第117話「トリガー」★
……そんな気がしても、こんな時間に男子部屋に忍び込むような真似はできっこないので、私は薄く魔力を拡げるに留まる。そうするとベッドの辺りにバウの魔力は感じ取れるけど。
「もやっとしてる、というか」
通常、肉体という器に内包されている魔力は、余程その容器が小さかったり魔力が多過ぎたりしない限りははっきりと持ち主である生き物のかたちをとっている。
バウの魔力はかなり少なかったはずなので、進化当初の私やマジムのように魔力(神力)が溢れだしてしまうなんてことはないと思うのだが、室内のバウの魔力はなんだかもやっとしていて輪郭が不安定に感じられた。
用を足して女子部屋に戻る際にももう一度確認したが、やはりぼやけたような感じ。昨日の今日で大きな違和感を感じる事象が起きたのは、どうしても不安に繋がる。
ここにいないとして、何処で何をしているのか……そう考えるとぶるりと背筋を冷気が這い上がる感覚に襲われて、思わずかぶりを振る。いや、きっと、魔力が極端に少ないために器が満たされていないだけだろう。
半ば強引に自分を納得させると、私は早歩きでベッドに向かう。夢かもしれないし、もう一度眠ろう。
翌晩、私は再びマジムとトーマ、アルステラとともにひとつのテーブルセットに集っていた。当然のようにマジムの結界魔法で盗聴などを防いでから、私は昨日のことを不確定な証言として提示した。
寝惚けていたり魔力の低さが原因である可能性があるぶん、バウが黒であることの確たる証拠にはなり得ないと最初に説明する。それでもアルステラは確信めいたものを感じているのか、笑みを深めるばかりであった。
「へぇ、真夜中にねえ」
だから私は、今夜も夜中にバウが動くかどうかを確かめてみたいのだと提案する。
これには同室であるトーマが「俺が」と腰を浮かせて言うが、仮にバウが黒だった場合は完全に皆が寝静まらないと行動にうつすことはしないだろうと伝えると表情が歪む。
「私も一旦は眠るけど、バウに異変が見られ次第マジムに起こしてもらう。アルステラはずっと私の影にいれば気付けるだろうし、どうにかしてトーマのことも起こすから」
昨晩の変化に、私に注意を向けていたマジムは気付けなかった。本当なら、私と同じ建物内で誰かがおかしな動きを見せればすぐにわかるはずなのに、それがなかったということは今日も後手にまわる可能性の方が高いけれど……朝からずっと考えて考えて、最終的にこれが最善だと判断した。
恐怖は、ある。
「もし彼が敵側なら、私たちが知っている実力が全てであるはずはないけど、今の時点で封印を解いたバウにタイマンで勝てるのは、およそここにいるメンバーだけだと思ってる」
私がそう言えばトーマが一瞬反論しかけるが、思い直したのか口を噤む。
半獣した身体能力から発揮される見慣れない移動速度に、後衛職だけでなく前衛も翻弄されるだろう。ステータス上は私の方がバウより高いが、それでも不安だってくらいなのだ。
「あれより強いなら、私も太刀打ちできるかわからない。気を引き締めていこう」
すぐに戦闘になったりということは避けたいけれど……もしもがある。
そして、真夜中。
彼が慣れた動きでベッドをおりたという報告と共に起こされて、常習犯だったことを悟る。これで毎晩の自主訓練とかなら、土下座で疑ったことを詫びねばならん。
私ははじめは部屋から出ずに気配を追うが、ずんずん歩き迷いなくどこかへ向かうバウがそこまで周囲を気にしていない風なので、気配遮断を意識しながらまず男子部屋の前でトーマが出てくるのを待つ。
合流すると、互いに隠密系の技能を確認しながら足音吐息を殺し進む。途中でバウの気配が掻き消えたので急いでその場へ向かうが、見覚えのある道順に冷や汗が浮かぶ。
たどり着いた先は、転移門のある一室だった。
「どこに行ったかわかんないじゃん……」
ほぼ、黒。そう思いながらも口には出さず、代わりにため息。
こうなってしまえば、分かれて手当たり次第に探すしかない……そう思い至った私は、他の者の眠りを妨げないように細心の注意を払いながらジンを呼びに行った。勿論、転移門にはアルステラとトーマ、マジムを監視として残して。
そっと起こされたジンは私を見るなり「夜這いか」などと慌て始めたのでひと殴りして事の顛末を端的に告げると、彼は自身の頬を叩き意識を覚醒させてついてきた。
戻れば、まだバウは帰還していないようだ。では、彼の用事が終わってしまう前に確固たる証拠・現場を押さえなければならない。
ジンは自身の神力を込めたという大きな魔石……神石をトーマに手渡すと「これしかないから、トーマとアルステラは二人で使って」と言うなり転移していった。どうやらこれがあれば神力保有者でなくとも魔道具を使用できるとのことだ。
私は一応神力の使い方を雑に説明すると二人に小さく手を振って転移門に足を踏み入れた。
ない、ないないない。転移と広範囲探索魔法を交互に繰り返してバウの気配や痕跡を探し始めたが、何せ世界一の宗教の教会はどんな田舎でもあるだけあるらしく、転移先が無数に表示される。
この中から一人、というか一箇所を探し当てるなんて、たった四組でできることだろうか。いや、しなくちゃならないんだ!
