道の中途に立ちはだかる魔物は道端の小石の如く、野生動物は木の葉のように散らし、幼い頃から培ってきた感覚を頼りにエルフの遊び場を駆け抜ける。
半刻の後に辿り着いた先は、地獄のようだった。或いは、神話の中か。
木々の木々の薙ぎ倒されるのは嵐のように苛烈で、飛び交う魔術は複雑な術式が延々と並ぶ叡智の結晶、双方の巨躯は面影を残してはいるが、現実のものとは思えなかった。広間に出たと思ったのは、総て森林が粉微塵にされているからだ。
しかし、互角ではない。一人は逃げ、一人は追い縋る……執念のようなものを感じる、追撃の嵐。
緑が、赤に喰らいつく…………。
「なっ、ぁ……え?」
私は素っ頓狂な声を出して立ち尽くした。いくら結界に包まれているとはいえ油断の過ぎる行動ではあったが、何よりも戸惑いが勝った。
マジムが逃げるバウを執拗に襲い続けて、泣いていた。バウは、無感情にそれを横目に見ていた。きっとマジムは、それが気に入らないのだ。辛そうな表情のひとつも見せないバウが気に入らないのだ。
当然の結果として、神と神の使徒・使い魔の間には力量の差が大きい。それを鑑みて不利と察したバウは直ぐに逃走を始めたようだ。でなければここまで遠くに来ることはできない。戸惑ったのは、なんで、こんなにマジムは追っているのか。
「マジム?」
反応がない。使い魔には主人の声が届くだろうに、反応がない。
「マジム!!」
叫ぶ。反応がない。
「マジムッ!!止まりなさいッッ!!!」
反応は、ない……!
ゾッとして、思い出した。バウの得意な魔法は何かを、鮮明に。隠蔽されていた別の魔法の可能性もあるが、真っ先に浮かんだのはソレだった。
「特殊魔法……魅了」
その効果は、ハッキリとは知らない。ただ、盾職が持っていることがままあるというのは知っていた。挑発や隙を見せるといった行為で魔物の注意を引きつけるのに重宝される技能と同様な効果があるのだとしたら……。
私の叫び、呟き。どちらも距離の近かった仲間には聞こえていたようで、まずトーマが「おかしい」と呟いた。
「逃げるしかないような相手を、わざわざ魅了するか……?そんな、自殺行為な」
そう、その通り。下手すれば一撃で屠られる可能性すらあるのに、そんな相手を激昂状態か魅了に堕として攻撃の方向を自身に絞るというのは、あまりにも自分を捨て過ぎている。仮にも女神フレイズの使い魔がしていい行為とは思えなかった。
目的は、何だ?
バウはこの思考の間にも逃げる。飛び跳ね、魔法で撹乱し、形態をヒトと獣で使い分けて攻撃を躱す。たまにこちらにも魔法を放ち、地面が凸凹と隆起する。
見ているうちにもバウとマジムの姿は小さくなっていく。
「私たちに、近づいてほしくない……?」
私は咄嗟にステータスを表示した。使い魔の表記が、ない。
「マジム!!」
私は周りに説明する余裕なんかなくて、絶叫と共に走り出した。バウの身体中に蛇のように長い術式が突如輝き、ソレが完成したことを悟る。何かはわからない。でも、防がなきゃいけない。
敵に向けて属性魔法をできる限りの速度で放つ。しかし彼は、マジムの攻撃は防いだりするのに、私の魔法には見向きもしなかった。そのまま届く。が、威力が足りない。術式が発動する。
巨大な魔法陣は争うマジムとバウを包みきれていなかったが、すぐにマジムがバウに噛み付いて二人は完全に陣の内に収まる。そして二人は…………夜を白く染上げる閃光に掻き消されたように、いなくなった。
茫然と立ち尽くし、残された破壊の限りを尽くしたような光景の中で一人として言葉を発することが出来ない。何を、言えばいい?