005「魂の証明」
磨硝子越しに差し込む柔らかな午後の日差しがキラキラとブラウン運動する埃を浮かび上がらせている。 私はまるで物置と化した黴臭い実家の自分の部屋を小一時間引っ掻き回して、押入れの奥から懐かしい中学の卒業アルバムを引っ張り出した。
「海老名みほの」その名前には心当たりが有った。 彼女は現実世界の中学の時の同級生で、少し変わり者で、何方かと言えば無愛想で、ありふれた容姿の女子だった。 それがどうして理想の美少女の姿で登場したのかと言えば、それは恐らく彼女が唯一僕と口を利いてくれた女の子だったからかも知れない。
母親:「あんた滅多に帰ってこないんだから、お墓参り行ってらっしゃい、」……ノックもなしに母親が部屋に入って来てまるで小言の様に鼻息を荒くする、これだから実家に帰るのは気が進まなかったんだ、
親父と二人、線香と花を持って鴨宮の小さな寺にある町田家の墓にお参りする。
共同のバケツに井戸水を汲んで、亀の子タワシで墓石を掃除して、新しい花に取り替えて、束にした線香にライターで火をつける、メラメラ燃え上がった炎をパタパタ手で仰いで消して、線香立てに差して、入りきらないのは数本ずつ両隣の墓にもお裾分けして、何を願うでもなくフラットに手を合わせる、
宏治:「死んだ人間ってどうなるのかな、」
父親:「さあな、日頃の行いが良ければ天国にいけるんじゃないのか?神様は何時でも見てるって事だ、」
健康診断のレポートには「至急再検査が必要」と朱書きされていた、尿に血が混ざっていたらしい、もしかすると重大な病気かもしれない。 先日来 私は「海老名みほの」の言葉をどう捉えるべきなのか悩み続けていた。 あれは私の夢なのだから夢の中の登場人物が言った台詞は私自身の心の呟きと考える事も出来る。 もしかして私は知らない内に重大な病気に蝕まれていて、もしかするとそれは命に関わる事なのかも知れない。 もしかしてそんな深刻な状況を私の身体が夢を使って私に伝えようとしたのだろうか? 或いは百歩、一万歩譲って、本当にあれが幽体離脱した魂の集まる街だったとして、そんな処に迷い込んだと言うのは私が実は死にかけていて眠るたびにヒョイヒョイ魂が身体から抜け出てしまっているからなのだろうか? どっちにしても気持ちの良い話では無いし当然それから先を想像するのはもっと怖い。 だからと言って病院に行って行き成りの余命宣告を受け止めるだけの勇気も無い。 今の処これといった自覚症状はないし、夢とか魂の訴えを真に受けるのも変な話だし、それに健康診断のレポートは何時だって大袈裟なんだ、再検査に行くとしてももう少し心の準備が出来てからでもいい筈だろう、
久しぶりに母親が作る夕食を食べて、片付いた部屋で年末恒例のTVのバラエティ番組で「秦野萌」のお色気ハプニング映像を見て、狭い湯船の風呂に浸かって、急遽近くの衣料品店で買ってきたパジャマに着替えて、それから乾燥機で膨らませた暖かな布団に入る。 懐かしい天井を眺めながら、寝る場所が変わっても「明晰夢」を見るのだろうかとぼんやり考える。 夢の中の「海老名みほの」は「二度と此処にきては駄目」だと言っていたのだが、
気がついたら私は「明晰夢」の中に居た。
最近は特に何もしなくても「明晰夢」を見てしまう。 癖になってしまったのかも知れない、それとも本当に死にかけているのだろうか?
辺りの様子を伺うとどうやら此処は丘の上にある教会の前の広場らしい。 僕は何の気なしに教会の中へと足を踏み入れて、ヒンヤリとした神聖な湿度が木漏れ日のように降り注ぐステンドグラスを見上げて、一つ深く溜息を吐く、
不意に、真っ黒な子猫が僕の足元に纏わりついてきた、
みほの:「なんだか元気無いなあ、」……振り返ると其処には「海老名みほの」が立っていた。 どうやら彼女は教会の鐘楼から降りてきた処らしい。 薄暗い教会の中にあって尚、赤銅色の彼女の髪は自ら輝きを灯す様に煌いて見える。 改めて見ると結構背が低くて可愛らしい女の子なんだ、
宏治:「やあ、上には登れたの?」……僕は彼女の美しさに魅了されているの事を気取られたく無くて、すっと足下の猫へと目を逸らす、
みほの:「やっぱり駄目だったよ、階段の途中に鉄格子が嵌っていて登れなくなってた、」
宏治:「そう、それは残念、」……こんな美しい少女とまるで当たり前のように話している自分の事が白々しくて、矢張り夢の出来事だとしか思えない。
みほの:「君、もう来ちゃ駄目だって言ったのに、どうして来ちゃったの?」……彼女はまるで粗相した小さな弟を見るみたいにワザと眉をしかめてみせた、
宏治:「うーん、夢を見ると自動的に来ちゃうみたいなんだ、」……きっとどんな理屈があったとしても、心はこの子を追い求めずにはいられないのだろう、
みほの:「そう、困ったね、」……困った物だ、
宏治:「本当にこれは僕の夢じゃないの?」……僕は教会の木の机の感触を指で確かめながらぼそりと呟いてみる、
みほの:「少なくとも僕は自分が君の頭の中の作り事だなんて考えた事は無いよ、誰がなんと言ったって僕は僕だよ、」
