■1.カラス
「私と一緒に部活動しない?」
彼女と初めて話したのは、中学に入学して一ヶ月が経とうという時だった。
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黒のクラブ 作・阿刀田阿子
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■1.カラス
壇上で担任の教師が話している。
「まだ部活動を決めていないものは、今週中に届出を出すように」
まもなく5月になろうというのに、私、橋部 戸々里は
クラスの中で唯一、まだクラブ活動先を決められないでいた。
別段、趣味が無いというワケではない。
小学校の頃は書道部に入っていて、コンクールで賞をとったこともあったし、
同じ部活に入ろうと誘ってくる、小学校からの友達もいる、
もちろん、中学に入って出来た友達からも、勧誘された。
だけれども、私の心は灰色だった。
ついこの間まで、私も、私の友達も、みんな
真っ赤なランドセルを背負い、母の買ってくれたカラフルな洋服を着て通学していた。
だけども、ほんの少しの時間、そう。
たかだか卒業式などというものを経て、少し時間が過ぎただけであるのに、
みな、まるでカラスのように真っ黒な制服を纏い、黒い鞄を下げ登校し
真っ黒な頭を同じ方向に向けて授業を受け、
はい、私は中学生です。小学生ではありません。と言わんばかりの顔をしている。
私には、それがいまだに飲み込めずにいたのだ。
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「え?」
昼休み、友達とお弁当を食べて、少しおしゃべり。
そのあと次の授業に備えて、自分の机で教科書を準備していたときだった。
長い黒髪...黒い真珠のような瞳が、
まっすぐこちらを見つめている。
彼女、欧紗路 玖玲菜とは、
その日初めて話したが彼女のことは知っていた。
同じクラスで、後ろの方の席、
休み時間には、友達とよくおしゃべりをしていて、
どことなく上品さを感じる声だけど、よく笑う。
彼女は陸上部で、
いつも放課後、教室の窓から校庭を見下ろすと
長い髪を後ろで縛った彼女が、真剣なまなざしで走っている姿が見えた。
「ごめんなさい、私、陸上には興味が無くて」
私がそういうと、彼女は少し微笑んで
「…ねえ橋部さん、放課後中庭に来てくれない?」
「いいけど…」
「じゃあ、あとでね」
チャイム。みな各自席に戻り、午後からの授業が始まった。
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放課後…中庭のニレの木の下。
私は、ふと、昼間、彼女と話しているときの匂いを思いだした。
化粧品やシャンプーとは違う、どこか甘くて優しい…
校舎の窓から見下ろすだけだった彼女…走り終わって満足そうに荒い息を吐いていた。
きっとこの距離は卒業まで変わらないんだろう。いつも、そんなことを考えていた。
「ごめんなさい、ちょっと遅れちゃったね」
彼女は小走りでやってきた。
今日は暖かいためか、少しだけ首元に汗をかいている。
「で、部活なんだけどさ」
「あの、やっぱり私、陸上には興味なくて、ごめんなさい」
彼女の黒い瞳はまっすぐこちらを見つめていた。
「あなただけだよ、うちのクラスで部活決めてないの。どうして?友達だっているのに」
責めるような口調ではなかった。
私に興味があって聞いてくれているのだというのが伝わってくる。胸の鼓動が少し早くなる。
「たしかに、この学校は、どの生徒もかならず部活動に入部しなくてはいけないけれど…」
「だけど興味が無いなら、文化部に入って、一度も出席せず実質帰宅部な人だって沢山いる」
少し風が吹いて、私と彼女の髪が揺れた。
私は答えた。
「授業は受けるし、友達とも遊ぶ。だけど私の心はここには無いの」
「学校に、私の心を置きたくない…
通わない部活に形だけ入部するというゴマカシで、心を汚したくない」
休み時間によく聴いた笑い声。
奇妙なことを言う私を馬鹿にしているのかもしれない、だけどその声は心地よく響いた。
一呼吸置いて、彼女は話し出した。
「あなたに入って欲しい部活って言うのは、陸上部のことじゃなくて」
「私、新しい部を作ろうと思うの。でも新しい部の申請には、私を含めた3人の部員が必要」
話が見えてきた。要するに、どの部活にも入っていない私を人数あわせに使いたいというのだろう。
とたんに彼女への興味が失せた気がした。
「でね、新しい部活動っていうのが、”さんぽ部”って言ってね」
「放課後、部員集まって、学校の周りを散歩して、いろいろなものを見つけたり、町の変化を探したり…」
「今は何でもネットで見つけられる時代でしょ。だからこそ、そうして自分の足で歩くことによってね…」
そうですか。
「悪いけど、興味ないな…じゃあね」
「まって橋部さん。違うの」
斜めから挿す夕日、ニレの木の深い影が私たちを包んだ。
「さんぽ部っていうのは、嘘なの」
◆つづく