第115話「悪魔は笑った」
「お、おぉぉ」
珍しく完全に実体化したアルステラが、目の前に広げられた実家でも滅多に食すことのないであろう高級食材や希少なものの山を見て、予告されていたとはいえ想像できなかったのか声を上げる。
総額いくらなのかは計算していないけれど、溜め込んでいた調味料や迷宮産の栄養価の高そうなものたちは……特にこの前に発見されたばかりの水中遊路なんかで手に入る特殊なものは高価だろうと予想される。
あとは味を何百年と生きている彼に褒めてもらえたら、満点なのではなかろうか。
おねえさんは美食家なのかほとんどの食材は見抜かれたり逆に思い出を語られたりしたが、水中遊路産のものが出てきた瞬間余裕だった態度は一変し、食べさせて欲しいと懇願してきた。
でも一度場をぐちゃぐちゃに乱した彼女をそのまま無罪放免にするのは何となく嫌だったため、水中遊路食材のみを禁止させてもらった。
そのためアルステラの後ろにはジンの結界とリリアの鉱石で二重に拘束されたおねえさんが立っていて、どうにか誰かに色仕掛けをして助けを乞うているが、皆彼女の色気よりマジムの不機嫌さが気になって仕方がないようだ。
「マジム、あんまり怖い顔してないで。アルステラに美味しく食べてもらいたいから、なんかこう、もっと……」
私の隣に椅子を用意して座っているマジムの頬をつんつんと触れば、彼は最後におねえさんへ視線を向けてから困ったような笑顔で「わかりましたよ」と笑った。
バウの食欲もなかなか抑えられなくなってきたようだし状態保存の効果が残っているのは今だけだ。早いうちに、まずはアルステラに食べてもらわないと!
「じゃ、冷めないうちにどうぞ!」
「あぁ、ええ。今日も、我々に生きる糧を与えてくださったことに感謝します……」
神に手を合わせるアルステラを見て、悪魔なのになぁと思いながらも彼の性格を考えると、そういうものかと思えてくる。
さて、彼の様子を見てみると……アルステラはまず前菜的な立ち位置にあるスライム肉の水晶鶏風に柑橘の酸味のあるソース、それをよく絡ませた生野菜をあわせた皿から手をつけるようだ。
取り分けた後に直ぐに食べようとするので、考えごとが長引いていたら危うく反応を見逃すところだった。トーマも作った料理への評価は気になるようで、視線だけでなく意識もアルステラの口元に向かっているように思える。
アルステラは控え目なひとくちをじっくりと咀嚼して飲み込むと、言葉を挟むことなく……口に入るギリギリなのではないかというくらいの量を一気に頬張った。
感想を待ち構えていたトーマは聞くタイミングを逃したと感じたのか、一瞬体が動いたもののそれ以上はしない。美味しそうに料理を貪っている悪魔の表情には、邪魔してはならないと思わされる。
彫りが深く大人びた印象の強い人物が頬袋をはちきれんばかりに膨らませているさまを見た私は、普段なら笑ったかもしれないけれど、今まで見なかった食事風景だということも相まって……めちゃくちゃ嬉しい。
アルステラはいつも半実体化しているから口からものを入れてもそのまま床に落ちていくらしいし、悪魔のアドバンテージがほぼ無くなる実体化はめったにしない。久々の食事でこんな表情が見られるなら、食べることは好きなはずなのに。
そのまま次々と取り分けては食べ、飲み物で一度リセットしてから再度つぎ足し食事を続けていた彼をみんなで見ていたが、流石に気恥ずかしくなってきたのかアルステラはそろそろと手を止めた。
「セルカちゃんたちも、みんなで食べたほうがもっと嬉しいよぉ」
頬をかいて笑ったのは、照れ隠し。これくらいはわかる。
その一声を今か今かと待ち構えていたバウは即座に先割れスプーンと取り皿を装備してテーブルに接近、リリアが歓声を上げると他の仲間も料理に手を伸ばし始めた。
ついでにおねえさんも解放してあげて、一応迷宮食材だけは食べられないように監視しながら……私も食べることとしよう。
「「いただきます」」
ジンと声を揃えると、その後にもう一度主神フレイズ様へのお祈りをして、食べ始める。味見はしているから予想も何も無いけれど、とにかく美味しい!!!自画自賛にもなるけど、私のよりもトーマが調理したもののほうがやっぱり完成された味というか、執事教育で仕込まれた程度の料理スキルとは思えない。
おいしいよ、と思ったことをそのままに口にすれば、彼のドヤ顔が待っていた。
「……楽しそうだな。なんて」
羨ましいことだ、という言葉は呑み込まれた。暗鬱とした暗闇に光り輝き浮かびあがるその姿は、邪悪というには清らかすぎて、神聖だと思うには不気味過ぎた。
かれはまっしろで、まっしろで、雪のような肌に髪、唯一生物らしさをもつのは僅かに灰に濁った瞳に生気が宿っているというだけ。
使い魔にも離反されても、その原因となった女に理を破ろうとした魂を押し付けても、その他に何をしたって、かれが、二つの世界の全てを見下す者が感じている孤独は薄れることはない。
ずっと、ずっとここから見下ろすだけだった。輪廻の輪に還ることのできないただひとりは、世界と共に生まれてからずっとひとりだった。
永い時を生きるエルフも、悪魔もいずれは体感できる死を、かれだけは得る権利がない。だから地上を観察しては爪を噛んでいた。隣にいたマジムもいつか魂に還るとわかっていて、呑気に過ごしているさまを眺めて裏で髪を掻きむしっていた。
そんなかれの最近の趣味は雪音を見ることだった。何を思ってか、笑顔で。
「楽しそう、楽しそう、楽しそう」
笑ってサンドイッチにかぶりつき、後ろでマジム、横には死に損ないの赤鬼が何かの肉を食らっている。何よりも尊いという生を、笑顔で過ごしている。
「ミコトはエルフの寿命も短い短いと生に執着していたというのに、ユキネは楽しそうだ」
あのふたりよりもかわいそうなのに、あのふたりよりしあわせそうだ。