008「魂の脱け殻」
正月休み後半の日曜日、私は「みほの」に教えられた住所を訪ねて今にも泣き出しそうな曇天の街を徘徊していた。 その家は私の実家から二つ程離れた駅の住宅街の端に在る小さなアパートの一室で、表札には確かに「海老名」と書かれている。 此処は私が通っていた中学とは学区が違うから恐らく彼女が同窓生だというのは有り得なくて、それだけで私を萎縮させるには十分だった。 実際アパートの近くまで来て部屋の場所を確認した後、一度その場から離れて道端の電信柱の陰でスマホを弄っている振りをして既に20分近くが経っている。
何て言えば良い? どんな関係だと言えば良い? 何の用だと言えば良い? もしも本人が普通に暮らしていたら? もしも本人が植物人間状態だったとしたら? どっちにしたって私の様な人間の訪問が歓迎される訳が無い。 頭のオカシイ変質者の類だと思われるに決まっている。 それでも、
私は、意を決して玄関のブザーを鳴らす。
男:「はい、」……中から若い男の声がした、
宏治:「海老名みほのさんのお宅は此方で間違い有りませんでしょうか?」
男:「どちら様ですか?」
宏治:「中学の合同同窓会の幹事をしている「町田」と言います。 実は、同窓会幹事を手伝ってもらえないかと思って伺ったのですが、」……これが私の精一杯のアイデアだった、
男:「今一寸身体を壊していて無理だと思います、他を当たってもらえませんか?」……信じた? つまり此処に「みほの」が居る事はどうやら確からしい。
宏治:「あの、良ければ挨拶だけでもさせてもらえませんか? チラシも渡したいので、」
男:「だから今は無理です、同窓会の参加も無理なんで手伝いも無理です、お引き取り下さい。」……そして恐らく「みほの」は人と会えるような状態には無いらしい、
宏治:「何時なら会えますか?」
男:「しつこいですね、人の迷惑を考えないんですか? 帰れと言ってるんです。」……次第に語気が荒くなる、
一寸身体を壊している位じゃこんな風にはならないだろう、絶対に会わせられない理由があるに違いなかった、そしてこの機会を逃したら二度と確認する事は出来ない様に思われる。 私は思い切って切り札を切り出してみる。
宏治:「失礼ですが、もしかして「みほのさん」、何日も眠った侭、目が覚めないんじゃないんですか?」
返事が無い、……戯けた寝言と無視されたのだろうか?
宏治:「実はその事についてご家族の方と話がしたいのですが。聞いてもらえませんか?」
返事が無い、
宏治:「すみません、大事な事なんです、」
男:「いい加減にしろ! どこでそんな事を聞いて来たのか知らないが、お前なんかと一切話をするつもりは無い、今直ぐに消えろ、でなきゃ警察を呼ぶぞ、」……つまり、現実の「みほの」が眠ったまま目覚めない状態である事は略確実だった、後は彼女の思いを何とかして家族に伝えられればそれで良い、
宏治:「おかしな事を言うと思うかもしれませんが、私は夢の中で「みほのさん」と会ってるんです、」
男:「ふざけるにも程が有る、今警察に電話してるからな、そこで待ってろ!」
宏治「「みほのさん」からこれが本当の事だって証拠も教えてもらっている、小学校の頃に弟と二人で家の近くの神社におねしょが治る御護りを埋めたって、弟さんに確かめてもらえませんか?」
男:「……、」
宏治:「一つだけお願いです、彼女はまだ諦めていない、生き返ろうと頑張ってる、だからどうか彼女を見捨てないで欲しい、」
男:「……、」……男は完全に無視を決め込んでいるらしい、これが限界だろうか? 私は少しでも彼女の思いを伝える事が出来ただろうか?