宏治:「そうは言っても僕には、夢の中の君がそう言ってるようにしか思えないんだけどな。 大体、魂なんてものが本当に存在するのかな?」
みほの:「勿論有るわよ、……取り返しのつかない過ちが清算されなくて、全ての喜びを引き換えにした犠牲が報われないのだとしたら、人生の導き手である魂に何の価値があるというの? 神様はそんな必要のないものを造ったりしないわよ、」……何だか急に彼女は憤慨したかの様に鼻息を荒くする、
宏治:「僕には難しくてよくわからないな、」……そしてきっとそんなものは僕の手に負えないに決まってる、
僕達は教会を後にして、街の此処其処で猫達が気持ち良さそうに昼寝しているのを眺めながら、ふらふらと城壁沿いの田舎道を散歩する、
宏治:「もしも君のいう事が正しいとして、此処が死に掛けた人達の魂が集まる場所だとして、君はどうして此処に来たの? もしかして君は、」……僕は其処迄言って言葉を詰まらせて、
みほの:「いきなり不躾な質問だなぁ、」……彼女は振り返って後ろ歩きしながら僕の事を睨みつける、
宏治:「ごめん、現実の僕は女の子と付き合った事なんか一度も無い只の草臥れた30歳の中年男なんだよ、」
みほの:「へえ、そうなの?」……彼女はちょっと驚いた様子で、それから少し黙り込んでから、
みほの:「僕は、ずっと死んだ人の魂が何処へ行くのか知りたかったんだ、」……ゆっくりと告白する、
みほの:「どうしても、もう一度会いたい人が居たから、」
宏治:「それって、」
みほの:「うん、もう何年か前に僕が小学生の頃に死んだ僕のお父さん、彼に会う為に色々研究して、試行錯誤して、ある日とうとう肉体から魂を切り離す方法を見つけたの、」
みほの:「最初は今の君と同じように、幽体離脱したり、肉体に戻ったりを繰り返していたわ、それである時この街に辿り着いて、何日か経った時に、どうしてだか肉体に戻れなくなっちゃった、」
宏治:「戻れなくなった?って、現実の肉体はどうなったんだ?」
みほの:「判らない、此処と現実世界の時間の流れ方が判らないから、今自分の肉体がどんな状態なのかもわからない、もしかしたら疾っくに死んでしまっているのかもね、だから戻れなくなったのかも知れない、」
宏治:「そんな、」
宏治:「そう言えば君の名前は「海老名みほの」と言うんだろう、実は僕の中学の時の同級生にも「海老名みほの」が居るのだけれど、君と何か関係有るのかな?」
みほの:「君の中学時代って今から15年前? 残念だけど僕はまだ生まれてないよ、だって僕は今中学生だもの、」……中学生? 子供??
みほの:「そうだ、僕が君の夢じゃなくて現実に存在する人間だって証明する方法が有るかも知れない、」
宏治:「どうするの?」
みほの:「現実の君が知る筈の無い僕だけが知っている事を教えてあげる、それで君が現実に戻った時にそれを実際に確かめる事が出来たら、これが夢じゃなくて僕が君とは独立して実在する魂だって証明する事になるんじゃないかな?」
宏治:「そうかな、どうだろう、」
みほの:「何だかのりが悪いなぁ、」……彼女は不満げに口をとんがらかせる、
宏治:「そういう訳じゃないけど、わかった、どうすればいい?」
僕は、……私は、「明晰夢」から覚めて直ぐに「今教えられた事」を手頃な紙切れ……が見当たらない、こうしている間にも夢の記憶はどんどん曖昧になっていくと言うのに! 私は古い衣類の詰まった段ボール箱に、マジックペンで走り書きする、「神社の名前」、「御護りを埋めた目印の木」、「理由」、……
「みほの」は小学生の頃「弟のおねしょが治りますように」と、家の近くの神社にある木の根元に「缶に入れた御守袋」を埋めたのだと言う。 この事を知っているのは彼女と弟の二人だけで、そしてその神社の場所は、私の実家から歩いてそう遠くない場所だった。
時計は真夜中の1時を回ったところだ。 私は適当に身支度を整えて、玄関のガーデニング用の小さなスコップを携えて家を出る。 スマホで位置を確認しながらふらふらと15分ほど歩いた所に、その小さな無人の神社が在った。 近所の子供達が公園代わりにして遊んでいるのだろうか? 境内の隅には空気の抜けたゴム鞠が置きっ放しになっている。
私は拝殿から少し離れたところに有る二本の木が絡まった老木の根元を確かめる。 夢に出てきた「みほの」が正しければ、ここに缶が埋められている筈だ。 勿論既に誰かに掘り返されてしまったかも知れないし、別の誰かが埋めたモノだと言う可能性もある。 或いは私が忘れているだけで何時かどこかで誰かが此処に缶を埋めたという話を聞いたのかも知れない。 だから缶が出てきても出てこなかったとしても、「海老名みほの」の魂の有り無しを証明する事なんて無理なのは分かっている。 それでも私は確かめずには居られなかった。 どんなに馬鹿げて見えてもそれが必要な事だと思われたからだ。 傍から見れば危ない人だと思われるかも知れない、それでも、……
結局「缶」は見つからなかった。