いつバレるともわからない追跡作業なんだ、一度目で終わらせなきゃ、後手後手になって取り返しのつかないことになる前に。
その後も必死に繰り返せば、半刻もしないうちに私は気持ちの悪い魔力反応を読み取った。
「う、ぇ」
魔力ではない、神力の気が濃くて、どろどろしてて、まとわりつく恐怖と嫌悪感。それに半ば塗りつぶされるようにして存在する、バウの魔力。それは確実に、私の知っているものよりも多い。
私は生唾を飲み込んでから、それらの発生元に忍び寄った。どうやら森の中のようで、私にとっては遊び場のようなもの。不自然な音を立てることなく木々のざわめきに紛れて歩くうちに、ある程度開けた場所へたどり着く。
そして、そこにある二つの人影を目にして茂みに身を潜めた。
「つまり、アルフレッドは完全に寝返ったね」
慣れ親しんだ師匠の声が、不穏な色を帯びていた。その対面に直立している者は、怖気立つような神々しさと存在の特別性を感じさせ、まともに見ることすら出来ない。
バウはまるで独り言のように、相槌を一切打たない相手に淡々と語りかけ、こちらの事情をつらつらと述べる。躊躇いはなく、月光に照らされる艶やかな茶髪は揺れない。
「やつのおかげで、今になって疑いの目を向けられているね」
狼の部分に生えた毛が、僅かに逆立つ。不機嫌そうに、尾がうねる。彼の神気が煮え滾る湯のように、不規則に蠢いた。喋り方の癖や見目が変わらずにあるのに、それは別人に見えた。
そのまましばらく耳をそばだてて聞いていると、漸く報告を終えたバウが相手に一礼するさまが見え、強烈な存在感を放っていた者は蜃気楼のように揺らぎ溶けるように消えていった。
この時、圧倒的な力を内包した者が消えたことで精神への負荷が極端に減少した私は、微かに呼気を洩らした。
その自然に紛れきらなかった違和に、気付かない猛者があろうか。
「……誰?」
剣呑な色を孕んだ瞳が、こちらを貫く。まだバレてない……しかし、もうバレる。
険しい表情でこちらに歩み寄っていたバウは、すぐに盗み聞きの犯人の正体にたどり着いたようで、その目がすうと細められていく。見えていないはずなのに見られている錯覚に陥るほどに、その眼はおそろしかった。
「寝ていれば、良かったのにね」
ほんの少しだけその声には師匠としての感情が含まれていたが、しかし、それが使い魔としての信心に勝るかといえば、そんなわけもなく。
空気に耐えかねた私は駆け出して、彼はその後をゆっくり歩いて追ってくる。教会のあった村落にたどり着くや否や、私は急迫した背後の気配に思わず身体強化をかけて加速した。
「ッチ」
真後ろで何かが横薙ぎに通り抜けるが、無視。教会に飛び込むとすぐに転移門に駆け込んで、教会本部を指定して転移する……はずが、その前に支部教会内は赤い神力と魔力の混ざったものに満たされて私の力は押し止められてしまう。
「……手を出すなとは言われたね」
バウはそう言うと、こちらに手を伸ばしてくる。白くほっそりとした、一見すると筋肉もないように見える長い指。何らかの魔法をかける準備をしているのか、指先には彼の魔力が込められていた。
手を出すなとは言われた……それなら、精神干渉系の魔法だろうか。そこまで考えても、奥底から沸き起こる恐怖心に呑まれて身体が動かない。
「ば、う」
引き絞られた喉から、掠れた音が零れた。
師匠、なんで。
今話に挿入予定だった挿絵が間に合わなかったので、連休中に挿絵を追加します。
追記:挿絵を追加しました(9/22 14:58)