諦めて引き上げようとしたその瞬間、ドアが開いて中からひょろっと背が高くて神経質そうな若い男が顔を覗かせた、
宏治:「あ、えっと、」……男はじっと私の事を睨みつけて、
男:「入れ、」……蚊の鳴く様な声で囁いた、
宏治:「お邪魔、します、」……築何年くらいの家だろう? 壁も床も彼方此方かなり径時劣化している様だったが、中は結構きちんと片付けられて、掃除も隅々迄行き届いているようだった。
男:「もしも人の不幸に付け込む詐欺かなんかだったら、無事には帰さないぞ、」……男の手には大きなプライヤーが握られている、一体あれで何をするつもりなんだ?
通されたリビングダイニングキッチンの隅には畳まれた布団が一組、部屋の奥の閉じられた襖の向こう側にもう一つ部屋が有りそうだ、
男:「で、アンタは何者なんだ、」……男は私から目を逸らしたまま、ぶっきらぼうに尋ねる、
宏治:「町田宏治と言います、会社員です、」
私はこれ迄の「明晰夢」の顛末を男に話して聞かせた、
宏治:「それで今、みほのさんは?」
男:「隣の部屋で眠っている、何時迄も病院に入れて置けるわけが無いだろう、」……あの襖の向こうに現実の「みほの」が居る、私は思わず、
宏治:「会っても、良いですか?」
男:「良い訳あるか!俺はまだアンタの事を信用した訳じゃない、アンタの言ってる事はインチキ霊能力者達と何も変わらない、それとも今直ぐにアイツを此処に連れ戻して来れるのか?」……もしかしてこれ迄にそういう類の連中から被害を受けてきたという事か、だとすれば男の懐疑的な物言いも判らないではない、
宏治:「今は、どうすれば彼女を元に戻せるのかは判りません、でも何か方法を探します、」
男:「アンタの目的は何なんだ、こんな他人の家の問題に首を突っ込んでどうしようって言うんだ? 言っておくが金はびた一文払えないぞ、」……男は私の事を怯えた眼差しで睨み付ける、
宏治:「お金を取ろうとかそんな事は思ってません、私は唯、力になりたいだけです、彼女を少しでも安心させてあげたい、まだ自分の身体がこの世に残っていて、家族が帰りを待っている事を伝えてあげたい、」
男:「胡散臭い、俺は善人面して他人を見下す様な奴が一番嫌いなんだ、」
宏治:「私は「夢」の中で彼女に助けて貰ったんです、そのお返しがしたい、」……これは嘘ではない、「みほの」の存在がどれほど私を慰めてくれたかのかは計り知れないのだ。 それてもまさか好意を寄せている等と言う事は口が裂けても言える訳が無かった、
男:「それで、どうやってあいつと話してるって?」……男は半信半疑の侭、それでも話を続けてくれた、
宏治:「「明晰夢」を見ると、その夢の中で「みほのさん」と会って話する事が出来るんです。」
男:「何なんだよ「めいせきむ」って、夢の中で話が出来るとかありえないだろう、」
宏治:「夢の中で彼女が言っていた「御守り」の事を弟さんに聞けば、嘘を言ってるかどうか確かめられると思います。」
男:「俺が、その当人の弟だよ、」
宏治:「え、」……どう見ても小学生、中学生には見えない、背丈だって私より高く、無精髭もかなり濃い、恐らく20歳は越えているに違いない、という事は、
弟:「「御守り」の事は本当だ、あの事は姉と俺しか知らない筈だ、だから混乱してる、」
宏治:「失礼ですが、御幾つなんですか?」……いや、私も混乱している、
弟:「何でそんな事を聞く?」
宏治:「夢の中の「みほの」さんは、自分のことを中学生だって言ってたんです、」……そして再び弟の表情が強張った、
弟:「それは多分、あいつが眠りに付いたのが、中学3年の頃だったからじゃないのか、」
宏治:「それってつまり、みほのさんは一体どの位眠ったままなんですか?」
弟:「15年だ、」
弟:「あいつが眠り病にかかって目が覚めなくなってからもう直ぐ15年になる、その間に出来る限りの事はやった、いろんな先生にも診てもらった、でも何をやっても無駄だったんだ。 俺達家族は全部を引き換えにしてこれまであいつを生かし続けてきた、でもはっきり言ってもう限界なんだ、母親は2年前から身体を壊して入退院を繰り返している、だからあいつの30歳の誕生日で、あいつが普通に生きていたのと同じ年月が過ぎた所で、区切りをつけようって決めてたんだ。」……区切りをつけるって、つまりどう言う事だ?
宏治:「誕生日って何時なんですか?」
弟:「2月3日だ、」……もう、一ヶ月を切っている、
弟:「だから今更、姉の魂が生き返りたいと言ってるとか言われても、はっきり言って困るんだ、一体何時まで待てばいいんだ? 本当に目が覚めるのか? 目が覚める事が本当に良い事なのか? 金はどうするんだ? もっと確かな証拠が無けりゃ信じられない。」
その時、奥の部屋の襖が開いて、
宏治:「……!」……中から初老の女性が姿を現した。 恐らく「みほの」の母親かと思われる。
母親:「会ってやってください、」……その姿は真っ白に萎れて、今にも倒れてしまいそうな位弱々しい
弟:「かあさん、」
母親:「お友達が尋ねてくれるなんて、随分久しぶりですよ、」
低い医療用のベッドには点滴と排尿用のカテーテルに繋がれて、まるでミイラの様に痩せて今にも枯れてしまいそうな女性が眠っていた。 私は「みほの」の現実を目の当たりにして、暫く息が出来なくなってしまう、
母親:「「美穂野」は、貴方の夢の中でこの子は、幸せそうでしたか?」
宏治:「彼女は、お母さんに心配を掛けている事を悔やんでました。 一刻も早く現実の世界に戻って来たいって苦しんでました。 彼女はまだ諦めていません、でも、自分が15年も眠り続けた侭だって事は知らない。 彼女は自分を未だ中学生の子供の侭だと思っています。」
母親:「そうですか、」……母親はほっと溜息を吐きながら感慨に耽る様に目を閉じる、
宏治:「私には、家族の苦しみは判らない、だから、彼女が戻ってくれるまで延命して欲しいとは、頼めない、けど、」
宏治:「何とかしてもう一度、家族と彼女が思いを通じ合わせる事は出来ないでしょうか、私に出来る事なら何でもします。」
弟:「今更思いを伝えてどうする、もう直ぐ延命装置のスイッチを切るから最後に言い残すことがあったら教えてくれ、とでも伝えるのか?」
弟:「それとも、そんなに延命させたいなら、あんたが費用を負担してくれたって良いんだぜ、」
母親:「夢で、この子に会ったと言いましたか、」
宏治:「はい、」
母親:「貴方は霊能力者の方なんですか?」
宏治:「いえ、全然そんなのじゃなくて、唯の普通の人間です、むしろ平均以下の、」
母親:「もしかしてこの機械が関係しているのでしょうか?」……母親は、彼女の耳に差し込まれたイヤフォンのコードから繋がる黒くて四角い小さな箱を手にとって見せる、その箱からはインターネットのLANケーブルが延びていて、しきりに通信状態を示すLEDが点滅を繰り返していた、
宏治:「それは何なんですか?」
母親:「大学の先生が延命費用の一部を負担する代わりに研究に協力して欲しいと言って、この子に付けて行った機械です。 この子はずっと眠ったまま目覚めないのだけれど、脳波を調べたら時々夢を見ているかもしれないって判って、この子が見ている夢に働きかけて脳波を調べる機械だとか言ってました、詳しい事は判らないのだけれど、」……黒い箱に張られたシールには、聞いた事の無い大学の名前が書かれてあった、
宏治:「お母さん、私はどうすれば良いんでしょうか?」
母親:「貴方の夢ですから貴方の思うようにして下さい。 もしも私達を哀れだと思うなら、もう暫くの間あの子が寂しい思いをしないで居られる様に傍に居て慰めてやってもらえないでしょうか。」